第6話 静謐の前夜
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帝都にエルンスト家が到着して三日が経った。
春の陽光に洗われた庭園に、古都ならではの重々しさが漂う。
神殿よりの使者が邸宅を訪れるという報せに、空気がひときわ張り詰めていた。
私は、父と共に謁見の間にいた。
まだ言葉を話さぬ私は、一歩下がって父の隣に座る。
けれど、私の魔素は確かに“場”に溶け込み、全てを見つめていた。
やがて、荘厳な神官服を纏った使者が扉の奥から現れる。
金と白を基調とした衣、胸に佩かれた神紋。
帝国神殿の上級聖職者――その姿は、帝都において影響力ある者の一人だ。
「エルンスト公爵閣下、お迎えに預かり光栄にございます。
帝都神殿にて、“祝福の儀”のご準備は万全でございます」
父ジークフリートは軽く頷く。
「そなたの尽力、感謝する。
我が子アルヴィスは、未だ言葉を持たぬが、その魂に宿る魔素の精緻さは既に老練に近い」
神官の目が私に向けられる。
彼の視線は理性的で、しかしどこか神秘を見出す者の眼差しだった。
「……アルヴィス様。あなたの魔素を感じた時、
我々神殿は“啓示の風”が流れたとさえ錯覚いたしました」
私はそっと魔力を送る。
“敬意に応える”――そんな感情を宿した、穏やかな光を。
神官は目を細め、深く頭を垂れた。
「明朝、正午。
帝都神殿中央祭壇にて祝福の儀を執り行います。
それまで、どうぞ御身を大切にお過ごしください」
謁見の間の空気が、ゆっくりと緩んでいく。
__________
夜。
邸の広間にて、家族三人だけの夕餉が静かに催された。
父ジークフリートは無口だが、グラスを傾けながら息子を静かに見守る。
母セシリアは終始穏やかな微笑を浮かべながら、食卓を取り仕切る。
「アルヴィス、今日は疲れたでしょう。たくさんの人の視線を浴びたものね」
私は魔素を通じて感情を揺らした。
少し緊張しつつも、大丈夫――そんな気配を伝えるように。
父が静かに言葉を紡ぐ。
「明日は、お前の名が帝国中に響く日となる。
だが、それは“始まり”でしかない。
祝福を受けた者として、何を示すかが重要だ」
母も頷く。
「あなたはこの家に生まれてくれて、私たちの誇りよ。
でもね、それ以上に――あなた自身の未来を、大切にしてほしい」
私は二人の言葉を、まだ理解しきれないなりに心に刻んだ。
__________
深夜。
私は眠れず、邸のバルコニーに出ていた。
月が帝都の屋根を照らし、静寂が支配する夜。
その中で、ある影が私の背後に現れた。
「坊ちゃま、まだお休みではなかったのですね」
レオナール・ヴァルステル。
エルンスト家騎士団長。
その鋭い視線は常に警戒を怠らず、今宵も静かに私の護衛に就いていた。
「……明日、我らが守るのは、ただのお子ではない。
帝国が祝福し、畏怖すべき存在――」
彼は言葉を切り、静かに膝をつく。
「ですが、私にとっては今も“坊ちゃま”です。
たとえ全帝国が頭を垂れようとも、
この身はただ、あなたの剣にございます」
彼の言葉は誓いだった。
魔素を通じて、私は“ありがとう”と告げた。
__________
その頃、邸内の一角――使用人棟。
「明日だねぇ、坊ちゃまの祝福の日……」
老メイドのクラリッサがポツリと呟いた。
「なんかこう、言葉じゃないのに、魔力が話しかけてくるんだよねえ。
“見てくれてありがとう”とか、“大丈夫だよ”とか……」
若い下働きの少女が笑う。
「私、あんな赤ん坊初めて見たよ。
こっちが励まされてるみたいだったもん!」
厨房でも、騎士寮でも、執務室でも――
“坊ちゃま”の明日を思い、静かに祈る声が溢れていた。
誰に強制されたわけでもない。
それは自然な、“敬愛”だった。
__________
明朝。
私は再び目を覚ました。
夜が明ける前の青の空。
その色は、静かに、確かに新たな一日を告げていた。
私はまだ二歳。
言葉も持たず、剣も振るえず、魔法の体系すら知らない。
けれど、確かに“ここにいる”。
多くの人の想いを背に、祝福を受けるにふさわしい存在として。
私は小さな手を空に掲げた。
魔素が流れ、指先に灯が生まれる。
それは、言葉のいらない“誓い”。
――私は、祝福を受け入れる。
そして、その意味を、この世界に証明してみせる。
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