第3話 影、広がる
「おい……聞いたか? 坊ちゃまがまた、光の術式を“感情”で起動させたらしい」
「ほんとうにまだ話さないのか? 声を出さずに、感情だけで?」
「“伝えた”らしいぜ……妹君を安心させる魔法だったとか」
「まるで……天使様のようだな」
その日、エルンスト家の厨房では、使用人たちが静かに噂話を交わしていた。
言葉を潜めながらも、その声には驚きと――ほんの少しの畏れが混じっていた。
祝福されし子、アルヴィス坊ちゃま。
魔導公爵家に生まれし天才の第一子。
まだ二歳にもならぬその幼子が、言葉を使わずに、魔法を使って“心”を伝えるという。
人々は、静かに彼を畏敬の対象として語り始めていた。
__________
その日、私は庭にいた。
執事クラウスに連れられて、特別に“魔力の流れを感じる訓練”を行っていたのだ。
手を地に触れれば、草の魔素がざわめく。
空を仰げば、風が私に問いかけてくる。
(……静かに、聞いてくれ。私の声を)
私は魔素に“呼びかける”ように心を重ねる。
言葉はない。ただ意志がある。
意志が魔素に乗れば、周囲の精霊は私を介して世界とつながる。
すると、周囲の空気が柔らかく染まり、
草木の葉先に宿った魔力が、淡く光を帯びて震えた。
「…………」
私はそっと手を離す。
魔法は成功した――ただ“話しかけた”だけで。
「坊ちゃま、お加減はいかがでしょう」
クラウスが魔力計測盤を手に歩み寄ってきた。
それに反応するように、私の魔力が空間にゆるく満ちていく。
「……安定しておられる。日々、精度が高まっているな」
彼はそう呟きながら、私に近づいた。
「坊ちゃま。近頃、帝都ではあなた様の噂が広まりつつあります」
私は顔を上げた。
クラウスは、腰を低く折りつつ、言葉を選ぶように続ける。
「“祝福の子”と呼ぶ者もいれば、“天災”の兆しと囁く者もおります。
……どちらにせよ、エルンスト家の名は、これまで以上に重くなるでしょう」
__________
エルンスト家――
それは、帝国四公爵家のひとつにして、
政治的には中立を貫きながらも、発言ひとつで議会全体の空気を変える“均衡の要”。
帝国の繁栄を第一に掲げ、どの派閥にも与せず。
ただ、必要な時にだけ静かに立ち上がり、帝国を正す剣となる。
それが、父ジークフリート・エルンストの流儀であり、
代々のエルンスト公爵家当主が守り抜いてきた“誇り”であった。
私は、そんな家の嫡男として生まれた。
中立という言葉の裏にある、重すぎる責任。
そして――求められる“圧倒的な力と品格”。
私はまだ子供だ。
けれどその重みは、魔素を通じて確かに感じている。
__________
夕刻。
私が書庫に戻ると、母が待っていた。
「アルヴィス。お話があるの」
私は母の方を見上げた。
彼女は静かに椅子に腰かけ、机の上に開いた書簡を指差す。
「これは、帝国からの招待状。
“あなたの祝福を、帝都の神殿で正式に認めたい”のだそうよ」
(……)
私は黙ったまま、魔力をゆるく広げた。
すると、魔素が部屋の空気を撫でるように揺れ、母の髪が静かに浮かび上がった。
母はその“感情の魔力”を受け取って、微笑んだ。
「そうね。不安よね。けれど、あなたがどれほど特別かを、
この帝国に正式に知らせる意味もあるの。……誇っていいのよ」
私は、魔力をふわりと伸ばして、母の手に触れた。
それは、“理解”と“感謝”の感情だった。
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その夜。
城館の東庭。
静まり返った夜の空の下、私はひとり風を感じていた。
遠く皇都アウストリアでは、第三皇女リシェルティアの宮廷教育が始まったばかりだという。
同い年の彼女――将来の婚約者。
まだ会ったこともない。
けれど、その存在は私の“未来”に確かに刻まれている。
「……坊ちゃま」
背後からクラウスが声をかける。
その手には、銀の羽根を象った魔道具――“帝鳩の伝令”があった。
「皇都より、“祝賀の儀”の正式日程が届きました」
私は振り返る。
風が、私の周囲で渦を巻く。
魔素がそのまま感情を帯びて、クラウスの手元の封筒に流れ込んだ。
「……はい、承知いたしました。坊ちゃまのお気持ち、確かに」
その声に、私は軽く頷いた。
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次の日、屋敷の広間では一部の地方領主や民の代表が集まり、
父ジークフリートが淡々と話をしていた。
「……息子アルヴィスは、“祝福された才”であると同時に、
この地に生きる者として、皆と等しく在る」
その一言で、出席者の空気が変わった。
私たちは“選ばれた貴族”などではない。
帝国の安定を担う“礎”であり、誰よりも民に近くなければならない。
それが中庸の名門――エルンスト家の在り方だ。
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その日の終わり。
使用人のひとり、若い給仕見習いの少年が厨房でそっと呟いた。
「……本当に、すごい人だな。坊ちゃまは。
魔法を話せるっていうか、こっちの気持ちまでわかってくれるみたいで……」
それに、年長の女中がふっと笑って答えた。
「坊ちゃまは、まだ言葉を持たない。けれどね、あの方の目を見ればわかるよ。
“この子は、私たちを見ている”って」
帝都の貴族が見ているのは、権力と威光。
けれど、民が見ているのは、“ひとつの命”だった。
祝福されし子。
それは、孤高ではない。
畏れと共に、敬われる者――
そして、世界に“声”を届ける者。
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