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祝福の魔導公 ―転生した天才は魔法で世界を導く―  作者: branche_noir
第4章 選び取る日々と絆の灯火

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第31話 君臨せずして(後編)

陽はすでに昇りきり、帝都アウストリアの街々には、賑わいが戻っていた。

だが、皇帝の私室にはなお、静寂が息づいていた。


ジークフリート・エルンストは、卓の上の一通の文に目を落とす。

それは先ほど皇帝から手渡された、手書きの覚書だった。


内容は簡潔――

「アルヴィス・エルンストの今後の動向における、帝都側からの干渉を控えること。

あくまで“影響の観察”と“独立性の尊重”を旨とするべし」


「……よろしいのですか、陛下。アルヴィスがどれほどの影響を持つかは、まだ……」


ジークが問うた。

それは、保護者としてでも、父としてでもなく、

“国の均衡を担う者”としての問いだった。


皇帝レオグランは、窓辺に立ったまま、答えを返す。


「それでも、手は出さん。君の子は、“誰のものにもならぬ者”だ。

だからこそ、王冠の側に置く意味がある」


「……王ではなく、“継承者”としてでもなく」


「そうだ。“象徴”としてだ」


レオグランは、ゆっくりと振り返る。


「中立派は、帝国の継承の系譜には連ならぬ。

だが、だからこそ、“揺るがぬ基準”として次代に遺す意味がある」


ジークの目が細まる。


「ならば、リシェルティア様との婚約も――その一環というおつもりで?」


皇帝は短く頷いた。


「リシェルティアは、皇族の者でありながら――その才と在り方ゆえに、いずれ“王位を揺るがす存在”になりかねぬ。だからこそ、彼女を中庸の要に預けた。

帝国が傾かぬように。……そして、彼女自身が“まっすぐに生きられる場所”を与えるためにもな」


「だからこそ、両者を並べることで、“王冠の傍ら”に、もうひとつの軸を置こうということですか」


「そうだ。王は玉座に在ってこそ、王たる。

だが、王が座しているだけで国が保たれる時――

その背後にある“中立の支柱”がいかに大きいか、誰の目にも明らかになる」


レオグランの言葉には、感情はない。

あるのは、“構造”を見据えた統治の論理だった。


「アルヴィス・エルンストという名が、帝国の王冠に連なることはない。

だが、あの名が“揺るぎなき基準”として在り続けるならば、

王冠の重みは、過不足なく保たれる」


ひと呼吸ののち、皇帝は続けた。


「……リシェルティアは、王位には遠い娘だ。

だが、あの子の聡明さは時に王権をも揺らしかねん。

だからこそ――エルンストに預けた。

玉座ではなく、“均衡”のもとに置くためにな」


ジークは静かに息を吐く。


「……アルヴィスは、まだ幼い。ですが、“己の立ち位置”を、自分の目で見ようとしています。名に頼らず、肩書に甘えず――在り方で示そうとするその姿が、

いずれ“民の信”と重なれば……」


「それだけで、この帝国は崩れぬ」


皇帝が言い切る。


「王が統べずとも、国は保たれる。

そのために“統べぬ者の柱”がある。

それが、君たちエルンスト家の“役割”であり――“呪い”でもあるな」


「呪い、ですか」


「民に望まれながら、選ばれぬ。選ばれぬが、常に見られている。

それがどれほどの重さか、君自身が一番よく知っているだろう」


ジークは一度目を伏せ、そして静かに頷いた。


「ええ。だからこそ、アルヴィスには――“王にならぬ誇り”を教えてやらねばならない」


レオグランが微かに笑う。


「“戴かぬ王冠”こそ、時にもっとも民を導く。

王ではなくとも、王以上に“帝国の形”を保てる者がいるならば――

余が治める国は、決して間違ってはいないと信じられる」


その言葉は、皇帝としての確信に満ちていた。

王冠の正統、支配の意志、それらを超えた“均衡の象徴”――

それを“エルンストの子”が担う未来。


ジークは、椅子を離れ、深く一礼した。


「陛下。エルンスト家はこれからも、“在り方”で帝国を支えましょう。

玉座の傍らに在り、王とならずとも、王を誤らせぬよう」


「それでいい。……君たちは、いつもそうであればいい」


最後の言葉に、余計な重さはなかった。

それは、最上の信頼と、最深の理解のもとにある“沈黙の盟約”だった。


こうして二人の対話は終わり、

帝国はまた、動かぬままに未来へ進む――

王冠を戴かぬ者たちによって、確かに“保たれながら”。


_________


その日、帝都はいつも通りに目覚めた。

街路には人の流れが戻り、市場には活気が満ち、城の尖塔からは陽光が差し込む。


何も変わらぬ、帝国の朝。

だが、その中でひとり――確かに“何かを得た者”がいた。


エルンスト公爵家・帝都邸の書斎。

その奥まった一角に、小さな背が椅子に座っていた。


アルヴィス・エルンスト。

白銀の髪は朝日に染まり、細い指が一冊の書物の頁を静かに繰っている。


彼の目が追っているのは、帝国の政制に関する記録書だった。

帝国議会の仕組み、神殿との折衝記録、地方貴族と中央の力関係。

それらが、ひとつの流れとして読み取られていく。


誰に言われたわけでもない。

侍女や教育係の姿もない。

声も音も、ここにはなかった。


それでも、アルヴィスの背筋は伸びていた。

まるで、その空間そのものが“誰かに見られている”かのように。


頁の間に、小さな栞が挟まっていた。

それは、前夜に父ジークフリートが持ち帰った一通の“報告書”の抜き書きだった。


『帝国において、“在り方”が力となる例は少ない。

だが、“支配せずとも場を保つ者”が生まれたならば――

それは“玉座なき王の影”となる』


そこに名はない。だが、誰のことかは明白だった。


アルヴィスは、それを読み返すことなく、そっと閉じた。

思考は文字の外に、もっと広い世界に向かっていた。


(私は、王にはならない。ならば――何になればいい)


そんな問いが、彼の中に芽吹いていた。


昨夜の出来事を、アルヴィスは忘れていなかった。

シリルの行為に向けた“制止の言葉”――それが、何を変えたのか。

自分は怒らなかった。けれど、許しもしなかった。


そして、周囲の空気が変わったことも、

誰かが自分を“目印”として見始めたことも、彼は感じ取っていた。


庭から微かな声が届いた。

リシェルティアの声――清らかで澄んだ音色。

感情に溺れず、しかし冷たくもなく。

まるで研ぎ澄まされた水晶のように、周囲の空気を静かに整える声音だった。


アルヴィスは、本を閉じた。

手元の栞を一枚だけ抜き取り、懐へとしまう。


書の上に、余計な言葉はなかった。

ただ、ページの余白に走らせた自分の思索だけが、

彼の歩みに静かな重さを与えていた。


彼は歩く。

軽く、だが確かな足取りで。


誰に命じられたわけでもない。

ただ、“並ぶに足る存在”がいるということ――

その事実だけが、彼にとっての“意味”になりつつあった。


リシェルティア。

帝国が宝石と呼ぶ少女。

その輝きは、ただ光るのではない。

意志を持って、照らすべきものを見極める。


アルヴィスの中にあった沈黙が、静かにかたちを変える。

言葉にせずとも、彼は理解し始めていた。


――自分の“在り方”が、誰かの未来に通じていることを。


__________


帝国の均衡は、剣でもなく魔法でもなく“沈黙”によって保たれることもある。

その“沈黙”が、言葉以上の力を持つこともある。


王にならぬ者が、“王以上の影響”を残すこともある。


そして今、

アルヴィス・エルンストという少年の影が――

静かに、帝国の形をなぞりはじめていた。


まだ誰も、それを“時代の変化”とは呼ばない。


けれど、それが確かに“時代を動かす胎動”であることを――

わずかに揺れる空気だけが、静かに教えていた。


そして物語は、なおも静かに進んでゆく。

王なき支柱と、玉座の狭間をつなぐ者の足音とともに。


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