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祝福の魔導公 ―転生した天才は魔法で世界を導く―  作者: branche_noir
第4章 選び取る日々と絆の灯火

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第25話  沈黙の焔(前編)

"帝国の宝石"と"祝福の子"の婚約を祝う祝宴が終わったあとの宮廷は、不思議なほど静かだった。


私は、まだ熱の残る金瑠璃の大広間に、そっと一人、残った食器を片付けていた。

冷えた銀の皿に、指先の熱が吸い取られていく。


けれど、それ以上に、空気が冷たく感じられたのは――たぶん、気のせいじゃない。


「……変な夜」


思わず小さく呟いたその声は、天井の魔石灯に吸い込まれて消えた。


豪奢な絨毯、飾られた魔法紋の刺繍、煌めく金細工の欄干――

何もかもが今夜の“祝福”のために整えられ、使われ、そして、片付けられようとしている。


でも、私は知っている。

今夜、この場に漂っていたのは、ただの祝賀だけじゃなかった。


玉座の前で、第三皇女リシェルティア様とエルンスト家の嫡子、アルヴィス様が手を取り合った瞬間――

何かが、確かに“動いた”のだ。


「……帝国の針が、少し、傾いたみたい」


使者たちの視線は鋭く、貴族たちの笑顔は張りついていた。

皇帝陛下の声は厳かで、だけど何処か、“最後の一手”を打った者の静かな誇りを感じさせた。


私はただの側仕えにすぎない。

権謀術数も、政の均衡も知らない。

けれど、わかるのだ。


この夜の沈黙は、ただの余韻ではない。

“誰かの胸に灯った焔”――それが、静かに燃え始めている。


それが祝福の炎であれ、妬みの火であれ。

この帝国は、また一つ、形を変えようとしている。


私は食器を拭きながら、ふと祈る。


願わくば、この火が、誰かを傷つけるものでありませんように――


でも、きっとそれは、もう遅いのだろう。


この夜の静けさこそが、“嵐のはじまり”なのだから。


__________


帝都の外縁、灰白の石造りの館に、夜風が静かに吹き込んでいた。

灯りの落ちた街並みのなかで、ここだけは異様なまでに静まり返っている。

中庭の噴水は止まり、侍従たちも奥へと引っ込められ、ただ重鎮たちの声だけが空間を満たしていた。


「……やはり、こうなるべきではなかった」


低く唸るような声に、数人の男たちが頷いた。

いずれも、地方に広がる中堅の伯爵家や子爵家の当主たち。

帝国政庁の中では「貴族派」に分類される者たちである。


「祝福の儀であれだけの魔素適性を見せつけ、しかも皇女殿下との婚約だと……。これではもはや、エルンスト公爵家は帝国の“中心”そのものだ」


「ただでさえ、あの家は“天才の一族”。我ら地方領主とは格も実力も違う。そこに皇族の血が混じったとあれば……」


「それにより、皇帝派の影響力も自動的に増す……。これはもはや、派閥間の均衡を崩しかねん危険な火種だ」


あくまで抑制された口調。

だが、その目の奥にあるのは、妬み、焦り、そして――恐れ。


「もちろん、我らは帝国の安定と繁栄を第一に願っている」


「……ああ、あくまで“心配”しているだけだ。過剰な力が一極に集中すれば、かえって帝国全体が不安定になる」


「特に、あの子供――アルヴィス殿。五歳でありながらBランク魔物を討伐し、あれほどの魔力を有するなど……」


「神官の中には“神の器”だの“選ばれし子”だのと、信仰まがいの噂まで流し始めている始末だ。あまりに危うい」


その場にいた一人の老伯爵が、静かに指を鳴らした。

すぐに侍従が巻物を持参する。


「これは神殿の下層部から得た写しだ。エルンスト家の魔導研究、教育体系、そして騎士団の再編状況に関する非公式記録――いずれも、正式な申請なしに進められている」


ざわ、と空気が揺れた。


「彼らは……帝国の中核を担うための“下地”を、水面下で整えつつあると?」


「それは分からんが……帝国の中で、最も派閥を持たない家が、“核”となる可能性を秘めているということは事実だ」


沈黙。


だが、その沈黙の奥にあるのは、ただの憂慮ではない。

この男たちは、自らの“立場”が揺らぐことに怯えている。


「――とはいえ、四大公爵家のうち他の三家は、ことさら不満を表してはいない」


一人の若い子爵が、訝しげに眉をひそめた。


「むしろ彼らは、今回の婚約を歓迎しているようにも見える」


「当然だ。あの三家は、軍・経済・外交をそれぞれ担う重鎮だ。我らのように地盤が不安定な地方領主とは違う」


「……いや、むしろ“理解している”のだろう」


「帝国の持続には“象徴”が必要だと。その役を、今まさにエルンスト家が引き受けたのだ」


「我らは……どうすべきか」


誰かがそう呟いた。


すぐに答える者はいなかった。

ただ、蝋燭の炎だけがかすかに揺れ、その光が彼らの顔を静かに照らしていた。


誰も、正面から抗おうとは言わない。

だが、心の奥底で、焔は燻っている。


それはまだ“陰”でしかない。

表立っては語れぬもの。

ただ、彼らは――言葉巧みに、“心配”という衣をまとって、それを語るのだ。


「……過ぎた力は、帝国の均衡を危うくする。我らは、ただ、それを恐れているだけだ」


静かに、そう締めくくられた言葉の裏にある“欲”を、誰も指摘しなかった。


そして夜は、静かに更けていく。


__________


「……動いてきたか」


帝都の朝は、まだ靄を帯びていた。

だがエルンスト家の屋敷には、すでに張り詰めた空気が満ちていた。


執務室の奥、ジークフリートは窓際に立ち、帝都の空を見上げていた。

その手には、帝都政庁より密かに届けられた一通の報告書がある。


「地方貴族派の一部が、神殿と魔導院に“懸念”を伝え始めたとのことです」

報告するのは、執事長クラウス。

声には揺らぎがない。だが、憂いは消せない。


「“懸念”か。……便利な言葉だな」


ジークフリートの口調は静かだった。

しかし、その声音の奥には、鋼のような意志が滲んでいた。


「余計な反応を見せる必要はない。むしろ、我らは“何もせぬ”ことで威を示すべきだ」


彼の瞳は、かすかに細められていた。


「だが……威を示さぬということではない」


その一言に、クラウスは小さく頷く。


「レオナールを」


「はっ」


すぐさま命が下る。

動くのは――エルンスト家が誇る騎士団、“静かなる盾”。


──彼らは咆哮しない。

だが、その構え一つで、帝都の空気を変える者たちだ。


午後、帝都の南区。

ある地方貴族邸宅の前を、エルンスト家の騎士団が“偶然”通過する。


黒と銀の意匠をまとった鎧を着た騎士たちが、音もなく馬を駆り、隊列を崩さず、槍先一つ乱さず通り過ぎていくその姿。


その一糸乱れぬ統率力に、周囲の衛兵が無意識に敬礼する。


窓辺から覗いた貴族の家人が、青ざめた顔で扉を閉める。


彼らは語らない。

名乗らない。

けれど、すべてを“見ている”という意思だけが、確かに届く。


その夜、帝都の情報網を預かる小貴族が、使者を通じてこう記す。


《エルンスト家、すでに察知済みと見られる。

 しかし一切反応なし。

 動かぬまま、抑えに入っている。

 騎士団の“威”は、もはや言葉を超えている。》


__________


一方、エルンスト邸の一角。

中庭に差し込む陽が、白い砂利に柔らかく反射していた。


そこに立つのは、騎士団長レオナール。

黒髪に黒と青の外套をまとい、言葉少なに副官へ指示を飛ばす。


「各所への巡察は夕刻までに終えろ。あくまで“警邏”の体で。

 ……騒ぐな。静かに、だ」


副官が頷く。


「団長……騒がずして、抑えられるでしょうか?」


レオナールはふと笑みを見せた。


「我らが誰であるかを、忘れてはならん。

 “静かなる盾”は、目には見えずとも、帝国の屋台骨にある」


その背中は、戦場ではなく政都の只中にあっても、揺るぎなかった。



「“何もしない”ことで、あれほど圧を与えるとは……」


帝都政庁の一室。

ひそやかな会議の場にいた一人の伯爵が、苦い笑みを漏らした。


「まるで、喉元に剣を当てられたまま、会釈されたようなものだ」


「いや、違うな」

もう一人の貴族が呟く。


「これは、“城砦が歩いた”感覚だ。……あの家は、まるで国家の具現だ」


その場にいた誰もが、もはや口に出せなかった。


――正面からは敵わぬ。


そう、心の奥底で悟っていた。


__________


ジークフリートは、書斎の窓辺から空を見上げていた。


「咆哮せぬ獅子の爪は……誰よりも鋭い」


小さく呟いたその言葉は、誰にも届かない。


だが、確かに帝都の空に、“沈黙の焔”は刻まれ始めていた。


__________


カーテンの隙間から差し込む陽が、書架の背を斜めに照らしていた。

朝の空気はまだ柔らかく、けれどどこか張り詰めたものを纏っている。


私はその中にいて、机に肘をつきながら、窓の外を見ていた。

帝都の空は青く澄んでいるというのに、胸の奥には重たい何かが沈んでいた。


――私を見ている眼が、増えている。


民の視線、神殿の視線、政庁の視線、そして……貴族たちの、静かな探るようなまなざし。


「祝福の子」

「神の器」

「八属性の支配者」

「皇女の婚約者」


言葉だけが先を走り、私はその意味を、遅れて拾っている気がした。


「……これは、どこまでが“私”なのだろう」


口に出した声は、誰に聞かせるわけでもない。

ただ、白い壁に吸い込まれ、返事はなかった。


「お主、少し顔色が冴えぬな」


ふいに背後から聞こえたのは、聞きなじみのある頼もしい声。

振り向けば、杖を手にした老人――クラヴィスが、書棚の影から姿を現していた。


「……よく見抜いたね」


「まあの、年の功というやつじゃ。お主の顔は、案外わかりやすい」


「そうなのかな。……自分ではわからないや」


私が呟くと、クラヴィスはゆっくりと近づき、隣の椅子に腰を下ろした。

その動作ひとつにも、重ねた歳月の重みがにじんでいる。


「……重いか?」


「重いよ」


私は素直に答えた。


「皆が、私を“何か”に仕立てようとしてる。

 象徴に、旗印に、希望に、恐れに……。

 でも私は、まだ五歳だ。……ただの子供だよ、クラヴィス」


「ほう。ならば、“子供”とは何じゃ?」


問い返されて、私は黙った。

クラヴィスは、笑っているのでも、咎めるのでもない。ただ、問いを投げてきただけ。


「わしの見る限り、お主はすでに多くを見て、多くを選んできた。

 生まれた意味も、進む道も、知ろうとしておる。

 それができるならば……もう、“ただの子供”ではなかろう?」


その言葉に、私は小さく息を吐いた。


「……私は、いったい何なんだろう。

 祝福の子として生まれたけれど……本当に、皆の言う通りの“器”なんだろうか」


「器は、他者が決めるものではない」


クラヴィスの声は、いつになく低く、重い響きを持っていた。


「“器”とは、何を注ぐかで決まるものじゃ。

 お主が選び、注いだものが――やがて、お主という存在を“定義”する」


私は黙って、自分の手を見つめた。

小さな手。

けれど、この手は、魔物を討った。

皇女の手を取った。

そして今、帝国中の目に映っている。


「……この手に、注ぐものを、間違えたくない」


「それで十分じゃ」


クラヴィスは、ふっと笑った。


「迷えばよい。考えればよい。

 ただ一つ、忘れてはならぬのは――“力”というのは、誇示するものではなく、“選ぶ”ものじゃ」


「選ぶ……?」


「誰のために使うか。どこに使わぬか。

 それを定めることが、“力を持つ者”の責任じゃよ」


私は、その言葉を胸に刻んだ。


力を持った。

だからこそ、選ばなければならない。


何に抗い、何を守り、何を――沈黙で受け止めるかを。


窓の外に、エルンスト騎士団の訓練風景が見えた。

声を出さず、ただ精緻に動くその姿は、まるで“理”の具現のようだった。


「……クラヴィス。ありがとう」


「礼など要らぬ。わしはただ、背中を見ておるだけじゃ」


彼は、ゆるゆると立ち上がった。


「お主は、お主を生きればよい。それが、“理”の始まりじゃ」


その言葉を残して、クラヴィスは静かに去っていった。


私はもう一度、自分の手を見た。

この手は、まだ少し震えている。

けれど、その震えごと受け止めて、私は前へと歩こうと思った。


“祝福の子”ではなく、“私”として。


それが、今の私にできる、たった一つの誓いだった。


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