第488話・魂の相談
「どうやら……、終わったらしいな」
――――西塔。
通路の脇にあった部屋の中で、椅子に座っていた大天使ウリエルは感慨もなく呟いた。
あまりにノーリアクションなので、対面に立つ2人の自衛官は思わずツッコんだ。
「いや味方だろ、なんで加勢に行かなかった?」
「そうよ、一応こっちは敵なんだから」
困惑気味にそう言ったのは、坂本と久里浜。
そんな彼らの気持ちを悟ってか、ウリエルは腕を組みながら答えた。
「言っただろう、今回ばかりは貴様ら日本人に借りを返すと決めている。ここで戦うつもりは無い」
「わたしのお腹殴ったくせに?」
「そ、それはアリバイ作りのためだ…………! 本当にすまん」
「まぁ良いけど、で? 何が聞きたいんだっけ?」
久里浜の問いに、ウリエルが即答する。
「あぁ、どうしたら他人を満足させられるラーメン。言うならば……”魂の一杯”を作れると思う?」
「「…………」」
拳を握り、期待に満ちた顔で見つめてくるウリエル。
2人は顔を近づけ、聞こえないようコソコソ話で会話した。
「天使がラーメンって……、なんて答えれば良いのかしら…………」
「僕に聞くなよ、言っとくけどカップラーメンくらいしか作れないぞ」
「はぁ? 見なさいよあの大天使の顔! 今にも最高のアドバイス貰えます、みたいな期待に満ちた顔してるんだけど」
「知らねーよ。そもそもなんでダンジョン内で、自衛官と大天使がラーメン談義してるんだよ」
「わたしだって知らないわよ! 魂の一杯なんてどう答えれば良いのよ!」
この2人、当然だが料理などできない。
なので至高の一杯を教えてくれと迫られても、マジで対処のしようがない。
下手をすれば、戦闘をしていた方が楽なくらいだ。
「おい、さっきから何をコソコソ話してる?」
「別に、どんなレシピが良いか相談してただけだ」
振り返った坂本が、流れるように嘘をつく。
その言葉を聞いて、ウリエルの目が一層輝いた。
「あぁ、それはすまない。何か妙案はあるか?」
「そもそもさ、なんで魂の一杯なんて作りたいわけ? そこを聞かないと下手なアドバイスになるから悩むんだよね」
話題逸らし。
坂本が教育隊時代に班長から詰められた時、たまに使った手だ。
もちろん班長には通じなかったが、ウリエルは――――
「ふむ…………簡潔に言うとだな、命の恩人に報いたいといったところか」
「恩人……、お前に炒飯を食わせたっていう人のことか」
「そうだ、私はその時に入った店を見渡して思ったんだ……”この店はもう長くない”とな」
「なんでそう思う?」
「――――あの店主の“気”が、妙に薄かった」
「気?」
久里浜が眉をひそめる。
坂本も同じ顔だ。自衛官にとって“気”なんて言われても、せいぜい精神論か気合いの話になる。
だがウリエルは、そういうフワッとした話をしているつもりはないらしい。
椅子に深く腰掛けたまま、淡々と続けた。
「繁盛している店ほど、店主の背に厚みが出るものだ。客の声、料理の匂い、湯気、怒鳴り声、笑い声……それらを受け止め続けた者の背だ。だが……あの店主は少し違ったな」
「……ちょっと疲れてたってこと?」
「疲れているのに無理をしている。いや……無理をしているのに、それを“当然”としてしまっていると言ったとろか。あれは長くないだろう…………」
坂本は首をかしげた。
「でもさ、店にはお客が入ってるから続けられてるんじゃねえの? 経営者としては疲れてても本望だと思うけど」
「繁盛と、持続は別だ」
ウリエルがキッパリと即答する。
「売れているからといって、店主が救われるわけではない。むしろ売れるほど削れる店もある。林少佐に聞いた話だが……資本主義とやらの悪癖らしい」
「まぁ、確かに……?」
聞いていた久里浜が口を尖らせる。
「値段だ。味だ。量だ。サービスだ。あの店主は全てを“客が喜ぶ方”へ寄せていた気がする。寄せ過ぎていたようにも見えたな、メニューと内装を一瞥しただけでも十分わかった」
「……それ、普通にいい店じゃん? 客からしたら素晴らしい感じだけど」
「良い店だ。だからこそ危ういと言っている」
ウリエルは腕を組み直し、視線を少しだけ落とした。
まるで、壁の向こうにあの小さなカウンター席を見ているように。
「常連客は店主の優しさに慣れるものだ。そして慣れた優しさは、やがて“当たり前”になる。店主は当たり前に応えようとして、さらに自分を削る。削った分だけ客は増える。増えた客に応えるためにまた削る……」
「それ、完全に負のスパイラルだな……。それで疲れすぎてると?」
坂本がボソッと言うと、ウリエルは頷いた。
「そうだ。しかも、店主はそれをきっと意識していないだろう。そうでなければ見知らぬ不審者極まりなかった私に食事を振舞うなどせん」
「あうー……、救うはともかく頑張り過ぎるのは日本人の悪癖ね。胸がズキズキするぅ」
「客に救われた者は、同じように客を救おうとするからな。だが、救い方を間違えると……共倒れになるぞ」
「天界の大天使が言うと急に重いわね……」
久里浜が小さく溜息をつく。
坂本は頭を掻きながら、話題の中心をずらした。
「つまりお前、店主に恩があるんだよな? その……救いの炒飯で」
「炒飯ではない。救いの一皿だ」
「どっちでもいいわよ!」
久里浜が即ツッコミを入れる。
「で? 魂の一杯? それで店主を救いたいってこと?」
「そうだ」
ウリエルの返事は迷いがない。
「私は……不格好でもいいから、あの男がまた楽しく作りたいと思える一杯を作りたいんだ」
「……いや、でもさ」
坂本が指を立てる。
「料理ってさ、技術とかセンスとか、そういう後天的なモノの積み重ねじゃん。天使パワーでどうにかならないわけ?」
「ならん」
「即答かよ」
「この世界の日本人の味覚は思ったより繊細らしい。そこを魔法だ力だでねじ伏せれば、ただの暴力になる。それでは執行者を欠食にさせたエンデュミオンと変わらん」
「一応罪悪感はあったんだ」
久里浜が半笑いで言うと、ウリエルは微妙にムッとした。
「つい最近だがな、彼女らの食事にもっと投資してれば裏切られることも無かったろうに」
「……うーん」
坂本と久里浜は、また顔を寄せてコソコソ話を始めた。
「どうする? やっぱりラーメンのアドバイスなんてできないって」
「いや、たぶんここは気持ち系の話で押し切るしかない」
「気持ちって……ちょっと雑じゃない?」
「雑でも、今ここでラーメン講義開くよりマシだろ。みんなが命懸けで戦ってるのに」
「それはそうだけど……」
その時だった。
通路の奥――――西塔側の方角から、微かな振動が伝わってくる。
壁の粉が、パラ……と落ちた。
坂本の表情が一変する。
「……今の、何?」
久里浜も反射的に銃を構えかけて、慌てて手を止めた。
ここでは撃てない。撃ったところで、こんな狭い部屋ではナイフの方が早い。
ウリエルは椅子から立ち上がり、耳を澄ませる。
天使の目が、いつもの淡い光を宿した。
「終わった……とは言ったが」
「え、終わってないの?」
久里浜が睨む。
「戦いは終わったのだろう。だが――――終わった後に起きることはまた別だ」
坂本が眉間に皺を寄せる。
「意味が分からん。具体的に」
ウリエルは通路の天井を見上げ、短く言った。
「崩れる」
次の瞬間だった。
――――ズンッ――――!!
と、今度ははっきり分かる衝撃が来た。
通路の灯りが一瞬だけ揺れ、壁面の細い亀裂がピシ……と伸びる。
「おいおいおい、冗談だろ……!」
坂本が思わず声を荒げる。
「ちょ、ここまだ中よ!? 崩落したら全滅じゃない!」
久里浜が青ざめた顔で叫ぶと、ウリエルは淡々と通路へ向かった。
「急げ、出口へ行く。お前たちの仲間が巻き込まれるぞ」
「ちょっと! 次元エンジンの部屋はどうすんのよ!?」
「死んだら元も子も無いぞ。お互いここは撤収だ」
ウリエルが振り返り、言い切る。
彼の顔は、極めて真剣だった。
「撤収が遅れれば……魂の一杯どころではなくなるからな」
「なんでラーメンを基準に話すんだよ……!」
坂本が叫びながらも、身体はもう動いていた。
久里浜も舌打ちして走り出す。
「あぁもう! 今日は最初から最後まで意味わかんない! せっかく制御室が手に入りそうだったのに!」
「安心しろ、あの部屋は特殊な防御魔法を付与している。後で好きなだけ調査しろ」
「ホント!?」
「その代わり、ラーメン講義は今度する約束だからな」
「だからラーメンを約束させるな!」
3人は通路を駆ける。
その背後で、さっきまで会話していた部屋の入口が――――派手な音を立てて崩壊した。
3分後には城全体も完全に崩落。
これにて、第4エリア攻略戦は完全に終了した。




