第418話・恐れていた悪夢
その晩、人気の無いユグドラシル駐屯地の食堂は緊張で包まれていた。
明るいLED照明の下で、小さな咀嚼音が響く……。
給養の自衛官がこっそりと視線を向ける先には、2人の少女がいた。
「ズズッ…………。モグッ、ん」
「もきゅもきゅ」
可愛らしい姿で、執行者テオドールとベルセリオンが、遅めの晩御飯を食べていた。
時刻は9時。
彼女らはさっきまで戦技の訓練を行っていたので、こんな時間になってしまった。
今夜の献立は魚介風醤油ラーメン。
このいたって普通の光景を、彼らは汗を垂らしながら見守る。
「おい、聞き逃したってことは無いよな…………?」
「それはあり得ない、この時間は喧騒が無いから絶対に聞こえたはずだ」
「じゃあおかしいだろ…………!」
「待て、まだ、まだ決まったわけじゃない…………!!」
給養員たちは血眼で見つめ続けるが、恐れていた時が来てしまった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまー」
空のどんぶりを乗せたトレイを、回収棚に置く。
彼女らはそれ以上何も言わないままに、お風呂へ入るべく去って行ってしまった。
絶望が厨房を包み込む、理由はたった1つの欠落…………。
「鳴かなかった……だと?」
呆然と立ち尽くす自衛官たち。
普段の自分たちの腕なら、毎食必ず執行者は鳴いてくれる。
今夜なんて彼女らの好きな献立だったので、タレから厳選して全力で作り上げた。
確実に鳴かせられるはずだったのに、結果は完敗。
この現実を受け入れられなかった彼らは、大至急ある自衛官を呼び出した。
「で……、俺と四条を呼んだわけっすか?」
普段は部外者が入ることを許されない厨房に招かれたのは、透と四条の2人。
もう完全に寝るモードだったので、透は上下ジャージ。
四条もカーディガンとショートパンツという姿だ。
なお、透は恋人の生肌を他人に見られることに若干の嫌悪感があった。
「あぁ。新海3尉と四条2曹は、彼女らと主従契約を結んだ仲なんだって?」
「そうですが、それでなぜわたし達を厨房へ?」
給養班長を務める1等陸曹が、事情を説明する。
いつもなら笑顔で鳴いてくれる執行者たちが、ほぼノーリアクションの上に鳴かなかったことを。
「えと、それが何か問題でも……? そういう日もあるのでは?」
困惑する四条に、班長は腕を組んだ。
「2人はどうか知らないが、俺たち給養員は彼女らに心から救われてるんだ」
「っと、言いますと?」
「ここの自衛官は基本的に多忙だ、せっかく料理を作っても味わわずに30秒で完食しちまう」
透の背筋がビクリと震えた。
彼もまた、味を楽しむ暇などない身の上。
大変失礼ながら、給養員の工夫や苦労など初めて知った。
「いや……それ自体は別に構わないんだ。君らが特に忙しいのは知ってるし、なんたってあの錠前1佐の部下だからな。無理にリアクションしてくれなんて絶対言わん」
ユグドラシル駐屯地において、錠前勉は尊敬と同時に畏怖される存在だった。
現代最強たる彼は、その実力はもちろん事務作業まで完璧にこなしてしまう。
警衛から流れた「深夜2時過ぎ退勤、朝4時前出勤」という常軌を逸したルーティーンを知らない者は、この駐屯地にいない。
そんな錠前の部下である透、四条、坂本、久里浜の4人は通常の自衛官の5倍のタスクと稼働率を要求される。
激しい演習後に配信、編集作業で徹夜~翌日残業、そしてまた休みなく働く姿はもう既に有名。
全自衛官が悪夢として体現したような部隊こそ、第1特務小隊なのだ。
ちなみに、前日の睡眠時間は久里浜と坂本が4時間、透と四条は2時間半だった。
「しかし妙だなぁ、テオは大概の食事なら鳴くはずなんだけど……」
「舌が肥えて来たのでしょうか? なんだかんだ日本に来て数か月経ちますし」
「いや、それは無いと思う。だって今朝はちゃんと鳴いてたんだろ?」
透と四条が議論をするが、やはり平行線。
そこで、この場における”禁句”がつい出てしまった。
「……考えにくいけど、ご飯があまり美味しくなかったから……とか?」
本日の献立立案をした給養員は、すぐさま動いた。
傍にあったロープを、躊躇なく手に取ったのだ。
透と四条、他の自衛官が大慌てで止めに入る。
「やめろぉ!! 離してくれぇッ!! ほぇふぇを鳴かせられなくなった俺に存在価値なんて無いんだ!!! このままダンジョンの肥やしにさせてくれ!!!」
「バカ野郎!! 食堂をいわくつきにするつもりか!!!」
全員で必死に止めること10分。
ようやく落ち着いたらしい給養員が、半泣きでぼやいた。
「俺……、彼女たちが幸せそうに頬張る姿に心底救われてるんですよ。新海3尉、四条2曹、なんか思いつかないですかね…………?」
「うーん、っと言われてもなぁ……」
ふと見渡せば、まだ温められたラーメンのスープ。
彼の鋭い直感が、答えの臭いを探り当てる。
「ちょっと失礼」
傍にあった小皿にスープを入れて、味見してみる。
舌の上でゴロゴロと回してみて、疑問は確信へと変わった。
「班長、味見はどのタイミングで?」
「味見? 当然出す前にするさ。おい、今日は誰がスープを担当した?」
班長の声に、床で座った隊員が恐る恐る声を出す。
「お、俺です」
「何か違和感はあったか?」
「それが班長…………、じ、実は」
衝撃の事実が、彼の口から飛び出した。
「味見…………、”し忘れた”かもしれません。彼女たちが来たのは遅い時間だったので」
「なっ、なんだとぉ!??」
すぐさま班長がスープを飲み、答えを得た。
「おい……! 肝心の”タレ”が入ってねぇじゃねえか!! まさか、このまま彼女らに食事として出したのか!?」
タレは醤油ラーメンにおいて、心臓部に等しい。
今夜は魚介風醤油という名前だったが、タレが入っていないのではただの脂っこいお湯である。
味の引き締まりなんてモノは無く、すなわち彼女たちは出汁と油を突っ込んだだけのラーメンを食べていたのだ。
「つまり……、2人は一口目でわかってなお、俺らに気を遣って文句も言わず完食したってのか…………?」
間違いなく、お世辞にも美味しかったはずがない。
なのに、あんな幼い少女たちに我慢を強いてしまった。
圧倒的凡ミス……。
給養を任される者としてあってはならないインシデントに、床へ座っていた隊員がまたロープへ手を伸ばした。
「離してください班長!! 未完成の物を我慢してほぇふぇに食わせたなんて、料理人として生涯の恥です!!!」
「だから食堂をいわくつきにすんじゃねえ!!」
再び取り押さえられる。
だが原因はわかったものの、彼らのショックは大きかった。
心神喪失する給養員たちに、四条が人差し指を立てた。
「別に悩む必要なんてありませんよ」
「な、なんで…………俺たちにもう信頼なんて」
「失った信頼は、”仕事と行動で取り戻す”。それが大人なのでは?」
四条の端正な顔と言葉に、彼らの目つきが変わる。
「そうか……、そうだなっ。食事で失望させちまったなら、また食事で感動させれば良い!!」
「聞いたな!! 全員、今日は徹夜で再発防止と明日の食事の仕込みだ!! 第1特務小隊は明日第4エリアに出発する!! チャンスは一度、給養の興廃――――この一戦にアリと心得ろ!!!」
食堂に、男たちの雄々しい雄叫びがこだました。




