†chapter11 墓場の住人02
宮益坂病院の前には緩やかに下る坂道が続いている。両脇の歩道には背の高い街路樹が並び、渋谷駅の近くにありながら比較的穏やかな雰囲気を感じることができる。
「ねぇ、さっきの話だけどさぁ」
みくるがそう言うと、前を歩く上条が振り返った。「何?」
「渋谷は本当にこのまま戦争になっちゃうのかな?」
上条は左手で坊主頭を擦ると「せやなぁ」と話しだした。
「みくるちゃんも知っとると思うけど、不破征四郎が現役を退けばB-SIDEとスコーピオンの間に交わされた停戦協定が破棄されることになるんや。デーンシングが不破をどうするつもりかはわからんけど、恐らくどっちに転んでも戦争は避けられんと思うで」
「そっか……」
空を見上げると、木漏れ日が目の前に落ちてきた。みくるは目を細めると静かに息を吐き出した。9月の日差しは未だ眩しく、秋を感じることは出来ない。
みくるが顎を下げると、突然右の方から女性の悲鳴が聞こえてきた。街路樹に留まっていた鳥たちがバタバタと飛び上がっていく。
「なんや?」
横を振り向くと、渋谷郵便局の前で革の手袋を着けた褐色の男が、小さな子供を連れた若い母親に何やらちょっかいを出していた。
あいつは確か……。
上条はその男のことを知っていた。あれは先日行ったCachetteというレストランにいたデーンシング幹部のバンハーンという男だ。
みくるもいるので、ここはやりすごした方が良いだろうか? 上条はすぐに郵便局に背中を向けたが、隣にいるみくるは呆然とした表情でそのバンハーンの顔をじっと見ている。
「あの人何? どこかで見たことがあるような気がする……」
そう呟いたみくるの身体がガタガタと震え、こめかみから冷たい汗が流れた。
「みくるちゃん、あいつとは関わらん方がええ。このまま無視していくでっ!」
上条はみくるの手を引いたが、彼女はそこから1歩も動かなかった。
「駄目。足が動いてくれないの……」
「無理にでも動かすんや! あの男はほんまに危険な奴なん……あっ!!」
話している途中、頭部に衝撃を受けた。上条は状況を良く理解出来ないまま地面に横倒しになった。
そして不快な笑い声が聞こえると、みくるの色違いの瞳に浅黒い肌の痩せた男が怪しく映った。
バンハーンがいつの間にか忍び寄っていたのだ。
「あかんっ! そいつから離れるんや、みくるちゃん!!」
地面に尻もちをついたまま上条が大声を上げた。その声で我に返ったみくるは小さく頷くと、宮益坂の下にある渋谷駅の方に向かって1人走り出した。
バンハーンは異国の言葉を呟くとにやりと口元を緩め、その後を追い駆けた。やはり異形であるオッドアイは、デーンシングにとって格好の獲物なのだ。
「ふざけんなや! みくるちゃんには指1本触れさせへんぞっ!!」起き上がった上条が更にそれを追う。
バンハーンの足はみくるよりも速く、2人の距離は徐々に縮まっていく。
「くそっ!!」
その後ろをいく上条は、それよりも速いスピードで坂を駆け下りる。そしてアスファルトを蹴り勢いよく跳び上がると、前を行くバンハーンの背中に強烈な跳び蹴りをお見舞いした。
足がもつれバランスを崩したバンハーンは、前につんのめると顔から地面に倒れ込んだ。
跳び蹴りから華麗に着地した上条は、倒れるバンハーンを上から睨みつけた。
「おいコラ麻薬中毒者! デーンシングってのは、女の尻追いかけまわすようなちんけな集団なんか? テメーらみたいな下衆野郎は、この俺がボッコボコにしばき倒したるわっ!!」
上条はバンハーンがタイ人なのを良いことに、日本語でめちゃくちゃに悪口を言った。
倒れていたバンハーンがゆっくりと立ち上がる。顔を打ったため、前歯が1本欠けてしまっていた。
「ほう、なら相手になってやろうじゃねぇか……」
「えっ!?」バンハーンの喋る流暢な日本語を聞き、上条の表情が強張った。
「そこまで言うのなら、デーンシングの恐ろしさを平和ボケした日本人に教えてやるよ」
バンハーンはそう言って、不気味な笑みを浮かべた。
「に、ニホンゴジョウズね……」
それに返答する上条の日本語の方が、何故か片言になってしまった。




