†chapter10 空中公園の隠者11
秋の細い雨がいつまでも降り続いている。向かいから走ってくる乗用車のヘッドライトと、街中を出鱈目に照らすサーチライトが雨に反射して放射状に滲んだ。
宮下公園管理室を後にした上条は、かすみ園に戻ったキム子を除く、拓人、琉王、黄の3人と共に明治通りを新宿方面に向けて歩いている。目的は先程話していたCachetteというフレンチレストランに行くためだ。
「琉王さんの奢りやねんな?」透明のビニール傘を差した上条は、執拗にそのことを聞いている。
「勿論ですよ。私がお誘いしているのですから」
その質問に答えるのが3度目だった琉王は、若干の面倒くささを隠しきれない様子でそう答えた。
「やったな、高級フレンチ食べ放題やでっ!」
上条は拓人にそう言ったのだが、それに乗ってきたは黄の方だった。
「やりましたね上条くん。絶対に元を取りましょう!」
奢りなのだから元を取るもない上に、そもそも食べ放題などあるわけがないのだから滅茶苦茶な会話である。
大きな水溜りを避けつつY字になっている道を右に入ると目的のCachetteが見えてきた。
「ここがCachetteかぁ、テレビかなんかで観たことあるわ」
「そんなに有名な店なのか?」
拓人はこの店を知らないようだ。まだ18歳なのでレストランに詳しいわけもなかった。
「以前は有名なレストランガイドにも掲載されたことがあったようですが、経営者が変わってからはあまり良い噂は聞きませんね」琉王は百聞の能力で知ったであろう情報を言う。
「ふーん、そうなんや。経営者と一緒にシェフも変わったんかな?」
「いえ。そうは言っても、料理の質は落ちていないようですのでご安心ください」
「ほんなら良かった。楽しみやな拓人」
上条は楽しげに言ったが、拓人の表情は現在の天気のように曇っている。
「あんまり高級なものは、俺の舌に合わないような気がする」
「拓人は貧乏舌やからな。まあこれも勉強の1つや。高級な料理は食べる人間の品位も上げてくれるんやで」
そうは言ったが、品位の欠片も無い上条が言ってもあまり説得力はなかった。
「それじゃ、中に入りましょうか」
琉王の後に続きアーチ状に造られた門扉を潜ると、橙色の壁が印象的な2階建ての洋館が姿を現した。エントランスに続くアプローチは小さな庭園のようで、ところどころに季節の花が彩られている。
サンシェードの下で濡れた傘を畳み、入口の扉を開ける。受付には誰もいないようだ。
店内へと入った琉王一行は、従業員の姿が見えなかったのでそのまま店の奥に進んで行く。仕立ての良いスーツを着ている琉王の後に、ハーフパンツやらジーパンやらのカジュアルな集団がぞろぞろと続いている。
「ちょ、ちょっと、すみませんっ!」
その時、若い案内係が慌てた様子で現れた。
「4人です。予約はしていません」琉王は必要なことだけを淡々と告げる。
「あのー、ですねぇ。男性の方はノーネクタイですとそのぉ……」
「ドレスコードですね。失礼しました」
琉王は内ポケットに手を入れると、そこからドット柄のネクタイを1つ取りだし黄に渡した。
「サンキューなのです」
黄はパーカーのフードを持ち上げると、その周りに緩くネクタイを結んだ。シャツも着ていないのにネクタイ締めても違和感しかないだろうと思ったが、意外とお洒落に着こなしている。
「けど、俺らもネクタイしてないで」上条と拓人が、それぞれ手を上げる。
「それなら問題ないです」
琉王が再び内ポケットに手を入れると、千鳥格子のネクタイと猫の柄の入ったネクタイを出した。あのポケットには人間の瞳も入れているはずだが、一体どれだけ容量が大きいのだろうか?
上条はカーキ色のリネンシャツの襟を立て、千鳥格子のネクタイを締めた。ふと横を見ると拓人が風神がデザインされたTシャツの上に猫柄のネクタイを巻いているので、思わず鼻から空気が漏れた。
「これで大丈夫でしょうか?」琉王は自分の仕事に満足したのか得意気に笑っている。
「は、はい。結構です……」
しかし案内係の表情は硬い。硬い表情のまま「こちらにどうぞ」と席に案内する。
「広い店やなー。俺がバイトしてるとこの4倍はあるで」
上条がアルバイトで働いているのは、スモーキーという名のカフェバーだ。大衆店と高級店を比べること自体がナンセンスなので、それに対する返答は誰もしなかった。
黄は横にした掌を眉毛の上に合わせ周りを見渡した。「デーンシングは何処ですかねぇ?」
琉王は通された席に腰を下ろすと、後ろにある階段をチラリと見やった。
「デーンシングは上の階にいるようです。2階にはVIPルームがあるはずなので」
そう言われ上条もホールの中央にある階段に目を向けた。
「雨の日はクラウディが現れるかもしれへんのに、こんなところで優雅にお食事とは呑気な連中やな」
クラウディ事件の被害者は皆タイ人で、それが全員デーンシングの関係者なのではないかとまことしやかに囁かれているのだ。
「むしろ若獅子は、クラウディが現れるのを期待しているのでしょう。殺された同胞の仇打ちも、彼らの目的の1つなのですから……」
琉王は虚空を見つめるように窓の外に目を向けた。ライトアップされた小さな庭園に降る雨は、先ほどより強さを増しているようだ。




