†chapter9 泰国の若獅子01
通行人でごった返す渋谷駅の連絡通路を天野雫は全速力で駆け抜けた。後ろからはB-SIDEの幹部、西野かれんが追いかけてきている。
「絶対に逃がさないよっ!」
後方からヒステリックな金切り声が聞こえてくると同時に、2羽の鴉が雫の頭上を通り過ぎた。それは西野の持つ『鳥狩』の能力によって操られた鴉だ。
雫はタータンチェックのプリーツスカートを少しめくると、右太腿に巻いたベルトに仕込んである特殊警棒を取り出し、外側に向かって勢いよく振り抜いた。伸縮式の特殊警棒が心地よい金属音と共に勢いよく伸びる。
通り過ぎて行った1羽の鴉が反転すると、雫に向かって襲いかかってきた。
「ア゛―――ッ!!」
口を大きく開き正面から飛んでくる鴉を、雫は特殊警棒で叩きつけるように振り抜いた。
しかし鴉は間一髪、左に旋回するとその攻撃をひらりとかわした。
動物は好きだが、今は躊躇している場合ではなかった。走りながら左に旋回した鴉を睨みつける。
すると今度は右側からもう1羽の鴉が突っ込んできた。左に気を取られていたため気付くのに遅れが生じた。滑空してきた鴉は一度羽を羽ばたかせると雫の側頭部を両足で蹴り、その勢いでまた上に舞い上がった。
「くっ……」雫はこめかみを手で拭った。今の蹴りで流血してしまったようだ。
「フフフフフッ。あなたの同調の能力で私の能力もコピーしてみたらどう?」西野は走りながらも余裕のある顔で笑った。
しかし雫はそんな言葉など無視して特殊警棒を振り回し、宮益坂口を飛びだした。駅を出ると左手に街路樹がある。
雫はそこで立ち止まると、西野の鳥狩の能力をコピーし街路樹に向かって鳥寄せの念を送った。
するとその念を読み取った鴉が1羽、枝の間から顔を出した。その木の上で羽を休めていたようだ。
鴉は一度首を傾げると、渋谷駅宮益坂口に目を向けた。丁度そこから西野が姿を現したところだった。
一息鳴くと、その鴉は枝を蹴り街路樹の上から急降下した。
「あらら、不意打ち?」しかし西野は、慌てもせずに目を光らせる。
西野の頭部目掛けて突っ込んで行った鴉だったが、光る目で睨まれると急に大人しくなり、羽を羽ばたかせゆっくりと彼女の肩に留まった。
「同じ能力が使えたとしても、やはり私の鳥狩の能力の方が上のようね」
西野はそう言って笑ったが、すぐに表情を曇らせた。「だけどやっぱり真似されるのは気分が悪いわ」
向き合っていた雫は踵を返し、前方にある宮益坂下交差点に向かって走り出した。
「追えっ!!!」
西野が声を上げると、電線に留まっていた2羽の鴉も加わった合計5羽の鴉が、雫の背中を追ってきた。
逃げる雫はそのまま赤信号の交差点に突っ込む。左から大きなクラクションが鳴った! 中型トラックだ!
しかし雫の足は止まらない。トラックのブレーキ音が耳の奥を揺らす。
横からの風圧を感じながら、雫は強く地面を蹴った。トラックが左に反れると、雫は転がりながらもギリギリの所でトラックを避けられた。だが追ってきた鴉は5羽共トラックの側面に吸い込まれるようにぶつかり地面に落ちた。即死したようだ。
ごめん……。雫は心の中で謝ると、停車したトラックに手をかけ立ち上がった。
「おいおい、姉ちゃん! どういうつもりだっ!」
するとその中型トラックの運転席から、アロハシャツを羽織った厳つい中年男性が降りてきた。
雫は視線をその男の方に向けた。
「あ、危ない」
雫が男の後ろを指差すと、彼は眉をひそめて振り返った。
「あん?」
男の背後から数羽の鴉が襲いかかる。
「うあっ!!」
咄嗟に腕で頭を守ったが、鴉達は中年男性の背中に群がり着ているアロハシャツとインナーシャツを無心に喰いちぎった。
また、別の鴉か……。前を睨むと、西野が手を口に当てて笑みを浮かべている。
「この渋谷に鴉なんていくらでもいるのよ。それこそあなたが逃げれば逃げるほど、雪だるま式に増えていくわ」
確かに西野の言う通りだった。これ以上逃げても渋谷中の鴉を集めてしまうだけかもしれない。雫はうんざりしながらも特殊警棒を振り、男に群がる鴉を1羽、1羽追い払った。
耳障りな声を上げながら鴉は上空に舞い上がる。上半身が肌蹴てしまった男は脂肪で丸みを帯びた肩をぷるぷると震わせた。
「何なんだ! これもお前の仕業かっ!!」
混乱した男は、とりあえず怒りの矛先を目の前にいる雫に向けた。
「いや……」
雫が言葉につっかえると、真上の電線に留まっている先程の鴉が「アーッ!!」と短く鳴いた。
鳴き声に驚嘆し尻餅をついた男は、後ずさると四つん這いの状態でトラックの運転席に乗り込み、そのままトラックを急発進させ交差点を恵比寿方面に走り抜けていった。
「邪魔ものはいなくなったようだし、そろそろ本番と参りますか」
西野がそう言うと、周りにいる複数の鴉が一斉に鳴き声を上げだした。




