†chapter7 彷徨いの少女10
「誘拐って、そんな滅多なこと言うもんやないで」
少しの動揺を隠しながら上条は言った。だが誘拐という言葉を出したみくるは至って真剣だ。
「デーンシングは元々亜種や異形の人身売買で急成長した組織なの。あたしや琴音ちゃんみたいなオッドアイは、あいつらにとって絶好のカモなのよっ!」
「じ、人身売買……」
本当にそんな都市伝説のような話が今もあるのだろうか? そして何故タイのマフィアであるデーンシングにそれほど詳しいのか? 上条は若干懐疑的な顔で眉をひそめたが、目の前にいる園長とキム子はそれに対し静かに頷いた。
「確かにみくるの言う通りかもしれないわね」
キム子が先程までと違ったトーンを抑えた声でそう言うと、人身売買という言葉が急にリアリティを帯びだした。
「琴音ちゃんには携帯電話は持たせてへんの?」
上条が聞くと園長は首を振った。「持たせていません」
「そうなんか、困ったなぁ」
電話もない。警察に連絡するにもまだ誘拐されたわけではないし、それにデーンシングは日本の警察にも影響力を持っているようなことをキム子が言っていたので、仮に事件を起こしたとしても簡単に揉み消されてしまうのかもしれない。ここはもう自分たちで何とかするしかないようだ。
「みくるちゃん、千里眼で琴音ちゃんのおるとこ捜してみよ!」
「ああそうね、その手があったわ! みくるっ、すぐに調べなさい!」
上条とキム子の二人にそう言われたが、みくるは未だに気持ちが落ち着かない。
「駄目。うまく能力が使えない……」
精神力が乱れると、亜種は人外の能力をうまく使いこなせなくなる場合があるのだ。
「みくるちゃん、一旦深呼吸しよ。心を落ち着かせてもう一回チャレンジや」
「そんなこと言ったって急に集中なんて出来ないよっ!」
その時、キム子は大きく右手を振りかぶった。そして次の瞬間、園長室の中にパーンッという音が響いた。キム子がみくるの頬に思い切り平手を打ち付けたのだ。
頬を赤くしたみくるの瞳に涙が滲んだ。
「みくるっ、しっかりしなさい! 今、琴音を助けられるのはあんただけなのよっ!」
心が乱れ目が激しく泳いでいたが、しばらくすると焦点が定まってきた。
「うん。わかってる……」
みくるは呼吸を整え静かに目を閉じた。ゆっくりと気持ちを落ち着かせる。そして先程会った琴音の姿を頭の中にイメージすると、みくるの目の前に渋谷の街並みが浮かび上がった。
(さあ、行けっ!)
かすみ園を中心にみくるの視線が一斉に駆け巡る。スペイン坂、SHIBUYA109、センター街……。
視線が駅前のスクランブル交差点を抜けると、視界の中に白いドット柄のグレーのワンピースを着た少女が映りこんだ。
「いたっ!!」
「おったか! どこや!?」
「ハチ公前、易者みたいなおじいさんと一緒にいる!」
「易者? 易者みたいな格好した人攫いちゃうやろな!?」
「いや、ハチ公前でおじいさんの易者といったら……」
そう言ってキム子は園長に目を向ける。
「中島さんのことでしょうね」
「中島さん? 知り合いなんか?」
上条が聞くと園長は目を瞑り首を振った。
「いえ、一方的に存じ上げているだけです。『中島和三郎』さんと言えば私たちの世代では知らない人がいないくらい有名な方でしたから」
「ふーん、まあええわ。とりあえず誘拐された訳やないんやったら、すぐに迎えに行こうや。けどハチ公前やと、向かってる途中でどっかに行ってまいそうやな。拓人がおれば疾風の能力ですぐに辿り着くんやけど……」
そこまで言って上条は思った。拓人と雫の二人はドーナツ屋での別れ際、家に帰ると言っていたので、もしかしたらまだ駅の近くにいるかもしれないなと。
「拓人たちが駅の近くにおるかもしれへんし、ちょっと電話してみるわ」
上条はポケットからスマートフォンを取りだすと、画面を指で滑らせた。アドレス帳から山田拓人の文字と共に先程撮影した不機嫌そうな顔が現れる。
「まだ駅におってくれよ」
発信ボタンをタップすると、上条は祈るような気持ちでスマートフォンを耳に当てた。
電話の呼び出し音が数回鳴るが一向に出る気配はしない。
焦る気持ちを抑え呼び出し音に耳を傾ける。数えだしてから12回呼び出し音が鳴ったところでようやく電話が繋がった。
「何の用だ?」電話の向こうからやる気のない拓人の声が聞こえてきた。
「電話取んの遅いねん! ってまあ、それはええわ。今どこや? 渋谷駅か?」
一拍間をおいて「ああ、よくわかったな」と拓人が言う。
「悪いけど今からハチ公前に行ってくれ」
「断る」拓人は即答した。
「断んなや。琴音ちゃんが誘拐されてもええんか!?」
「何だよそれ? 琴音ちゃんって、さっきドーナツ屋であった女の子か? 圭介君たちが忘れ物届けに行ったんじゃないのか?」
「届けに行ったんやけど、かすみ園に琴音ちゃんが帰ってきてなかってん。それでみくるちゃんの千里眼で琴音ちゃんのおる場所調べて貰ったらハチ公前だったんや」
電話の向こうで拓人は沈黙する。突然誘拐されると言われてもピンとこないのだろう。
「詳しい事情は後で話すけど、琴音ちゃんが悪い奴らに誘拐されるかもしれへんねん! 今すぐハチ公前に行ってくれ! 頼むっ!」
必死に懇願したのが通じたのか電話口から「わかったよ」という声が聞こえてきた。
「じゃ、保護したらこっちから連絡するから待ってろ!」拓人がそう言うと電話は切れてしまった。
上条はやるせなくスマートフォンを持つ左手を垂れ下げ、みくるに目を向けた。
「拓人が駅におったから、保護しておくように頼んどいたで」
ようやく気持ちを落ち着かせたみくるは、ほっと息を吐き出した。
「よかった。あたしたちもハチ公前に行こう」
「せやな、行こ!」
上条は立ち上がると紅茶を御馳走になった礼も兼ねて深くお辞儀した。「すぐに連れて帰ってくるから園長先生らはここで待っといてください」
「あんたたちも気をつけなさいよ。くれぐれもデーンシングに喧嘩売るような真似はしないようにね」
キム子が釘を刺すと、その恐ろしさを知っている様子のみくるが大きく頷いた。
「わかってる。深入りはしないよ」
心配そうな目で見つめていた園長は、外に出て行こうとする上条の手を掴むとそれを両手で握りしめた。
「すみませんが、みくるさんと琴音さんのことよろしくお願いします」
そう言われた上条は微かに微笑んだ。
「わかってます。まかしといてください」
それだけ言うと上条はみくるの手を取り、園長室のベランダからすっかり暗くなった外へと飛び出して行った。
―――†chapter8に続く。




