†chapter17 幻想のウィザード21
キム子によって片羽絞にされた上条は、顔を紅潮させながら首に絡まるその太い腕を苦しげにタップした。
「あら、あんたまだ居たの?」
とぼけたように言うと、キム子はゆっくりと腕の力を抜いた。真っ赤だった上条の顔が一気に青褪めていき、そしてずるずると地面に崩れる。ご愁傷様です。その様子を目の当たりにした拓人も、それが我がことのように顔が青褪めていった。
「それはさておき、みくる久しぶりじゃなーい!」
乙女のような口調でそう言いつつ、こちらににじり寄るキム子。しかしみくるの名前を出したのにも関わらず、キム子の瞳は何故か拓人のことをロックオンしていた。これは完全に蛇に睨まれた蛙状態。誰か助けて!
恐怖心から身動きも取れずにその場に立ち尽くしていると、ふらふらと立ち上がった上条がおもむろに声を上げた。
「くそっ、キム子! 背後からとは卑怯やぞ。正々堂々勝負せいっ!」
酸欠状態だったにも関わらず、上条は頭に血が上ったかのように怒りを露わにする。無謀にも思えたが、彼の勇気ある行動には拓人も期待せざるを得ない。いいぞ、さすがは俺たちのリーダーだ。
「何? 望むところよ。来るなら来なさい」
勿論ここまで煽られて黙っているキム子ではなかった。ゆらりと振り返ると、少しだけ身を屈め右手を前に構えた。
真偽のほどは定かではないが、雫の話によるとキム子は柔道でオリンピック代表候補になったことがあるらしい。しかし対する上条も古武術の使い手。これはもしかすると面白い勝負になるのではないだろうか。
小さな園庭が戦場と化す。先に仕掛けたのは上条の方だ。
地面を蹴った上条がキム子の奥襟に掴みかかる。そこから勝負は一瞬だった。
キム子は巨体に似合わぬ動きでそれをかわすと、素早く上条の懐に潜りこみ流れるような動作で一本背負い投げを決めた。上条の「んごっ!」という声と共に芝生の上に鈍い音が鳴る。無様な姿を晒し、上条圭介華麗に敗北。だが、おかげで拓人はキム子から逃れることができた。勝負こそ敗れはしたが、この瞬間、俺だけはあんたをヒーローと認めてあげよう。
「腕怪我してるのに無茶しないでよね」
みくるが心配そうな顔でやってくると、倒れる上条を覗き込んだ。そこで拓人は思い出す。上条は先日、魔術師に腕を刃物で切られていたのだ。とはいえ実力の差は歴然。怪我をしていなかったとしても、恐らく結果は変わらなかっただろう。
「やだ、もしかして何か格闘技かじってるのかしら? 凄い鋭い攻めだったから思わず本気出しちゃったわぁ」
キム子は息も切らさずにそう言う。このオカマの底が全くわからない。
「仮にも柔道の世界選手権に出場したことがあるんだから、素人相手に本気なんて出さないでよ」
みくるがそう言うと、倒れる上条は短く悲鳴を上げた。
「せ、世界柔道!? 体格も全然違うのに、勝てるわけないやんけっ!」
「っていうか『暴露』の能力で暴いてなかったの? キム子はオリンピックの柔道代表候補に選ばれたこともあるのよ」
「お、オリンピックって、あの4年に1度の!? スーパーマーケットのことやなくて!?」
上半身だけ身体を起こした上条が、混乱したかのように頭を抱える。やはりオリンピック代表候補の話はガチだったようだ。
「まあ、代表は辞退させて貰ったんだけどね」
キム子はそう言うと、どこからか煙草の箱を取り出し1本口に咥えた。
「えっ、辞退? アスリートやったらオリンピックは夢の舞台やないのか?」
「もちろん夢に見ていた舞台に違いないわよ。けど私たち朝鮮籍の人間って、国籍がなんていうか物凄く曖昧じゃない? 共和国の代表として出場するか。韓国籍を取得して韓国代表として出場するか。それとも日本に帰化して日本代表として出場するか。色んな選択肢があったせいで周りの人間たちが揉め始めたから、オリンピックに関しては自分から辞退させて貰ったのよぉ」
火の点けた煙草を吸いこむと、キム子はどこか遠くを見つめ、そして煙を吐き出した。
キム子の過去のエピソードが意外とデリケートな話だったので、拓人は頷くだけに留まり口を閉ざした。そしてそれは横にいるみくるも同じだった。閑静な場所にあるかすみ園の庭に、暫し沈黙が落ちる。だが世の中には、沈黙という間を極端に嫌う人種が存在することを忘れないでほしい。それが近畿圏を中心に広く生息する関西人と呼ばれる人たちだ。
「キム子ママは、国籍どころか性別すらも曖昧やからなぁ」
地面に腰を下ろしたまま、上条はカラカラと笑った。釣られてキム子もニヤリと笑う。
デリカシーのない上条のボケだったが、以外にもその場の空気を和ませた。それに合わせて拓人も「ははは」と笑ったのだが、次の瞬間、キム子の拳が上条の頭頂部に激しくぶつかった。
「大きなお世話よっ!!」「いだっ!!」
不意に殴られた上条は、白目を剥いて再び地面に崩れた。
先程の勝負でキム子には勝てないとわかっていながら、何故余計なことを言ってしまうのか? 思いついてしまった冗談は、言わずにはいられなくなるこの芸人気質に乾杯。
憧れはしないものの、拓人は上条のことを称賛した。心の中で。




