†chapter17 幻想のウィザード17
「あんた、魔術師のねーちゃんなんか?」
上条がそう聞くと少しの間の後、秘書の橋本は静かにその口を開いた。
「ええ。母親こそ違いますが、私たちは2人とも物部雲海の子供なんです」
橋本は差していた傘を閉じた。いつの間にか雨は止んでおり、西の空には僅かに青空が確認できた。
「異母姉弟いうやつか。魔術師は妾の子供なんか?」
「……はい」
橋本はゆっくりと頷くと、自分たちの関係を詳細に語った。
物部雲海の秘書、橋本真由美と魔術師こと楠裕太は2人とも物部の子供なのだが、それぞれ別の愛人に産ませた子供でお互いにその存在を知ることなくこれまで育ってきたのだという。
裕太は生まれてすぐに母親を病気で亡くし父親のことは何も知らずに母方の祖父母に育てられていたのだが、その祖父母も高齢だったため裕太がまだ小学校低学年の頃に亡くなってしまい、その後は煙たがれながらも親類の家を点々としていたらしい。
だがある時、親類の口から父である物部雲海の存在を知ることになり、幼い裕太は母と自分を捨てた雲海に復讐することを決意したというのだ。
そして数か月前、復讐のため雲海に近づいた裕太は、自分と同じ境遇にある姉が雲海の秘書になっているという事実を知ることになる。
「私も裕太と同じように物部に近づいたのですが、あの男は私のことなど覚えてもいませんでした。恐らく私の母も、星の数ほどいる愛人の中の1人に過ぎなかったのでしょう」
物部雲海の持つ人外の能力は、色を使い人の感情を操る術。それを利用すれば、沢山の愛人を作ることはそうむずかしくないのだろう。
「物部に近づいた私はあの男の秘書になったんです。それが復讐のためなのか、娘として認知してもらいたいだけなのかは正直今でもよくわかりません。ただ私は物部雲海がどんな最後を迎えるかこの目で見届けたいんです。あの男はきっと碌な死に方をしないでしょう。だから裕太には、そんな男のためにその手を汚してほしくないんです……」
橋本はそう言って俯くと、黒縁眼鏡のブリッジを押さえた。
「楠裕太、聞いたでしょ? 真由美さんは血の繋がるあなたに、これ以上道を踏み外してほしくないのよ!」
みくるの色違いの目に薄らと涙が滲む。母への復讐のため罪を犯し警察に捕まってしまった兄を持つみくるにとって、この2人のことは他人事に思えないのかもしれない。
しかしそんな真由美とみくるの想いも、今の魔術師の耳には届かないようだ。
「道を踏み外したのは誰のせいだっ! 僕だって普通の家に生まれて、普通の生活を送りたかった。行きたい学校にも通えず転校を繰り返し、友達だってできやしない。家にも学校にも居場所がない。僕にとってこの世界は、もはや絶望でしかないんだ!!」
魔術師が纏う炎が空高く炎上する。幻の炎なのに、大気を焦がす臭気が周囲に広がった。
あまりの迫力に周囲が静まり返る中、みくるは苛ついた表情でその口を開いた。
「あなたは一般家庭に生まれたら聖人君子にでもなっていたつもり? 自分の人生に絶望するのは勝手だけど、それを生い立ちのせいにするとかダサのよ! あなたの性格の歪みは父親のせいかもしんないけど、そんなことはあなた自身の資質でどうにかできる問題でしょ!」
みくるは言い切った。両親を亡くし児童養護施設で育った彼女のその台詞は、これ以上ないくらい重みのある言葉に聞こえた。少なくとも拓人にとっては。
そしてそれはみくるの生い立ちを知らない魔術師にとっても同じようだった。とっさに言い返すこともできずに、身を震わせみくるを睨みつけている。
「黙れ! お前何様のつもりだっ!!」
怒りに身体を燃やす魔術師が、みくるに向かって突っ込んでいく。
その炎が幻であるのだとわかっていても、出し抜けに来られては本能的に人はたじろいでしまうだろう。しかしみくるはそうはならなかった。襲いかかってきた魔術師の首根っこを上条が掴んでいたからだ。
幻術の炎は消され身動きの取れなくなった魔術師の傍らで、上条は不敵に笑った。
「若い奴らのがむしゃらさは嫌いやないで。けど、ほんまに強くなりたいんやったら、せめて引き際くらい見極められるようにならんとな」
「うっさいっ!! 僕はまだ負けてない!」
魔術師は上条の手を引き離すと、地面に落ちていたマッドクルーの落としたナイフを手に取った。接近した2人の間に赤い血が跳ねる。魔術師はナイフを掴むと同時に、上条の腕を斬りつけていた。
「はぁ、はぁ……。この血はリアルか、それとも幻か? あんたにはわかるか?」
魔術師はそう言って目を見開き、口角を上げた。余裕のない笑み。腕を斬りつけられた上条の額には脂汗が滲んでいる。
「これが幻なら、ほんまによくできた幻術なんやけどな……」
上条の腕は現実に負傷しているようだ。子供相手に少し追いこみが過ぎたらしい。
刃物に怯えた周りの人間たちが1歩身を引くと、次に魔術師は橋本に向かって刃を向けた。
「真由美さん。あんたあの男の秘書なのに、こんなことで油売ってて良いのか?」
そう言われた暫しの後、橋本の顔が薄く青褪めた。
「裕太、あなた何をするつもり……?」
裕太もまた青褪めた顔でチラリと後ろを振り返る。そして踵を返すと、タワーレコード渋谷店の脇を通るJRの高架下に向かって全速力で走り去った。




