†chapter17 幻想のウィザード01
絹糸のように細い雨が音も無く降り続いている。だが音が無いと言ってもそれは聞こえないだけで、実際にはシトシトかポツポツかわからないが鳴っているのかもしれない。ただ山田拓人が立っている渋谷ハチ公前広場では、12時を過ぎた辺りから政治家が拡声器を使用して宣伝活動をしているため、それらの音は全て掻き消されてしまっているのだ。
拓人は透明のビニール傘越しに空を見上げた。スクランブル交差点の向かいにあるキャピタル電力ビルの最上部が靄で霞んでいる。こんな天気の日は琉王のことをどうしても思い出してしまう。
「今、政治が最優先に取り組むべきことは亜種の人権を守り、その雇用を拡大することであります。亜種雇用対策法が出来て以降、亜種の雇用はどれほど増えたのでしょうか? 未だに大企業は亜種の雇用に対し消極的で、2年前に比べて僅か2.3%しか増えておりません!」
スピーカーから出てくるくぐもった声が、静かに落ちてくる雨と空気を揺らしている。傘も差さずに大声で演説をしているのは、スーツの上に派手な橙色のジャンパーを着た日本平等党の党員だ。彼らは亜種の権利確保を主な政策としている団体だったはず。
「雨なのに結構人が集まってるでしょ」
そう話しかけてきたのは、白いレインコートを着た貞清誠司だった。要人警護のためこの場にいるのだろうが、大きく股を広げその場に腰掛けてしまっている。この不良警官は怒られないのだろうか? 彼の後ろには紺のスーツに黒縁の大きな眼鏡を掛けた政治家の秘書らしき若い女性がいるのだが、特に気に留める様子も無く傘を差し悠然と立っている。
「この人、何て政治家?」
拓人が聞くと、貞清は口をへの字に曲げた。
「知らないんですか? 都知事選候補者の、物部雲海先生ですよ」
「もののべ?」
聞き覚えのある名前。まあ東京都知事選挙の候補者だというなら、名前くらい知っていてもおかしくはない。
「物部雲海先生は、デーンシング東京支部長、物部連山のお兄さんです」
そう言われ、拓人は「あっ」と声を上げる。
聞き覚えがあると思ったらそういうことだったか。宣伝用のワンボックスカーの上でマイクを握るその男にちらりと目を向ける。僅かに残っている髪は雨に濡れ頭皮に張り付き、その下に光る鋭い目は野心に満ち溢れている。確かに魔窟大楼で見た物部連山に瓜二つだ。
「弟がマフィアなのに兄貴は政治家なのか? えらい世の中だな」
「亡くなった物部連山自身も、以前は衆議院議員でしたからね。まあ昔からそうですが、暴力団と交際のない政党なんてないってことですよ」
貞清は周りに聞こえないように小声で呟く。しかし後ろにいる秘書には聞こえていたようで、左の眉だけがピクリと上がった。
「へぇ、弟の方も政治家だったのか?」
「はい。ですがある週刊誌に亜種である証拠と掴まれ、そのまま政界を引退しマフィアに身を落としたんですよ」貞清は言う。
人外の能力が覚醒した者は14日以内に役所に届け出なくてはならないのだが、戸籍に亜種と記載された人間は幾つかの社会的権利が制限されることがあった。例えば被選挙権を失ってしまうこと。亜種は如何なる場合に置いても、選挙に立候補することができないのだ。
「そうか、亜種は政治家になれないんだったな」
「ええ。ですが物部連山がそうであったように、亜種であることを届け出ずに政治活動をしている議員先生は少なくないです。まあそんなことは、わかる人間ならすぐわかってしまうものなんですがねぇ……」
貞清は意味ありげにそう言うと、見えもしない目でワンボックスカーの上にいる物部雲海を一瞥した。
「亜種の特殊な能力を仕事に生かすことが出来ればどんなに素晴らしいことでしょう。亜種の雇用を促進することこそが、景気回復の起爆剤なのであります!」
スピーカーから割れた声が響くと、聴衆から歓声が上がった。着ているジャンパーの色は悪趣味だが、物部雲海の演説は人心を掴んでいるようだ。
「あいつも亜種なのか?」
拓人も視線を動かす。橙色のジャンパーに、政党名が書かれた橙色の旗。ワンボックスカーに貼られた橙色の選挙ポスター。胡散臭さでいえばもはや大臣レベルだが、何故なのかあの男の言葉が気になって仕方ない。
「あまり凝視しない方が良いですよ。彼の能力の虜になってしまう」立ち上がった貞清が耳元でそっと言った。
「虜?」
慌てて視線を反らすと、頭の中を覆っていた霧のようなものがスッと消え失せた。天気は悪いが凄くすっきりした気分だ。
「何だ今の? 一瞬、自分の感情が消えた。というか感情が操られたみたいだった……?」
「聞いた話ですが、物部雲海先生は色の効果を最大限に引き出す能力を持っているらしいです」貞清は引き続きそう耳打ちする。
「なんじゃそりゃ? 赤い色に温かさを感じたり、青い色に冷たさを感じたりするみたいなことか?」
「そうです。色というものには人の心理的部分や生理的部分に影響を及ぼす効果があるらしく、暖色が気持ちを高ぶらせてくれたり、寒色が心を落ち着かせたりするんだそうですよ。まあ色のついた世界など久しく見ていない私にとっては関係のないことですがね」 貞清は顔を下げるとサングラスのブリッジを押さえた。
成程、その能力で感情をコントロールされてしまったのか。拓人は薄目で物部雲海の顔を見る。果たしてオレンジ色にはどんな効果があるのだろうか?
「亜種の人権問題は東京に限った事ではございません。この東京を皮切りに日本全国に亜種の雇用を拡大していきましょう。そして全ての国民が平等に暮らせる社会を作っていこうではありませんか。どうか皆さまの大きなご支援、よろしくお願い致します。ご清聴ありがとうございました」
物部雲海の演説が終わると、集まった人達が惜しみない拍手を送った。いずれも政治に興味がなさそうな若者ばかりだが、彼らは皆目を潤ませて手を叩いている。
「まるで若獅子みたいな能力だな。恐ろしい」
「そうですね。盲目的な信者ってのは怖いですね。盲目の私が言うのもなんですが……」
貞清のその自虐的な言葉に対し、返す言葉を困らせた拓人はただ曖昧な笑みを浮かべた。しかし目の見えない貞清に対し、そんなことをしても何の意味もないことだった。




