†chapter15 華の咲く場所03
大きな配膳ワゴンの陰に身を隠した拓人は、隙間から僅かに顔を出し琴音の様子を窺う。彼女の頭上に渦巻いていた冷気が、やがて10本の氷の矢へと形を成した。
「喰らえ、アイシクルアローッ!!」
聞き覚えのあるものより幾分低い声で琴音が叫ぶと、氷の矢は配膳ワゴンに向かって勢いよく襲いかかってきた。ワゴン側面のガラス戸が砕け、中の食事がメラミン製の食器ごと跳ね回っている。
「どうすんだよこれ?」
寒さに身を丸めた拓人は、ワゴンに背中を預け座り込んだ。琴音は次々と氷の矢を生成しては、ワゴンに向けて飛ばしてくる。上条もその場に座り込むと小さく両手を上げた。お手上げだと言いたいらしい。
氷の矢がぶつかるたびに巨大な配膳ワゴンが大きく揺れる。最早現状を打開するには琴音を叩きのめす以外に方法はないのかもしれない。だが情けないことに、男2人の力を持ってしても今の琴音には近づくことすらままならない状況だった。
「やれやれ、ガキ相手に手も足も出ないんじゃ世話ねぇな」
突然廊下の奥から、寝巻き姿の男がため息交じりに歩いて来た。
一瞬誰なのかわからなかったが、よくよく見てみるとそれはスコーピオンの犬塚だった。そういえばこの男もここに入院していたのだということを思い出す。長い入院生活で特徴的だったドレッドヘアーは少々崩れてしまっているが、焼け爛れた額に失った眉という凄味の効いた顔は相変わらずだ。
「おい犬塚、子供だと思って舐めてると氷漬けにされるぞ! 大体お前、銃で撃たれた背中は大丈夫なのかよっ!」
拓人は言ったが、犬塚は右手を軽く上げると少しだけ後ろを振り向いた。
「はぁ? 余裕だっつうの」
5本の氷の矢が犬塚に向かって一斉に襲いかかる。しかし犬塚が右手で前方に大きな円を描き炎の輪を出現させると、その氷の矢は一瞬で蒸発し跡形もなく消え去った。これは犬塚の『パイロキネシス』の能力だ。
「おおっ!!」上条が唸る。
琴音は近づいてくる犬塚に何度も氷の矢を放った。だがその攻撃は、ことごとく犬塚の赤き炎によって掻き消された。
「埒が明かねえ。少し眠って貰うぞ」
素早く背後を取った犬塚は、琴音の背中に手刀を喰らわす。琴音は「うっ!!」と声上げると、そのまま目を瞑り意識を失った。
「おい、無茶すんなよ!」
犬塚のおかげで事なきを得たわけが、幼児相手に少しやり過ぎだろうと拓人は憤る。しかし状況が状況だったためやむを得ないかと思い直し、上げた拳をそっと下ろした。
「そこまで強くやってないから、大丈夫だろ。たぶん」
ゆっくりと振り向くと犬塚は抑揚もなくそう言った。
ワゴンの陰から出てきた拓人と上条が琴音の元に歩いていくと、廊下の角に座っていた竹村亜樹も嗚咽を上げ駆け寄って来た。
「琴音、琴音ぇ……」
泣きつく竹村の横で、上条は琴音の顔の上に手のひらをかざす。
「大丈夫や。息はしとるみたいやし、とりあえず医者のおるとこに連れていくで」
上条が琴音を抱きかかえる。拓人もそれを手伝おうとするが、上条は1人大丈夫だとそれを制した。
「拓人。お前は犬塚に肩でも貸してやれ」上条は拓人に耳打ちする。
「何でだよ?」
拓人にそう聞かれると、上条は顎を使って犬塚の顔を見てみろとサインを送った。見ると犬塚は、火傷の痕が広がる額に大量の脂汗を滲ませていた。やはり銃弾を受けた時の傷が痛んでいるようだ。
「仕方ねぇな、病室に戻るぞ。どこの部屋だ?」
拓人は犬塚の右肩を持ち上げ自分の肩に乗せる。
「へへっ、わりぃな。真っすぐ行って突き当たりの部屋だ」
絶対に嫌悪感を抱くだろうと思ったが、犬塚は拓人の好意を素直に受け入れた。だいぶ無理をしているらしい。
琴音を抱えた上条は竹村亜樹と共にナースステーションの方に向かっていく。氷が解けているのだから、意識を失っただけなら時機に回復するだろう。拓人は犬塚の背中の傷が痛まぬように、ゆっくりと奥の病室に向かって歩いていった。
「聞いたぞ。お前らがうちの総長助けてくれたらしいな」
犬塚にそう言われ、拓人は少し気まずい思いになった。拓人自身、あの時不破を助けたつもりはなかったし、むしろあの事件の後死んでしまったのだと勝手に思いこんでいたくらいだからだ。
「不破の奴、生きてんのか?」
「当たり前だ。あの人の生命力はキョージン並だ。俺と一緒で、銃で撃たれたくらいじゃ死にやしねぇ。とはいえ、怪我の後遺症と薬物依存が酷いみたいだから引退は避けられないだろうがな」
「そうか、引退か……」拓人の頭の中にB-SIDE鳴瀬光国との会話が蘇る。
不破征四郎の引退。それはスコーピオンとB-SIDEが結んだ停戦協定が破棄されるということを意味していた。そうなれば渋谷は三大勢力を中心に大きな戦争に発展していくことになるだろう。
「そういうわけだからお前らに礼は言わねえぞ」
犬塚は顔を引きつらせにやりと笑った。痛みを耐えているためか酷くぎこちない笑みだ。
「いらねえよ。今日の件でチャラだ」
壁に突き刺さっていた氷の矢が、熱で崩れて床に落ちた。2人は濡れた床で滑らぬよう、病室に向かって静々と歩を進めた。




