†chapter15 華の咲く場所01
明治通りを歩く山田拓人は、先程から軽蔑の眼差しを向けている。隣を歩く上条圭介がにやついた顔で、鼻をひくひくと動かしていたからだ。お前は犬か?
「ああ、キンモクセイの香りや。もうすっかり秋って感じやな、拓人」
上条は深く呼吸する。現在は10月初旬。あれから半月しか経っていないのだが、拓人たちを取り巻く環境は大きく変化していた。デーンシングの事件は渋谷の住人にとって、それだけ大きな出来事だったのだ。
若獅子の死後、世界中にいたデーンシングの構成員は『ブレインウォッシング』の能力が解けると次々と組織から足を洗い、世界最大の犯罪組織は1週間も経たずに崩壊してしまったらしい。正直若獅子が殺されたとあっては単なる報復では済まされないだろうと危惧していたのだが、どうやら取り越し苦労で済んだようだ。
「好きなのか、この匂い?」
拓人はそのキンモクセイの木を探した。明治通りを左に曲がり宮益坂を上り始めたが、植物は街路樹のケヤキ以外は見つけることができなかった。
「この匂いを嗅ぐと、何となく小学校の時の遠足を思い出すんや」
「ふーん。圭介くんって、花の香りで風情を感じ取るような人種だったっけ?」
拓人はわざとらしく首を捻る。
「せやでぇ。花には人の心を癒す力があるっちゅうからなぁ」
上条はそれ以上に白々しい笑顔を振りまく。気色が悪いことこの上ない。
拓人はキンモクセイを見つけることを諦め、鼻から息を吸い込んだ。柑橘系の果物を砂糖で煮詰めたような甘い香りが鼻腔に染みていく。ただ匂いを嗅いで何かを思い出すほど、拓人はセンチメンタルではなかった。
宮益坂を東に移動する。坂を上がる度、キンモクセイの香りは薄れていった。今日はカタコンベ東京の楊に礼を言うために2人で魔窟大楼へ向かう予定なのだが、その前に琴音のお見舞いにも行こうという話になり現在その病院に向かっているところだ。彼女の母親、竹村亜樹の耳にもデーンシング崩壊のニュースは伝わっていると思うが、我々の口から直接話しておく必要もあるだろう。
「琴音ちゃんの氷、解けてるかな?」
拓人は病院の自動ドアの前で一瞬立ち止まる。
「さあなぁ、一応暴露の能力でどうすれば解凍出来るが暴こうとしたんやけど、結局あれは琴音ちゃんの心持ち次第みたいやで」
ガラスのドアが左右にスライドしたのを見計らい2人は歩き出す。ロビーには年配の方を中心とした多くの人たちが、椅子に座って大人しく会計の順番を待っていた。
「そういえば俺思ったんだけど、メビウスの発生装置があるようなおっきい病院なら琴音ちゃんも能力が使えなくなるから、氷が解けるんじゃないか?」
拓人の提案を受け、上条はただただ残念そうに嘆息をついた。
「拓人は相変わらずアホやなぁ。琴音ちゃんは能力のおかげで氷の中でも仮死状態にあるんやで。メビウスの影響で能力を失ったら、氷解前にその仮死状態が継続出来なくなって死んでまうやんか」
考えてみれば確かにその通りだった。上条の意見が全面的に正しい。ただアホは余計だ。
「なるほど。確かに一理あるな」
納得はしたが承服しかねる拓人は、つんとした態度でエレベーターのボタンを押す。琴音がいるのは3階のシャワー室だ。
「一理どころやない。それが真理や。だいたい拓人は考えが短絡的やねん。ええか、この世の出来事は全て原因があって結果があるんや。どういうことをしたらどういうことになるかいう因果関係は、常に考えてなあかんねんで」
上条の説教じみた言葉を受け、拓人は冷やかな顔で耳をほじった。
「俺に難しいこと言うなよ。じゃあ、もう1つ疑問があるんだけど良いか?」
「何や?」
ポーンと音が鳴りエレベーターの扉が開く、2人が乗り込むと扉は音もなく閉まった。
「みくるの母親や琴音ちゃんの母親は、何で若獅子の洗脳を受けなかったんだろうって話。みくるの母親は洗脳じゃなくて、恐怖で支配していたみたいだし、琴音ちゃんの母親も一緒にいたナカジーは洗脳されたのに彼女はされなかった。それは何か理由があるのか?」
拓人が問うと、上条は自分のこめかみを指で叩いた。
「若獅子は幹部クラスと戦闘系の亜種以外には、ブレインウォッシングは使わなかったらしいで」
「何でだ? 洗脳しちまった方が話が早いだろ?」
「せやな。まあここからは想像やけど、洗脳する人数に上限があったんかもしれんし、瞬間移動の能力みたいに体力と精神力を大幅に消耗するんかもしれん。ただ聞くところによると、若獅子は女には手を出さへんかったっちゅう話もあるんや」
拓人は顔をしかめる。「何それ? 素肌の上にファーコート着てるような奴がジェントルマンだったってことか?」
「どうなんやろな? 奴がブレインウォッシングを使うには噛みついたりして自分の体液を相手の血液に混入させる必要があったみたいやねんけど、若獅子はどういうわけか女性に噛みつくんができんかったらしいんや。ゲイやったから女性に噛みつくことが嫌やったのかもしれんし、もしくは極度のマザコンで大人の女性を傷つけることに抵抗があったのかもしれん」
「結局、圭介くんもわかんねえんだろ?」
「暴露の能力使う前に若獅子が死んでもうたから、今となっては真相はわからんなぁ」
上条は鼻から息を出し、エレベーターの階数表示に目を向ける。丁度目的の3階のランプが点灯したところだ。
再びポーンと音が鳴り扉が開く。拓人は降りようと足を踏み出すと、奥の方から罵声とも悲鳴とも取れるような声が聞こえてきた。




