覚悟しろよ
「――それは!」
ユリウスが勢いよく立ち上がったおかげでソファーの振動に再び見舞われ、ディアナは眩暈をこらえて深呼吸をした。
「ディアナがずっと指輪を見ていたし、あいつが指輪にキスしていたから……」
「指輪を見ていたのは、なかなか外れない上に危険だから。恨みの視線よ。それにトビアス様は、別に指輪にキスしたわけじゃないわ」
それにキス自体が不意打ちの事故のようなものだ。
「……以前に、アクセサリーを一緒に見たことがあっただろう?」
そんな素敵な出来事があっただろうかと記憶を探るが、少なくともユリウスと二人でアクセサリーを見たことなどない。
というか、そもそも王都に来てアクセサリーを見たこと自体がほとんどない。
「ララと一緒にお店に入った時のこと?」
「あの時、ディアナに指輪をプレゼントしようかって言ったの、憶えているか?」
ディアナはうなずく。
まさかの言葉にときめいて、静電気を飛ばしたはずだ。
「俺、結構本気で言ったんだぞ。でも、おまえにはあしらわれるし。しかも貰った指輪があるからいらないって。……あれはショックだった」
そう言われても、ディアナもそれどころではなかったし、何よりユリウスにからかわれているのだとばかり思っていた。
「その指輪にキスしているということは、トビアスに貰ったんだろうって思ったんだ。嫉妬だよ。……結局、俺は子供だな」
「トビアス様とは何にもないわ。大体、ユリウスがいる時しか会ったこともないし。……信じてくれる?」
「うん。ごめん」
話が通じた、信じてもらえた。
ただそれだけで、心にかかっていた靄がすっと晴れていくような気がした。
「良かった。……じゃあ、ちょっと十日ほど領地に行くから、よろしくね」
ソファーに横になったまま手を振ると、ユリウスは肩を落として首を振った。
「それで。ディアナは俺にときめいたのか?」
「――へ?」
突然の酷い質問に、妙な声が出てしまう。
「俺は、ときめいたよ」
「――は?」
追い打ちをかける言葉に、ディアナは開いた口が塞がらない。
何度も瞬きをしていると、横になったディアナの前にユリウスがひざまずいた。
「ディアナに初めて会った時からずっと、ときめいている」
端正な顔立ちの美少年が、随分と乙女なことを言い出した。
「……か、顔が真っ赤よ」
ディアナの指摘に手で口元を覆っているが、顔全体が赤いのだからまったく隠せていない。
「仕方ないだろう。こっちだって恥ずかしいんだよ」
「じゃあ、やめようよ。十日後にしよう。十日後に」
領地で十日間の心の休養の後に、話し合おうではないか。
素晴らしい提案だと思うのだが、ユリウスは首を縦に振ってはくれない。
「だから駄目だって、ここでおまえに逃げられたら、俺もう我慢できないからな」
「さ、更に顔が真っ赤よ」
「……誰のせいだよ」
そう言って若草色の瞳に見つめられれば、ディアナの頬も赤く染まってしまう。
「俺、小さい頃におまえに『可愛くない』って言っただろう?」
そう、言われた。
あれは、ディアナが初恋に敗れた記念すべき日である。
ユリウスの顔は記憶がおぼろげになっても、あの言葉だけは忘れていない。
「あの時は、兄さん達にからかわれていたんだ。ディアナのことが好きなの、バレバレだったらしくて。それで恥ずかしくて思わず言ったんだ」
そこまで言うと、ユリウスは小さく息をついた。
「ディアナの顔を見て、傷つけたんだってすぐにわかった。でも、子供だったからその場ですぐには謝れなくて。……次の日、謝ろうと思ったんだ。そうしたら、会えなくて。暫くしておまえが領地に行ったと聞いた」
あの時は領地に行く母に同行したのだが、急に一緒に行くと言って家族を困らせたのを思い出した。
懐かしくて笑みが浮かびそうなディアナとは対照的に、ユリウスの表情は曇っている
「俺はまだ子供だったから、ディアナが帰ってくるのを待つことしかできなかった。今度会ったら謝ろうと思って……なのに、十年も領地から出てこなかった。手紙でも良かったのかもしれないが、直接会って謝りたかったのが裏目に出た。俺のせいだとは思ったが、会いたいのは俺だけかと思ったらイライラして、おまえをからかった。……結局、子供だな。俺」
「あれは……ショックだったけれど。でも別に、十年領地にいたのはそのせいだけじゃないわ。それに、王都にだって来たことはあるし」
ユリウスのせいだけで引きこもっていたわけではないと伝えたつもりだったが、何故か表情は曇ったままだ。
「一年前、だろう? あれも、結構ショックなんだけど」
「何が?」
よくわからず首を傾げると、ユリウスは少しうつむいた。
「王都に来たなら、うちはすぐ隣だ。なのに、来ていることも教えてくれないし、会ってもくれないし。俺のことはもうどうでもいいのかと思うだろう? しかも、社交を一切していないならまだしも、領地では夜会にも出ていたなんて。……他の男と踊っていると思っただけで、イライラしたよ」
「だって、ユリウスは私のことを嫌いなんだと思っていたし。交流もないのにわざわざ行かないわよ。それに、ユリウスだって色んな女性と踊ったでしょう? 同じことよ」
年頃の貴族の子女が夜会やお茶会で親交を深めるのは、必ずしもお相手探しというわけではない。
特にディアナの場合には、レーメルのお得意様との接待という意味で踊っていたのだ。
モテモテだったらしいユリウスと、一緒にしないでほしい。
「それはそうなんだけど、違うんだよ」
「何がよ。女性を侍らせているって聞いたわよ?」
「ああ、もう……」
ユリウスはひざまずいたままの姿勢でくしゃくしゃと頭を掻くと、大きなため息をついた。
珍しい様子をしっかりと見ようと、ディアナはゆっくりと上体を起こす。
目の前にユリウスの顔があるのは、何だか変な感じだ。
すると、顔を上げたユリウスがまっすぐにディアナを見つめた。
「――俺は、昔からディアナが好きなの。上手く伝えられないどころか傷つけることを言ったのは、謝る。俺が悪かった。だから、これからは俺のことを見てほしい。……友達からでいいから」
必死と言っていい表情に、ディアナは数度瞬きをした。
「――嫌よ」
「な!」
顎が外れそうな勢いでショックを受けているユリウスに、少しばかり苦笑する。
「十年も離れていて、ようやく話が通じたのよ? それこそ待てないわ。――恋人でお願い」
一瞬、ユリウスは呆気にとられたように目を丸くする。
次いでディアナに手を伸ばすと、眼鏡を外してテーブルに乗せた。
「……顔、真っ赤だぞ」
「誰のせいよ」
ディアナが唇を尖らせると、若草色の瞳が細められた。
「俺だな」
ユリウスは微笑むと、ディアナの左手をすくい取り、その甲に口づけを落とす。
「……十年、待ったからな。十年分の想いだ。――覚悟しろよ」
挑むような強い眼差しに、思わず息を呑んでしまう。
「――望むところよ」
精一杯胸を張るディアナを見て微笑んだユリウスは、そっと頬に触れ、そのままゆっくりと唇を重ねた。
これで「初恋魔女」は完結です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
明日からは新作の連載を開始します。
タイトルは「聖女候補ですが、神の試練が『ツンデレ』です」です。
新作のテーマは「ツンデレ」「聖女」
それに加えて、イケオジと美少年、孤児、身分差、ひとめぼれ、加齢臭といった要素が入ります。
今夜の活動報告であらすじを紹介します。
よろしければ、ご覧ください。







