55.好きになった途端に終わる恋 〜ファビウス〜
ファビウス視点です。こちらと次話で終わり。
ジョイス・サーラ
ルーナ国の騎士でその名を知らぬ者はいない。
平民女性でありながら騎士となり、騎士団長まで上り詰めた人である。
女性とは思えない高い身長から繰り出される剣はしなやかで強く、多くの男性騎士を圧倒した。性格は細やかさの中に豪胆さもあり、情に厚く世話焼きだったので同性からはもちろん、異性からも慕われた。
そんなジョイスが複数の求婚者の中から、彼女より背が低く、騎士でもない甘い顔立ちの伯爵令息を伴侶に選んだのは当時の王国では大きな話題となった。
さらにその後、一人目の男児を産んだ後で騎士に復帰したのもかなりの驚きを持って迎えられた。
しかもジョイスが騎士団長となったのはこの復帰後で団長を務める間にもう一人の男児を出産した。それらは二十数年経った今でも偉業として語り継がれている。
そんなジョイスがファビウスの母であり。ファビウスはジョイスが産んだ二人目の男児だ。
サーラ伯爵家の次男ファビウス・サーラにとって女性とは大きくて強い者だった。
一番身近な女性が母ジョイスだったせいもあるが、幼いファビウスの遊び相手となった伯爵家の侍女達が全員、退役した女性騎士で皆屈強だったからでもある。
侍女達はファビウスを軽々と持ち上げてかなり荒々しい遊びをしてくれたし、父や執事よりも背が高くがっちりしていた。
ファビウスはジョイスが大好きだったし、侍女達のことも大好きだった。そして尊敬する父が愛するのも母であった。
だからファビウスの恋愛対象が自分より強い女になるのはごくごく自然な流れだったのだ。
初恋は六才の時。
相手はサーラ家に居候することになった二つ年上の血の繋がらない従姉妹。アッシュグレイのさらさらの髪をしたその女の子は初対面でファビウスに剣の試合を申し込んできた。
後から知ったのだが、従姉妹のカリン・ネザーランドはジョイスがネザーランド家の近くに遠征に行った際に何度か手ほどきを受け、ジョイスに心酔していたらしい。
そして勝手にジョイスの息子であるファビウスと兄に対して敵愾心を燃やしていたのだ。ファビウスより六つ年上の兄はこの時既に寄宿学校の寮に入っていたので、カリンの燃える心はファビウスへと叩きつけられた。
カリンは見た目はやたらと可愛い華奢な女の子だった。背丈だって二つ年下のファビウスと同じくらいしかなかった。だからファビウスは軽い気持ちでカリンと手合わせをして、あっという間に完膚なきまでに負けた。
彼女の剣はびっくりするくらいに速く重かった。
六才のファビウスは稲妻に打たれたようなショックを受ける。屈辱のショックではない。恋のショックである。
「参りました」と呟いた後には八才のカリンの前に跪き「僕と結婚してください」とプロポーズした。
この光景は二人の打ち合いを微笑ましく見守っていたサーラ家の侍女達にも目撃されていたので、ファビウスは後年ずっとひやかされることとなる。
因みに結果は玉砕だった。
カリンは驚きで目をまん丸にした後に「私より強い男でないと結婚はしない」と断ってきたのだ。
物凄く悲しかった。ファビウスはがっくりと項垂れる。
「お前、女に負けて悔しくないのか?」
打ちひしがれるファビウスにカリンがそう続ける。とても怪訝そうな顔だ。
「僕は母上みたいな強い女の人が好きなんだ」
「ふーん…………でも私だって、ジョーおばさんみたいな強い男がいい」
カリンが納得した顔になってそう言い、ファビウスはそれは尤もだと思った。
「じゃあ、僕がカリン嬢より強くなったら結婚してくれる?」
初恋を諦めきれなくてファビウスは粘ってみた。
カリンが不敵に笑う。だが親しみのこもった笑顔でもあった。彼女はファビウスと剣を合わせ、心酔する人は同じなのだと分かり、同士と認めてくれたようだ。
「いいぞ。私のことはリンでいい」
跪いたままのファビウスに手が差し出される。ファビウスも笑顔でその手を取った。
その後、ファビウスは初恋を手に入れる為に精進したのだがリンには全然勝てなかった。
結婚をかけた勝負は何百回としたが全く勝てなかった。
勝負はいつしか一本勝負から十本勝負となり、十本の内、ファビウスが一本でも取れたら結婚するというものにまでなったのだがファビウスは勝てなかった。
大人になったファビウスは、あの時、自分とリンの年齢が逆だったならあるいは、とも考える。
そうなるとどこかの時点でファビウスの方が背が高くなり、有利になったかもしれない、と。
(…………いやいや)
城の廊下を歩きながらファビウスはひらひらと手を振ってその考えを押しやった。
仮にそうだとして身長差で女の子に勝つってどうなんだ。そのプロポーズは成立しないだろう。幼い自分がそれをよしとしたとも思えない。
それに十六才で成人を迎えて以降のファビウスは女としてリンを望んだりはしていない。
勝負に負け続けて諦めたというのもあるが、子供の頃から数え切れないほど剣を合わせてきたリンはもはや肉親同然となっていた。
リンの方でもそれは察していたようだし、彼女も同じ思いだったのだと思う。だからファビウスと恋仲だと噂されても否定しなかったのだろう。
着実に名をあげていくリンには煩わしいことも多かったはずで、ファビウスの実家のサーラ伯爵家は力のある家門だからそれなりの風除けにもなった。
ファビウスとしても、自分の恋人だということでリンの面倒が減るなら、と否定はしなかった。
互いに恋愛感情なしの強い親愛があったからこそ、二人とも噂されるのは全然平気だったのだ。
だからリンが前国王にサンズへ降伏するよう説得すると言い出した時は本気で止めたし、リンを残して辺境へ行った時は毎日身の千切れる思いだった。
サンズの兵とともに城に戻り地下牢から助け出されたリンを見た時は、その姿に体が震えた。リンは明らかに痩せてボロボロだったからだ。囚人が着る貫頭衣は血塗れでそこから覗く足は裸足だった。
本人がピンピンしているので、血はすぐに看守の返り血だと気付いたが、逆に言えば看守はサンズの騎士に叩き切られるような所業をリンにしていたことになる。
飄々としているリンにファビウスは何も聞けず、大切な従姉妹を清める気持ちでその足の甲に敬意を送った。
本当にすごい女で騎士だと心から思った。
リンが初恋の相手でよかったと思う。
がっかりしたことは一度もなかった。六才の自分の女を見る目は確かだったのだ。
リンは地下牢からの生還後、みるみる回復しファビウスと共にルーナの建て直しに奔走し、なんとサンズの将軍イーサン・ランカスターを捕まえて結婚した。
(捕まえてというよりは、捕まった、かな?)
ファビウスは赤い髪の大柄な男を思い出して苦笑する。
イーサンは辺境の地でファビウスに会った瞬間から、嫉妬や敵愾心を露わにしてきた。
二人の馴れ初めを詳しくは聞いていないが、リンが捕まったのかもしれない。
(さて……)
ファビウスはそこでつらつらと思い出していた初恋についての考えを打ち切って、たどり着いた執務室の扉を見つめた。
ぼんやりと初恋を思い出したのは、今から二度目の恋の相手と久しぶりに面会するからだろう。
因みにこちらの恋も破れ済みだ。残っているのは敬愛だけである。
(俺、好きになった途端に終わってばかりだな)
ファビウスは自嘲気味に笑ってから扉をノックした。中から返事がありファビウスは部屋へと入る。
「サーラ団長」
執務机の向こうから焦げ茶色の瞳が自分を見上げてきた。
「ファビウス・サーラが参りました。女王陛下に挨拶申し上げます」
ファビウスは騎士の礼をして女王ルイーゼに敬意をはらった。




