2.女神
ぱちり、とリンは目を覚ました。
まずは冷静に息を殺して、目だけを動かす。
白い漆喰の天井だ。
自分が居たはずの捕虜の大部屋は石造りだったはずだ。
どこだ、ここは?
くるりと首を回すと、そこは小振りな客間のような部屋だった。
リンはベッドに寝かされている。
部屋の隅には侍女が座っていて、リンと目が合った。
「よかった、お目覚めですね」
侍女はほっとしたように言うと、水を入れてくれた。
「医師の話では、おそらく貧血で倒れられたとの事です。月のものも始まっていましたので、勝手ながら私が身を清めさせていただきました」
侍女の言葉にリンは頭を抱えたくなったが、何とか堪えた。
「ありがとう」
ハスキーな声で礼を言い、水を飲む。
喉がカラカラだったようだ、とても美味しい。
飲み干すと侍女はすぐにお代わりを入れてくれた。
「何か食べた方が良いでしょう。これからお持ちしますね。閣下にも知らせて参ります」
侍女はそう言って一旦下がった。
リンが2杯目の水を飲んでいると、扉が開いて赤茶色の髪をなびかせた大柄な騎士が入ってきた。
団長の証の飾りマントを身に付けた精悍な顔のその騎士は、扉を半分開けたままにしている。
バレているようだ。
医師の診察に侍女による着替え、加えて多分演習場で出血もした。
まあ、バレてるな。
「なぜ性別を偽った?」
険しい顔で赤茶色の髪の騎士イーサンはまずそう聞いてきた。
きれいにリンが女だと気付いているらしい。
「偽ってない。そもそも聞かれていない」
しれっと答えるとイーサンが眉を寄せる。
「申告するべきだろう、女を男達と雑魚寝させてたなんて規律に関わる」
「別によろしくはやってないぞ?」
「当たり前だ!」
ぐわっとイーサンが怒鳴る。リンはわざとらしく耳を押さえた。
「大声は止めてくれ、頭に響く。私は病人なんだぞ。そもそも誰も私を女だなんて疑ってなかったから問題はない。閣下も気付かずに本気で打ち込んできたじゃないか」
「それだけ平坦では気付ける訳ないだろう! 尻も薄い……」
怒鳴った勢いのままイーサンは言い“尻”の辺りではっとなって口をつぐんだ。
サンズの赤獅子将軍と言えば、生まれは祖国の公爵家次男だったはずだ。
育ちが高貴なのである。
本人を前にして、尻を触ったことを言ってしまい気まずくなったようだ。
リンとしては全然平気である。
おそらくイーサンは倒れた自分を抱えただけだ。
国の式典でいやらしい目つきでリンの足を見てくるクソな貴族に比べれば何でもない。
少々揶揄かってやろうかと思うくらいだったが、本筋から外れそうなのでそれは止めた。
「うるさいなあ。胸はサラシで潰しているんだ。確かに元々小さいが、こういうのが好きな奴もいるぞ」
「好みの話はしていない。いいか、国際法で捕虜の扱いに関して、女の騎士や兵士は男と同じ場所で生活させてはならない、と決まっているんだ」
イーサンは頬を赤くして怒り出した。
イーサンの様子にひょっとしてこいつは自分の胸を見たのだろうか、とリンは考える。
だが、それもまあ、平気だ。
傷の手当ての時などは性別なんて言ってられないので見られたことはある。
大体、乙女でもない。
「特別扱いは嫌いなんだ」
「特別扱いとかの話ではない!…はあ、もういい、それで、お前の名は?」
「リンだが?」
「本名と、家名を聞いているんだ」
リンはイーサンを窺う。
かなりイライラしているようだ。
「そっちもバレている感じか?」
「ああ! 俺と互角にやり合ったんだぞ? 強さはサンズ国内では五指に入る俺とだ。無名の騎士な訳がないだろう。自分で名乗れ」
「互角? 私が押してたよな?」
あんまりイライラしているので、つい揶揄かってしまった。
「捕虜の少年に本気なんか出せるか!」
予想通りの雷が落ちる。
真っ直ぐというか、単純な奴だ。
赤獅子は確か自分と同い年で、26才だったとリンは記憶しているが子供みたいだ。これなら部下達から散々血気盛んだと言われているリンの方がまだ落ち着きがある、と思う。たぶん。
リンは自然と自分の頰が緩むのを感じた。
この城に捕虜として紛れ込んでからは気の滅入る事が多かったが、イーサンとのやり取りはリンを久しぶりに楽しい気分にさせた。
「ははっ、むきになるなよ。私とタイマンであれだけやり合えれば充分だ。閣下の予想通りだよ。申し遅れたな、カリン・ネザーランドだ」
リンは笑って手を差し出してみたが、無視された。
「やはり、女神か」
重々しくイーサンが言う。
「女神は止めてくれ」
リンの戦場での渾名は“女神”だ。
祖国のルーナ国では団長を拝命し、軍神として崇められている女騎士である。もちろんリンは女神という渾名を気に入ってはいない。女神なんて柄じゃないのだ。
「今まで私に勝てたのは、1人か、2人、かな?だから気に病むな」
「負けてはいない」
「私が倒れてなかったら、私が勝ってたと思うなあ」
「倒れるのが悪い、大体、己の健康管理も騎士の努め……いや、今のは完全に失言だった。すまない」
イーサンが目を伏せる。
まあ確かに、女性の月のものは管理出来ない。素直に謝罪するイーサンをリンはますます好ましく感じた。
「謝るなよ。むしろ、全く女扱いしてくれてないのは嬉しいよ」
「女扱いしてない訳ではない!」
フォローしたつもりだったのに真っ赤になって怒られた。
そこへ控えめなノックがして、侍女が食事を持ってきた。
「まずは食え。食ってしばらくしたらまた来る。カリン・ネザーランド、お前を尋問する事になる。心構えをしておけ」
「尋問?」
「惚けるな、ルーナ国の女神が捕虜に落ちるわけがないだろう。わざと捕まったな? 目的をはいてもらう」
「食事を待つなんて悠長だな」
「一刻を争う事案でないなら捕虜の心身の健康が優先される、国際法にも書いてある。この部屋は貴賓牢で監視も付いている。変な真似はするなよ」
「しないよ」
その気はとっくに失せていた。
「お前が変な真似をすれば、ルーナの捕虜の扱いを考え直すことになる」
「そんな事したら国際法にふれるぞ。似合わない脅しをするなよ」
「はっ、そちらは一切守ってないだろう?」
イーサンの言葉は胸に突き刺さったが、リンは顔には出さないようにした。
「私にそれを言われてもなあ。では、ありがたくいただくぞ、また後で」
リンはさっそく食事に手を付けながらイーサンに手を振り、イーサンは足早に部屋を出ていった。
「閣下って、いい人なんですか?」
残された侍女に聞いてみると、侍女はにっこりして「はい」と答える。
リンはあの男が出世しているような国に負けるのなら、それもいいか、と、久しぶりに晴れやかな気持ちで食事を食べた。




