Part.5 Thursday Midnight Lovers(1)
2-5-(1)
部屋に閉じこめられたまま、ミッキーは退屈な日々を過ごしていた。
腕時計も――ミッキーは、これが正確であることにいつも絶対の自信を持っていたが、あまりの退屈さに失調をきたしたらしい。秒刻みの時間は異様にはやく過ぎ、気がつくと閉じ込められて三日目、木曜日の午前六時を示していた。
朝食の仕度とコーヒーの幻で目が醒めても、ミッキーは落胆などしなかった。煙草は残り少なくなり、シャワーを浴びたくなっていても、あくまで泰然自若を装っていた。
心配はしないことにしていた。心配を始めると、それこそキリがないからだ。殺風景な部屋の中をいつ覗かれているとも知れない。
故に、ミッキーは低血圧の恩恵にあずかって、朝はのんびり横になっていることにした。眼は醒めていても眠っているふりをする。朝食が来る午前七時になってから起き上がった。狭い部屋の中で、ベッド代わりのソファーに腰掛けてゆっくり伸びをする。既に上着は脱ぎ、ネクタイも外してシャツとズボンだけになっている(手錠を外してはもらえなかったが、それくらいは許可されていた)。ストレッチをしていると、鍵を開ける音がした。
ミッキーは運動を中止した。例の赤毛の女性が、いつも通りパンとコーヒーを盆に載せて入って来る。
「おはよう、レナ」
ミッキーはにこやかに微笑んだ。
「今朝は、何分間の余裕がある?」
あれから、ターナー氏は全く姿を見せなかった。愛想の良いアイザックとドウエル教授の顔をちらりと見ただけなので、ミッキーは気にしていた。アイザックの仲間は、どこへ行ったのだろう。地下にいた大勢の人影は。《SHIO》 はどうなっているのか。一切、判らなかった。
ミッキーの退屈と緊張を紛らわせてくれるのは、ただ一人、脳にコンピューターを埋めこまれた彼女だけだった。
《LENA・F56》 と名乗った彼女は、人間らしい感情の動きを全く表さなかったが――それが、アイザックには全く気に入らないらしいが。――顔を合わせる度に、ミッキーはせっせと話し掛けた。
この娘を連れて行こう。そう、彼は考えていた。
彼女が心を開いてくれたら、脱出に手を貸してくれるかもしれない。そうなったら、ラグ・ド・グレーヴスの所へ連れて行こう。あの男なら、彼女を救う方法を知っているかもしれない。
それで、ミッキーは、およそくだらないと思えることでも話題を作って話し掛けた。最近流行りの音楽から、政治の話、料理の好み、彼には苦手な女性のファッションについても。
昨夜は、こんなことまで訊いてみた。
「おれのこと、どう思う?」
レナは澄んだ琥珀色の瞳に何の感情も浮かべず、彼を見返した。
「質問の内容が理解できません。注釈をお願いします」
「OK.おれの顔の造作について、きみの意見を聞かせて欲しいな」
ミッキーは、悪戯めいた気持ちで訊ねた。レナは数秒間かれを凝視めたのち、淡々と答えた。
「整形医学的基準からは、92.45%良好だと思われます」
「I see. その基準って、何だい?」
ミッキーは苦笑したが、レナは静かに瞬きをした。
「貴方には、77.25%地球人の北東アジア系集団の遺伝情報が存在していると推測されます。鼻梁が細く、0.16パイ・ラジアン程アジア系の平均値より高いので、北西ヨーロッパ系の遺伝情報も存在している可能性があります。他集団の可能性も7.55%存在しています。北東アジア系としては、表皮のメラニン色素含量が平均より15.62%少ない為、紫外線障害を生じる可能性があります。視覚的には輪郭線を細く見せる効果があり、観賞に際して効果的です」
「……そいつは、どうも」
「整形医学的基準によると、貴方の顔面は、約一メートルの距離から仰角0.61パイ・ラジアンで見た際、前髪の生え際から眉根、眉根から鼻の先端、鼻の先端から下顎角まで、三等分することが出来、94.85%左右対称です。これは人種を問わず、地球人としては理想的な表現型です」
「……ずいぶん誉めてくれたけれど、」
ミッキーは、堪らずにくっくっ笑い出した。
「マイナス7.55%は、どこから出てくるんだい?」
「質問の内容が理解できません」
単調にくりかえすレナを少なからぬ同情をこめて見詰め、ミッキーは、幼児に教えるごとく言った。
「きみはさっき、92.45%良好だと言ったね。あれは、どういう意味なんだい」
「予測不可能な条件を差し引いた結果です」
「その『予測不可能な条件』とは、何だい?」
レナは沈黙した。瞳がかすかに揺れたが、表情の変化には至らなかった。
「整形医学的基準といえ、結論を下すのは人間です。私には、人間の個人的判断の一部は予測できません」
「その『個人的判断の一部』っていうのは、何だい?」
やっとこの言葉が出てきた。ミッキーはほっとして訊ねたが、案の定、レナは黙りこんでしまった。それでも、彼女の感情はうかがえない。
「おれが答えよう。個人の好みって奴だろう? こういう顔を気に入るか入らないかという。コンピューターの予測を超えるだろうし、条件と結果だけでは、判断できないだろうな。――おれが聴きたいのは、きみの好みなんだけど」
「私に『好み』というものは、ありません」
平静に応えるレナ。ミッキーは唇を歪めた。
「私のシステムに、その概念はインプットされていません。単語の意味は理解できますが、判断は不可能です。他の質問をお願いします」
「どうして。きみは人間だろう?」
ミッキーは哀しくなった。やはり、駄目なのか……。目の前の彼女が、どうしようもなく憐れに思われた。
レナは答える。
「私は人間です」
「…………」
「宇宙生物学的分類上、私は、ラウル星の知的生命体の遺伝子を持っています。私の身体はラウル星人です」
「では、心は?」
苦々しい思いで、ミッキーは訊ねた。レナの透明な瞳が、まっすぐ彼を映した。
「質問の内容が理解できません」
「……きみが、自分を人間だと言うのなら。きみにとって、心はどんなものなんだい? インプットされた情報と予測される計算の結果が全てなのか。きみは――」
「質問の内容が理解できません」
レナは同じ台詞を繰り返した。同じ口調で。ミッキーは我に返った。
彼女のせいではない……。
昨夜はそこまでだった。今朝は何分間余裕があるか訊ねると、彼女は『二分十五秒』と答えた。――どうやら、昨夜しゃべり過ぎたらしい。アイザックか誰かが、彼女に余計なことは話すなと命じたのだろうか。
さて、どうしよう。
ミッキーは彼女の足元を見下ろし、あることに気づいて眉根を寄せた。
「ちょっと失礼」
ソファーの傍らにトレイを置いた彼女の手首を掴み、ぐいと引っ張った。なるべく丁寧にしたつもりだったが、レナはつんのめり、棒のようにソファーに顔を突っこんだ。驚いた風もなく身を起こす彼女をそこに座らせ、ミッキーは足元に座りこんだ。
黒いスカートから白くほっそりとした脚が生えている。彼は床に片方の膝をつき、彼女の片足をそこへ乗せ、そっと靴を脱がせた。ストッキングを履いた脚にくっきり靴跡が残る程の浮腫をみつけ、眉を曇らせた。
「きみ、一日どれくらい立っているんだい?」
「平均18時間32分04秒です」
「何だって?」
ミッキーは目をまるくした。
自分が彼女に出会ってから、今日で三日目だ。その間の平均が十八時間半だとしても、殆ど一日中、立ち続けていることになる。そんなことが、あっていいのか?
「……正直に答えてくれよ」
そんなことを言わなくとも、彼女に嘘がつけないことは明白だったが。
「奴らは――アイザックやターナーは、きみをどんな風に扱っているんだい?」
「指示をしています。例示が必要ですか?」
「ああ」
「『これを上の部屋へ運び、ソファーの上に置いて戻ってくるように。全行程を三分以内で終了させろ』、『我われの行動を遮らないように、立っていろ』」
「……で。一日中でも、立ちんぼをしているってわけか」
ミッキーは唇を噛んだ。怒りがむくむくと頭を持ち上げてくる。ふと思いついて訊いた。
「食事は? 一日何回? 何を食べている?」
「一日二回。こちらへ運んだ後で、同じ内容の食物を摂取しています。アイザックと他の二名も同様です」
すると、下にいるのはたった三人なのだ。ミッキーは心の底でこの情報を喜びながらも、舌打ちした。
何てことだ。だから、こんな所に浮腫が出来るのだ。女性を一日十八時間、ずっと立たせておくなんて。この娘がコンピューターで、文句を言わなければ疲れたとも言わないので、気が付かないのだろうか。
おまけに、一日たった二回の食事がパンとコーヒーだけとは何事だ? この年頃の女性には、鉄分とビタミンとカルシウムが絶対必要なのに。
ふいに、ミッキーは深い同情を覚えた。彼女に靴を履かせながら、
「アシモフのロボット三原則を知っているかい?」
「いいえ」
彼女はロボットというよりサイボーグだが、構わないだろう。ミッキーは穏やかに言った。
「ロボット三原則……第一条、ロボットは、人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。……第二条、ロボットは、人間によって与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りではない。……第三条、ロボットは、第一条及び第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。古典SF作家アシモフの創った不朽の三か条さ。今すぐ覚えるんだ」
「記録しました」
こういうところは、人間より便利なんだが……。ミッキーは、念の為に彼女に暗唱させた。
「OK. 今からきみはその三原則に従って行動するんだ。命令に従うより、まず自分の身体を守ること。いいね?」
「その命令はどの程度の期間に渡り、どれ程の優先力を持ちますか?」
ミッキーは遂に笑い出した。
「全てに最優先。期間は、おれがもう忘れていいと言うまでだ。OK?」
「判りました」
彼女が頷いたのを見て、ミッキーは溜め息をついた。
アシモフの三原則は、実際にロボットを扱う際は禁じ手だ。AIに与える命令としては、曖昧すぎる故に。――例えば、『危害』という語の示す範囲が広すぎて、AIはフリーズしてしまう。しかし、レナの行動を観察する限り、一般家庭用の家事AI 程度のカスタマイズはされているらしいから、大丈夫だろう。……あとは食事だ。
ミッキーは立ち上がり、手錠のかかった腕を胸の前でかろうじて組んだ。別に、階下にいる男どもの健康まで心配してやる義理はないのだが、このままでは自分もダウンしてしまいそうだ。何か良い方法がないかと思案するミッキーを、レナはしばしの間じっと見詰めていた。
ミッキーは、彼女が自我を取り戻したのかとあわい期待を抱き、琥珀色の瞳に微笑みかけた。
その時、せっかくの逢瀬に邪魔が入った。扉をさっと開けて、アイザックがイタチ顔を覗かせたのだ。
「何をしている? レナ。すぐに戻れと言ったろう」
「…………!」
コンピューターが、命令を破ったことに対する混乱を起こした。ミッキーが『全てに最優先』と言ったことが仇になったらしい。フリーズする彼女を、ミッキーは庇った。
「そうカッカするなよ、兄さん。血圧が上がるぜ」
「貴様に『兄さん』などと呼ばれる筋合いはない」
彼はよほどミッキーが嫌いらしい。イタチ顔をネズミのように縮めて異議を申し立てた。
「捕虜のくせに、少しは落ちこむくらいのしおらしさを見せたらどうなんだ。来い、レナ」
「そういうの、サディストって言うんだぜ。待てよ」
ミッキーは、レナを引っ張って行こうとするアイザックの腕を掴んだ。とたんに、ばっと振り払われる。敵意を宿した目に睨まれてから、しまったと気づく。
それでも、ミッキーは、しつこいくらいのふてぶてしさは忘れなかった。内心の動揺を隠して肩をすくめる。
「カルシウム不足だな」
「何だと?」
アイザックが噛みつく。相手が苛々してくるほど、ミッキーは自分が優位に立っていることを確信した。せいぜい愛想よく笑って見せる。
「カルシウムが不足していると言ったんだ。あんた、おれと同じものを喰っているんだって? よくそれで、今まで健診にひっかからなかったな。どう見たって、極度のカルシウムとビタミン不足だ。女の子がいるのに、どうして食事に無頓着なんだ」
「余計なお世話だ。この出来損ないのお陰で、喰えるものも喰えないだけだ。放っておいてもらおう」
憤然と言い返しながら、アイザックの瞳には戸惑いが浮かんでいた。ミッキーは内心で嘲笑した。やはり、ペースに巻き込まれている。
ミッキーは、のほほんと提案した。
「作ってやろうか?」
「何だと?」
アイザックは呆れ声になった。ミッキーは不敵に笑った。
「作ってやろうかと言ったんだ。あんた達はロボットの扱い方を知らないから、苦労しているんだろう? この娘は出来損ないなんかじゃない。ちゃんと命令すれば働いてくれるよ」
「お前なら、ちゃんと使えると言うのか」
疑わしげなアイザックに、ミッキーは微笑み返した。イタチ顔の中心でアイスブルーの瞳が揺れている。
「それだけじゃない。おれはコックだからな。材料さえあれば、ちゃんと料理してやるよ」
「お前がコックだと?」
ますます不審そうに、イタチ男は彼を眺めすかした。ミッキーは、にこにこと笑った。
「そうだ。あんた達には、この三日間、随分お世話になっているからな。おれも、じっとしているのは飽きたよ。出来たら、手足をもっと伸ばしてみたい」
今度は、アイザックは何も言わなかった。小さな水色の瞳で孔の開くほどミッキーの顔を睨み、身をひいて扉を開けてくれた。
「やってみろ。ただし、ちょっとでも変なことをしたら、そのふざけた頭を吹き飛ばすからな」
「有難う」
好意に満ちた言葉に精一杯の感謝を表すと、ミッキーは部屋の外に出た。彼が一度大きく伸びをし終えるまで、アイザックは彼の後ろに立っていた。
今のところ、賭けは優勢だな。向こうは、おれの態度に混乱している。しかし、いつそれが崩れるかは判らない。出来るだけ早く、ここから抜け出そう。
ミッキーは、一階のキッチンへ行くまでの間に、すばやく家の内部構造を確認した。出口は一つ、彼が侵入した玄関だけ。しかもそこは、アイザックが見張っている。ロビーに身を隠す場所はなさそうだ。
ミッキーは、渋い気持ちでキッチンに足を踏み入れた。
絶句する。
……こんなものではなかろうかという悪い予想が的中するのは、あまり気持ちのいいものではない。ミッキーは、片手で額を押さえた。
古風で立派なダイニング・キッチンの流しに放りこまれた皿の山。食器洗浄機にも、汚れたままの食器が押しこまれている。かすかな異臭を振り切るように、彼は首を振った。ついて来たレナを顧みて、声をかけた。
「きみ、悪いけれど、洗い物をしてくれるかい?」
「はい」
レナは素直に答えた。三秒ほど間を置いて問い返す。
「どのような方法ですか? 指示を下さい」
アイザックが、「それみたことか」と言わんばかりに鼻を鳴らした。少々むっとしたが、ミッキーは負けなかった。何くわぬ顔で応える。
「OK.まず、おれはここで調理をするから、移動時には、おれの進路を遮らないでくれ。歩く速度は……3.7km/h。物を掴む時の力は、1.5G以下。床に落さないこと。物を持っているときに手を動かす速度は、0.5m/sec」
「記録しました」
「All right. では、おれの動作をよく観ていてくれ」
ミッキーは、呆気にとられているアイザックを無視して流しに近づくと、繋がれたままの両手をお皿の山に突っこんだ。水を流し、試しに一枚洗ってから彼女を振り返る。
「この動作を、先ほどの条件で反復できるかい?」
「可能です。筋肉の緊張度を測定します」
ミッキーの腕に、レナの柔らかな指先が触れた。両腕の上腕二頭筋と浅指屈筋、尺側手根屈筋の緊張度を測定して手を離す。
「記録完了。指示に従います」
ミッキーは、皿洗いを始めるレナのぎこちない手つきを見守った。やがて、その頬に優しい微笑が浮かぶ。唖然と立ち尽くしているアイザックをちらりと観てから、彼も仕事にとりかかった。
冷蔵庫の中を物色してキャベツを取り出し、とりあえず刻みながら――ミッキーは、開きっ放しのアイザックの口に何を放りこもうかと考え、楽しくないので中止した……。レナに何を食べさせてあげるかを考えた方が、百倍も気持ちが良い。
浮腫を取るなら、カリウムか。塩分を控えて、野菜だな……。
レナに洗い終えたお皿を乾燥器へ入れることを指示しながら、ミッキーは、部屋の入り口に立っているアイザックの様子を窺った。彼が油断しているのを確認して、レナの耳に囁く。
「動作を止めずに、おれの言うことを聞いてくれ、レナ」
彼女は指示された通り、作業を続けた。
「おれが、アイザックやターナーに気づかれずにこの家を出て行くことは、可能だと思うかい?」
レナは黙っている。気づいて、ミッキーは苦笑した。
「ごめん。質問に、小声で答えてくれ」
「98.5%不可能です」
冷静な回答に、ミッキーは溜め息をのんだ。アイザックを警戒しながら囁く。
「OK. あのアイザック氏を殴り倒して行くっていうのは、どうだい?」
レナは面を上げた。ミッキーは、イタチ男が振り返らないよう祈った。
「成功率は、37.7%です。しかし――」
「第三者の協力を得ることが出来たら?」
レナは恐ろしいほど澄んだ瞳で彼を見詰めた。形良く反った唇が動く。
「その人物の能力によります。情報を下さい」
「OK.」
ミッキーは、期待をこめた。
「女の子だ。年齢は十七歳くらい。体力は平均……身長は約百七十センチメートル。脳にコンピューターを埋めこまれている為、セルフ・コントロールは困難だが、協力してくれると信じている」
レナの美しい琥珀色の瞳は、鏡のように静かだ。そっとお皿の水気をきり、答えた。
「成功率、64.2%」
「充分だ」
ミッキーはにやりと嘲い、口を閉じた。アイザックがこちらを見たからだ。野菜スープの鍋をかき回しながら、胸の中で自分の言葉を反復した。――充分だ。やってみよう。
ここへ来て、三日経つ。もう限界だった。一刻も早く、帰らなければ。ミッキーは唇を噛んだ。
早く、リサのところへ。




