宇宙魚の夢(1)
2-0-(1)
『ツイていない』
銀河連合宇宙軍第一軍所属、高速戦闘艇 《DON SPICER号》 のカーゴ・ルーム(荷物室)にて。ルネは苦い思いを噛み潰していた。
『コイツ(船)で生き物を運ぶと、どっかが壊れる呪いでもかかってんのか……。さて、どうしよう』
自由に重力を変化させられる部屋の、文字通り中央に浮かび、彼はもう三十分も腕を組んで考えていた。
しかし、体を浮かせたところで良い方法は浮かばない。ルネは、ぼさぼさに伸びた栗色の髪を乱暴に掻きむしった。
彼の目の前には、直径二メートル程の澄んだ水の球が、ふうわり漂っていた。無重力空間の成せる技だ。中には黄色と青の美しい縞模様の魚が、長いひれを優雅にたなびかせて泳いでいる。
殺風景な戦闘機に場違いな珍客を眺め、ルネは何度目かのため息をついた。
「仕様がねえなあ、やっぱり」
呟くと、水のボールを器用に避けて腕を伸ばし、壁に片手をついた。そのまま、泳ぐように身を翻す。リビング・ルームに入ると、体が浮いているのも構わず通信器のキーを押した。
◇◆
その日わたしは、新年を迎えたホテルのロビーで掃除機をかけているところだった。お掃除ロボット『すうぃーぷ君』のリモコンを上機嫌で操作していると、カウンターのなかから麻美ちゃんが声をかけてきた。
「リサお姉ちゃん、電話よー」
「誰から?」
ロビーで飼っているこのホテルのシンボル、ウサギ達のケージに『すうぃーぷ君』をぶつけないよう気をつけていたわたしは、彼のスイッチを切ってカウンターに向かった。地球を離れてから、わたしに電話をかけてくる知り合いは、そういないはず。
わたしが着く前に、麻美ちゃんが教えてくれた。
「ルネちゃんからよ。近くに来ているみたい」
「ルネ?」
『よお、リサ』
驚いて駆け寄ると、確かに、ヴィジュアル・ホーン(TV電話)の画面に懐かしいルネの顔があった。
わたしは、喜んで応えた。
「ルネ、早いじゃない。どうしたの?」
『どうしたもこうしたも、ない』
咥え煙草のルネは、別れた時と全く変わっていなかった。――そんな数日で変わったら困るけれど。休暇を終え、カイパー・ベルトへ向けて出発したばかりのはず。
「今、《ドン・スパイサー号》の中なの?」
『ああ。ミッキーはいるか?』
「出かけているわ」
先刻から、彼の顔は画面にさかさまに映っている。これ、電話の故障……じゃあ、ないわよね?
ルネは情けない声をあげた。
『出かけたあ?』
「新年パーティーの買出しよ」
わたしの代わりに、麻美ちゃんが答えた。気がつくと、リズ君も足元に来ていた。
「洋二お兄ちゃんとマーサお姉ちゃんと一緒に出かけたわ。四時前には帰ってくると思う」
『ええ~っ。智恵は?』
ルネは焦っていた。しわがれ声でたたみこむ。
『アンソニーは? 誰か、役に立ちそうな奴はいないのかよ』
「智恵さんは、連合軍の仕事で、センターよ」
わたしは彼の背後の状況を確かめようとしたけれど、難しかった。
「どうしたの? ルネ」
『どうもこうも』
ルネは口ごもり、背後を振り返る仕草をした。画面では確認できない。きょとんとしているわたしと麻美ちゃんを見て、舌打ちした。
『仕方がない。おい、リサ。今、こっちに来れるか?』
「来れるかって……そこ、どこ?」
『至急、DIANA-S27宇宙港に来てくれ。そこで連絡する』
「連絡するって。ちょっと、ルネ?」
彼はさっさと通信を切ってしまい、わたしと麻美ちゃんは顔を見合わせた。
DIANA-S27ポートは、『月うさぎ』から最も近い民間用の宇宙港で、自動運転タクシーで行けば二十分くらいで到着する。わたし達には思い出ぶかい場所だ。
初めて月に来たのは、このポートだった。ラグ・ド・グレーヴスを追いかけて無茶な離陸を行ったのもここなら、ミッキーがわたしにプロポーズしてくれたのもここ。
……考えてみれば。わたし達って、かなり迷惑なお客かもしれない。
今回は、そんなことないわよね……。どきどきしながら中央ロビーで待っていると、いきなり『声』がした。
《リサ!》
……驚いた。気配は感じなかったのに耳元で聞こえたような気がして、わたしは辺りを見回した。特徴的なしわがれ声だ。乱暴で、皮肉っぽくて……でも、心の奥に、まっすぐ響く。
「ルネ? どこにいるの?」
《みつけた。そこにいろ》
「ルネ?」
これ、もしかして、テレパシー? 姿のない声を聴き取ろうと、わたしが耳を澄ませると、景色がぶれて――
――わたしは、宇宙船の中にいた。
「よお。久しぶりだな、リサ」
懐かしい、《ドン・スパイサー号》 のコクピットだ。ルネはメイン・スクリーンを背にコンソールに寄りかかり、腕組みをして煙草をふかしていた。ぼさぼさの栗色の髪の下で、地球色をした瞳が笑っている。
「ルネ!」
「まあ、来いよ」
わたしはスクリーンを見上げ、船が宙港に停泊していることに気づいた。
ルネは、わたしの前を横切ると、リビング・ルームを抜けて荷物室の入り口に立った。わたしは中を覗き、歓声をあげた。
「うわあ!」
「こいつを届けろっていう、依頼なんだ。……気をつけろよ」
わたしは荷物室の床へ降りる梯子を下った。その間も、視線は部屋の中央に釘付けになっていた。
広い荷物室の中央に、透明な、大きな水のボールが浮いていた。無重力空間を漂う水玉のよう。その中に、一メートルはあるだろうか? 大きな魚が一匹、ひらひらと泳いでいる。体の色は、鮮やかな黄色とブルーだ。真夏の空の色。銀色の背鰭と胸鰭が、すうっと伸びている。尻尾は平たく、向こう側が透けていた。
うっとり眺めるわたしを、ルネは煙草を噛みながら見下ろした。
「この魚、どうしたの?」
「どうしたんだと思う?」
「届けるって……この為に戻って来たの?」
「そう」
小さな呼び出し音が鳴った。ルネが、咥え煙草のまま指を鳴らす。
『ルネ? リサも、そこにいるのかい?』
「ミッキー」
「入って来いよ、ミッキー」
コクピットのスクリーンを投影させたのだろう。買い物袋を抱えたミッキーが宇宙港のカウンター前に立っている様子が映し出された。すぐに、ルネの空間転位によって船内に運び込まれる。
ミッキーは、わたしほど驚いてはいなかった。
「おかえりなさい、ミッキー」
「麻美から連絡をもらって、まっすぐこっちへ来たんだ。ずいぶん早いお帰りだな、ルネ」
「まったくだ」
ミッキーも部屋に浮かぶ巨大な魚をみつけると、ぽかんと口を開けた。
「スタルゴ産のスズメモドキじゃないか? ……どうして、こんなにでっかいんだ?」
「オレも、それで困っているんだ」
わたし同様、この魚のことを知らない人の為に説明しよう。と言っても、ミッキーが説明してくれたんだけどね。ええと――
スズメモドキは、惑星スタルゴという地球型惑星原産のお魚で、食べられる。地球人だけでなく、ラウル星人にも人気の高級魚で、輸入するとそれは高価らしい。(恒星間宇宙船で運ばないといけないものね。) 詳しい値段は知らないけれど、連合軍の戦士の初任給ぐらいはするという。
地球のスズメダイという熱帯魚に似ているので、この名がついた。ミッキーも生きているのを見たのは初めてで、普通は冷凍されているそう。
もう一つ。スズメというくらいだから、この魚、本来は体長二十センチくらいの大きさで、それ以上大きくならないと言われている。ところが、目の前の魚は、どう見ても一メートルはある。
「こいつは確かに、スタルゴ・スズメ・モドキなんだ。船に乗せたときには、最初はこいつも、これくらいだったんだ」
「それが、どうして?」
「お前、重力調整を間違えたな? ルネ」
「…………」
ミッキーの台詞に、ルネは黙って肩をすくめた。
つまり、こういうことらしい。
惑星スタルゴは、重力が地球の五倍もあるところなのだ。体重50kgの人間が地上に立てば、250kgになってしまうところ。(でも、質量は変わらないよ、と、ミッキーが説明してくれた。この意味、わかる?) 地球の1Gの環境に慣れた生物にとっては、結構辛い環境らしい。だから、この星に移民している地球人は、みんな人工的に重力を制御されたドーム都市に住んでいる。
逆に、重い重力に慣れた生物にとっては、重力の軽いところで生活するというのも、かなり大変なことらしく――例えば、ここ月のドーム都市の重力は、地球と同じ 1Gに調節されている。これは、私たち地球人には快適なんだけれど、ルネのように重力が地球の十倍もあるラウル星人には、いろいろと不便らしい。彼はいつも重力調節ブーツを履き、自分のESPでも何か調節している。
でも……それが出来ない、お魚は。
「受け取ったときには、ちゃんと重力制御装置付きの水槽に入っていたんだ」
ルネは、ぽりぽりと頭を掻いて弁解した。
「それが、途中でイカレちまった。気がつくと、水槽が割れて、この有様だ。慌ててGを切ったが、膨らんじまった」
「膨らん……この大きさになっちゃったの?」
「誰がこんな依頼をしたんだ?」
呆れ声のミッキーに、ルネは苦々しく吐き捨てた。
「そんなの、一人しかいないだろう?」
わたしとミッキーは、顔を見合わせた。……ミッキーには判ったらしい。ルネ同様、渋い顔になった。
「ラグ・ド・グレーヴス、か」
「子猫ちゃんに新年の挨拶だとよ」
「わたしに?」
わたしは自分を指差して絶句した。ラグって、凄い人なんだけど、確かに、ちょっと変わっているのよね。生きたお魚なんて、どうしろと言うのだろう?
ルネは肩をすくめ、少し口調を和らげた。
「一応、あのおっさんなりに気を遣ってくれたんだろう。その……この前の休暇は、オレはライに会えなかったから」
わたしは再度ミッキーと顔を見合わせた。そうだった。
ライ――《RED MOON》 の研究所にいる《VENA》 とルネは、幼馴染で、たしか、恋人……なのよね。
クリスマスは、ルネはミッキーと一緒に、わたしの為に走り回ってくれていて、彼女に会う余裕はなかったのだ(わたしも会えなかったけれど)。
「それで、どうするんだ?」
いつもの穏やかな表情に戻って言う、ミッキー。買い物袋を抱えた腕を組みなおし、魚を見上げた。
「それを頼みたくて呼んだんだ。今はオレがPK(サイコキネシス・念動力)で持ち上げているが、このままじゃ、船を運転できない。リサへの贈り物なんだ。なんとかしてくれよ」
「なんとかって」
二人は、そろってわたしを見た。ミッキーは穏やかに、ルネはぶすっと。
そんなこと言われたって……。
わたしは、ミッキーに提案した。
「『月うさぎ』に持って帰る?」
「どうやって? オレに、あそこまで運べってのかよ」
ルネの口調は悲鳴に近かった。確かに、こんな大量の水と魚を『月うさぎ』まで運ぶとなると、ルネのESPに頼るしかないのだけれど……。
ミッキーが提案した。
「食べようか? ここで」
「食べちゃうの?」
「食用の魚だからね。少佐も、そのつもりで贈って来たんだろう。ここで、料理できないことはないよ」
「こんなに綺麗なのに?」
「どうせ、そう長くは生きられないぜ」
ぶっきらぼうに言う、ルネ。やや吊り上がった眼が、面倒そうに細められていた。
「こんな大きさになっちまったら、体はボロボロだ。食べてやるのが慈悲ってもんだ」
「う、うん」
「ここまで大きいのは、おれも調理したことはないけれど。なかなか美味しい魚だよ、リサ」
「うん――」
しばらく、『やっぱりかわいそう』とか『綺麗なのに……』とか、心の中で呟いていたわたしだったけれど、決断した。
えーい、食べちゃえ!
……結局、わたしってば、色気より食い気なのかもしれない。




