2.大城美樹の場合
一方、その頃。
旗当番を終えた美樹は、自宅に戻っていた。
都内にようやく買った狭小住宅の我が家。その両隣も、似たようなペンシルハウスが立ち並んでいる。子どもは、小学三年生の息子がひとりだけ。都内では親の財布がない二馬力なら、これが精一杯だ。
交通当番の黄色い旗を玄関に投げ捨て、代わりにシューズラックの上に用意しておいた荷物を背負うと、足早に駅へと向かう。
目指すは都内の駅チカスーパー。
美樹は電車に揺られながら、頼子の顔を思い出していた。
いつも化粧をせず、髪をひっつめにして、朝なのに指先がなぜかドス黒い。
都営アパートに住んでいて、息子は不登校らしい。毎日着古したヨレヨレの服を着ている。
美樹はこう思った。
(ああはなりたくない)
都営アパートなんて、選ばれし貧乏人が住む場所だ。子どもが学校に行きたがらないのも、きっと彼女がだらしないせいだ。
美樹が高校から新卒として就職活動をしていた頃は、女性はなかなか総合職になれない時代だった。そんな中、美樹はスーパーの正社員職を勝ち取った。これも全て、自分の真面目さ、そして果てない努力によるものだ。
(あの人は、きっと努力が足りてないのよ)
美樹は努力を信じていた。
(朝起きられないなんて、ろくな仕事に就けないじゃない。外見を整えることもしない。ああいう怠けた人には近づきたくないわ。同族だと思われたら最悪!)
美樹は正直、頼子とは口すらききたくなかった。
電車を降りると、美樹は駅の裏手にある職員専用入口からロッカールームに入った。美樹は駅併設のスーパーで店長として働いているのだ。美樹は絶対に、誰よりも早く職場に着くことを心掛けている。
身だしなみを整え、タイムカードを切って売り場に行くと、先にエリアマネージャーの駒崎が立っていた。
美樹は駒崎に頭を下げてから、首をひねった。
(連絡なく急に来たわね。一体どうしたのかしら?)
駒崎は美樹より十歳ほど年上の男性社員だ。髪を七三になでつけ、いつも隙無く身だしなみを整えている。
「おはようございます、駒崎さん。今日はどうなさいましたか?」
駒崎は周囲を憚ると、美樹に低い声で尋ねた。
「ちょっと、今、いいかな。パートさん募集の件についてなんだけど……」
美樹は頷いた。現在、売り場拡張につき新人パートを募集しているところだったのだ。
「ああ、先週何人か面接しましたよ」
「合格者は二人、だったよね?」
「はい。来週から来て貰うことになっています」
「……実はその二人から、既に断りの連絡があってね」
美樹はそれを聞き、少し訝しんだ。
「ええっと……?待ってください。この店舗には断りの連絡、特になかったんですけれど」
「……」
「え?まさかあの人たち、本社に断りの連絡を?」
駒崎は真剣な顔で、静かに頷いた。美樹はしどろもどろになる。
「な、何でですか?」
「心当たり、ない?」
美樹は静かに首を横に振った。駒崎はそれを認めると、むしろ圧を強めた。
「ないのですね?」
「……はい」
「あのね、クレームが入って、採用を断られたの。どうしてか分かりますか?」
美樹はどきりとした。先日の面接の状況を反芻する。
二人とも、子どものいる主婦だった。
ひとりは太っていて、もうひとりは痩せていたことぐらいしか記憶がない。
「いいえ……分かりません」
それを聞き、駒崎は深いため息をついた。
「じゃあ教えますね。ええっと、一人目。松坂さんは、あなたに〝入る制服がないかもしれない〟と言われた、と」
「!」
「二人目、河野さんはあなたに〝その顔治して来てね〟と言われたと」
「……!」
美樹は驚いた。
確かにそんなことを言った気がするが、雑談と言うか、冗談で言ったつもりだったのだ。
「あ、でも、それは冗談と言うか、雑談のようなもので……」
咄嗟に言い訳をしようと思ったが、
「やっぱり〝言った〟んだね?」
駒崎の語気に気圧され、美樹は一気に血の気が引いた。
そうだ。確か松坂は採用前提で話をしており、その中で制服の話が出たのだ。
本人が太っていて制服のサイズを気にしていたので、『入る制服、ないかもね。アハハ!』というように冗談めかすと、松坂も笑っていたはずだ。
もうひとりの河野は、顔にかなりのニキビがあった。本人が気にしていたので『治せばいいわよ!』と冗談めかすと、河野は笑って──
「あのね」
美樹の〝さっぱり分かりません〟という顔に終止符を打つように、駒崎は告げた。
「太っていることや、ニキビがあること、これらは身体のことなのでどちらもすぐに治せるものではありません。そして、業務には何の関係もないことです。だから、採用にあたって採用側があえて言及することではない。本人たちも気にしていることをあなたは〝冗談〟としてつついたのかもしれませんが、先程の言葉は、受け取る側からすると非常に無神経な発言です。〝制服がない?ハア?〟〝顔を治せ?治らないのに?〟というように受け取り、嫌味に聞こえたんでしょう」
それでも、美樹はちょっと納得の行かないことがあった。
「でもそんなちょっとしたことを〝嫌味〟と捉えているようでは、社会ではやっていけない──」
「大城さん!」
駒崎が怒りを露にしたので、美樹はびくついた。




