リンデルトの青(前)
ブクマといいね、ありがとうございます。
「副師団長、周辺の封鎖、完了しました」
「封鎖直前に建物に入った貴族の馬車は、先ほど裏口と思しき場所から貴族街へ向かっているとの報告が来ています」
「引き続き尾行してどこの貴族家に入るか確認せよ。
“三つ星のゴードン”は中に居るんだな?」
「建物に入ったのは確実だと尾行していた者から報告がありました」
「よし」
「ここ以外の監視対象箇所も、ここより少し遅れてほぼ同時に動きがありました」
「そうか……」
次々上がって来る報告に、オーブリーは厳しい顔になる。
捜査を続けてくる中、一番被害が多かった東部市街地の中の数か所、組織の隠れ家になっていそうな場所にめぼしは付けていた。今いる第一六七区の古びた邸もその一つ。周囲をぐるりと人の目の高さまであるレンガ塀で囲まれた、以前貴族が使っていたと思われる大きめの建物だ。
報告にあった“三つ星のゴードン”という男は、顎の下に三つ並んで黒子があるのが特徴で、組織の首領と目されている人物だ。貴族か金持ち商人のような身なりで王都内のさまざまな場所で開かれる社交場にも顔を出している。オーロラの居場所が探査できてすぐ、騎士団員から目指す場所にある邸にゴードンが入っていくのを確認したと報告があったのだ。
最優先でこちらに人員を送って包囲の準備を始めた後、そのほかの拠点に動きがないか逐次報告を入れさせていた。この場所で敵がこちらの動きを察知した後、もしも別の場所が主要拠点であるならまずそちらに知らせ、そこから他の拠点にも事態が伝わって動きがあるはずだ。つまり組織全体が慌ただしく動き出すまで時間がかかるはず。
だが、こちらを包囲していく段階で、他の拠点が一斉に動きを見せた。
つまり、この場所が敵の一番主要な拠点であり、他はここからの指示で動いていたと思われる。
ここを押さえれば、さらにはゴードンの身柄を確保できれば、組織の全貌を掴む手掛かりが見つかる可能性が高い。
「逃げ出そうとした荷馬車を数台を押さえ、組織の構成員を十数名確保。ゴードンはまだ見つかっておりません。
それと、荷馬車に乗せられていた被害者を多数保護しました」
「リンデルト侯爵夫人は発見したか!?」
「いえ、保護した中にはいらっしゃいません…」
「兄上…」
部下からの報告に、オーブリーは少し離れた場所で探査魔道具を手にしているミハイルを振り返った。
「”鈴”の反応は、建物の中だ。オーロラは、まだ中にいる」
ミハイルの表情は険しい。
”鈴”は中にあるが、オーロラがまだそれを身に着けているとは限らない。
だが、連れ出された被害者たちの中にオーロラは確認できなかった。
「副師団長!建物内から火の手が……!」
「なんだって!?」
騎士の一人から指摘され、ミハイルとオーブリーが建物を振り仰ぐ。
割れた窓から煙と、まだ少ないが確かに火の手が上がっているのが見えた。
「突入しますか!?」
「ああ、入り口を突破する準備を――――――」
「私が行く」
「はっ!??」
背後からした落ち着いた声にオーブリーが慌てて振り返ると、ミハイルがトレバンに上着を預けて代わりに差し出された剣を受け取っているところだった。
「ちょ、ちょっと待って、兄上。
今、門扉を破壊する武器を……」
「必要ない」
鞘を払った抜き身の剣を右手に提げ、ミハイルは真っ直ぐ門へと進んでいく。
歩きながらミハイルが天に向け左手を掲げた。少し袖口が下がって手首が露わになる。兄のその手首に光るそれを見た瞬間、オーブリーの顔色が変わった。
「総員、対ショック!
しっかり脚を踏ん張るか何かに掴まれ!!水が来るぞ!!」
「へ、何……!?」
「水!?」
「あ…あれ!!!」
副師団長の突然の指示に騎士団員は一瞬戸惑ったが、一人が上空を指さして指示の意味を悟った。
彼らの見上げる先、敵アジトの上空に、濃い青色の巨大な水の塊が無数に浮かんでいたからだ。
息を呑む彼らの眼前で、ミハイルが掲げていた左手をさっと振り下ろす。
すると、青い水塊が一気に地面に向かって急降下し、門扉と邸を囲む分厚いレンガ塀を粉砕した。ドンッという音とともに地面にぶつかった水は、うねりながら周囲にに拡がり騎士団員たちの膝から下に勢いよく打ち寄せてきた。危うく足を掬われそうになった者もいたがそこは騎士、オーブリーの指示で身構えていたのもあって何とか踏みとどまれていた。
そのままの勢いで周辺市街地に行ったらマズイと振り返った騎士たちは、またしても信じられないものを見た。勢いよく広がった濃青の水が、再び集まり今度は一つの塊となって上空へ上っていくのだ。
「次は、火だな」
ミハイルが事もなげに呟き、今度は邸の方向に向けて左手を振ると、それに合わせて水塊が邸に向かっていった。
邸の壁面を覆い、窓を割り、生き物のように動いて建物内に入り込んでいく青い水を見ながら、騎士団員たちは呆然と立ち尽くしていた。
「中の者はすべて捕らえればいいか?」
「え? あっ、うん、そうだね。
邸から出た者はこちらでしっかり確保するから」
「わかった。先にいくぞ、オーブリー」
オーブリーに話しかけながらも、ミハイルは崩れたレンガの山をひょいと乗り越えてずんずん邸の入り口に向かって歩いていく。そしてまた新たに小さめの青い水塊を作り出し、玄関扉にぶつけてそれを破壊した。
迷いのない動きで突き進んで行く背中に兄の怒りと焦りを見て、オーブリーの口から「あぁああ」と形容し難い声が出た。
「めっちゃくちゃキレてる………」
「な、なん…?
副師団長、なんなんです、あの方!?」
「侯爵家のご当主サマだよ………」
ミハイルとしては探査機の反応を頼りにすぐにでも建物に突入したかっただろうが、現場の指揮権を持つオーブリーの立場に配慮して最大限耐えて待ってくれたと思う。
ミハイルの手にあるあれ。あの腕輪を用いれば、たぶんミハイル一人でもこの場を制圧できる。あれを手に本気を出したミハイルを止められる者は、オーブリー自身を含めてもここにはいない。
暴挙とも取れるミハイルの行動に戸惑いながらも、邸から転がり出るように逃げて来た男共を騎士団員たちが確保していく。見ればその者たちは、粘度を上げた青い水で胴体や両手首をぐるりと取り巻かれて拘束されていた。そうする間も敵アジトの邸からは窓ガラスが割れる音や男共の怒号が響いてきていた。
「この目で見るのは初めてだな。あれが”リンデルトの青”か」
「オルロス師団長……」
背後からかかった声に、兄の行動にあわあわしていたオーブリーが振り返る。
声の主は青みの強い銀色の短い髪をした長身の女騎士、ジュリエッタ・オルロス第四師団長だった。
「東海の荒くれ者の船を何隻も沈めたという、リンデルト家の伝説の魔道具だろう。
その力をまさかこんな形で目にすることになるとはな」
「よくご存じで……一応、家門以外の人間には知られないようにしてるはずなんですけど?」
「そう嫌そうな顔をするな。同じ水系妖精の守護を受ける家同士じゃないか」
フェアノスティは妖精の国ともいわれ、王国内には妖精の加護を受けている一族も多くある。
その代表格が妖精王の加護を受けたフェアノスティ王家と、四つの大妖精の加護を受けた東西南北の辺境伯家。ジュリエッタの生家のオルロス西方辺境伯家は水の大妖精の加護を受けた家門である。
そしてまた、リンデルト家も古くから青き水の妖精の加護を受けてきた。
当主一族に伝わる青い魔晶石にはリンデルトを守る水の妖精の力が込められていて、それと契約を結んだリンデルト家直系の者は青き水を自在に操ることができる。“リンデルトの青”という名は、一般には侯爵家の者が持つ瞳の色に似た青水晶を指すとされているが、本来は家門に加護を与えた水の妖精が宿る特別な青い魔晶石とそれにより作り出される青い水の呼称なのだ。
ただ、“リンデルトの青”の使用には莫大な魔力が必要で、それを自前の魔力のみで賄うことができる者はめったにいない。そのため、契約者である者が有事に備え、常日頃から腕輪に魔力を付与して魔力の蓄積を行っておく決まりになっている。
契約者は当主である必要があるわけではなく、また契約者がいない時代もあったという。実際ミハイルの前の契約者は曾祖父の代まで遡るそうだ。
ミハイルが9歳、オーブリーが7歳のとき、リンデルト侯爵領城館地下にある『青の間』と呼ばれる場所で契約の儀が行われ、二人のうちミハイルが当代の契約者となった。その時のことを、オーブリーは今も鮮明に覚えている。
腕輪に宿った妖精が姿を現し、契約者として選んだミハイルに問うた。
――――オマエノ護リタイモノハ何ダ?
ミハイルはまだ小さいその背にオーブリーを庇いながら、こう答えたのだ。
「弟と、リンデルトのすべて」
その瞬間から、オーブリーはそれまで以上に兄ミハイルに憧れ、慕うようになった。
今もオーブリーの中で兄を尊敬する気持ちは全く変わらない。ただ、兄が一番に上げるのは、今はきっと自分の名ではないんだろうなと、少し寂しいような、でも誇らしいような気持ちでいた。
そんなオーブリーの隣で、オルロス師団長はどこか楽しげだ。
「おー、こりゃ私らの出番ないんじゃないか?
いいな、有能かつ男前、気に入ったぞ。ぜひ第四師団にほしい」
「やめてください。
兄はリンデルト侯爵家の当主でかつ妻帯者です」
「そうか、残念だな。
よし、本当に出番がなくなる前に我らも働こうか」
荒事大好きな上司が嬉々として抜剣するのを見ながら、オーブリーも気を取り直し剣を取った。
「……了解です、ボス」




