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だから違うと言ってるでしょう  作者: 錫乃


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29/39

ちゃんと伝えておかないといけないことだってある

本日2話目。

続きです。


「貴女はこれから、どうなさりたいの?」


その質問の真意が、これからどこに住むとか、暮らし向きをどうするとかといったことを尋ねたものでないのは、オーロラもわかっていた。

わかっていたからこそ、すぐには答えが出せずに一旦沈黙がおりた。


「………侯爵家から連絡を受け次第、正式に離婚の手続きをします。

そういう契約でしたし、そのつもりで侯爵家を離れましたから」

「そう」


すう、と細めた目を少しだけ伏せ、マーガレット夫人は離婚手続きに関することを淡々と語った。


「離婚申請手続きは、双方同意の上での申請だということが認められるなら、書類のやり取りだけでも可能だそうです。

無駄に顔を合わせたことでさらに揉めて裁判沙汰にでもなれば、余計な手間と時間がかかりますからね」

「………はい」

「ただ」


一旦言葉を切り、少し声のトーンを落としたマーガレット夫人が続ける。


「一度離婚が成立してしまうと、同じ相手との再婚申請は貴族院から却下された事例も少なくはないのです。

気まぐれな貴族の思いつきなどで簡単に別れたりまたくっついたりされては、貴族院(おやくしょ)も手間ばかり増え堪ったものではないでしょうからね。だからこそ、可能とはいえ、安易な気持ちで離婚申請する貴族は少ないのです。

つまり、離婚が成立したら貴女は二度と、ミハイル殿と夫婦に戻れない可能性があります」


オーロラに制度的現実の重みがのし掛かる。

2度とミハイルとは夫婦に戻れない。

現実的に考えれば再び夫婦になれる可能性の方が低いのだろうが、貴族院に認められない可能性があるというのは、また話が違う。


「それにアウローラというご令嬢、今回侯爵邸にやって来た状況を見ても、どうやら幼少時に見られた自分本位な性格は変わってはいないようですね。

(わたくし)が知る限りのミハイル殿の人柄から考えればまずないとは思うけれど、もしも彼女が侯爵夫人の座に就くことになれば、リンデルト侯爵家の内政は女主人である彼女の手に委ねられるでしょう。

侯爵家内の雰囲気は、今とはガラリと変わるでしょうね」

「あ……………」


マーガレット夫人に指摘され、オーロラの脳裏に、マシューやメイ、顔馴染みになった本邸使用人や騎士たち、オーブリーと前侯爵夫妻、そしてミハイルの姿が過った。

あの時の若い侍女に対する高圧的な態度を考えると、侯爵家の内政を握ったアウローラ嬢が自分に優しく接してくれた彼らに対してどう対処していくことか。想像したら、背筋をざわっと嫌な感覚が這い上がった。

だが、侯爵家を離れたオーロラには、彼らに何ほどのこともする権利も残されていない。


「小さな淑女(レディ)


小さく震えるオーロラの耳に、マーガレット夫人が懐かしい呼称で呼ぶのが聞こえた。


「私は今、建前ではなく本音を聞かせて欲しいと言っているのです」


本音をと促され、オーロラは自身の気持ちに向き合う。

正確には、自身の中に押し込めて見ないように、自覚してしまわないようにしてきた本心に。

でも何度も蓋をし続けてきた気持ちは、なかなか素直にはなってくれない。


「………私は、たくさんの人に、嘘をつきました」

「ええ、そうですね。

本当に、馬鹿なことをしでかしたものです。

婚姻の誓い全てが神聖なものだなんてことは言わないけれど。貴女たちが偽りの誓いで周囲の人々を欺いたのは間違いないですからね。

二人で嘘をついたのだもの、謝罪したいなら二人揃ってすべきでしょう。

少なくとも、両家のご両親にはそうすべきです」

「申し訳ありません」


俯きがちに謝罪を繰り返す愛弟子に、マーガレット夫人は溜め息を堪えながら言葉を重ねる。


「謝りたいのは、契約上の婚姻についてのことだけですか?」


長い沈黙の後、何度か口を開けたり閉じたりして、ようやくオーロラが声にして答えた。


「………………彼にも……謝らないと、いけません」

「ミハイル殿にも?」

「恋着しないと、好きにはならないという約束だったのに、私は………」


最後は震えて掠れるような小声で溢したオーロラを、マーガレット夫人はようやく本音を漏らしたわねと思い見つめていた。

昔から聞き分けがいい反面、周りを気にして自分の本音はなかなか言わない、頑固な一面もある娘でしたからね、と。

でも今オーロラが抱え込んで無かったことにしようとしている気持ちは、そのままにしては後悔してもしきれない類のものだ。

おそらく同じ気持ちを抱え、侯爵家当主になったもう1人の教え子もオーロラを必死で探している。


「先ほど、モートン家から使いが来ました。

今朝方、リンデルト家から貴女の行方を尋ねて侯爵ご自身がいらしたそうですよ」

「ミハイルが……!?」

「ずいぶん酷い顔色をされていたようね。

気力だけで動いているみたいだったと、知らぬ存ぜぬと答えるのが心苦しかったと手紙に書いてありましたよ。

勘のいいミハイル殿のこと、そう間を空けずに当家にもやってくるでしょう。

恋着しないというのは、暗に互いにということを含んでいるのでしょう?そういう意味では、ミハイル殿側も約束を破ったことになるようね」


ミハイルが自分を探している。

その理由は本当に、マーガレット夫人が暗に示した類のものだろうか。

疑問と同時に、湧き上がるこの気持ちはなんだろう。

息苦しさにドレスの胸元をぎゅっと握るオーロラに、夫人が畳みかけるように可能性がある現実を突きつけた。


「まあそれでも、恋の痛みなど時間が解決するとよく言われるように、アウローラ嬢でもそれ以外でも、いずれはどなたかを夫人の座に据えることになるでしょうけれどね」


オーロラの中にあった、ある意味本当の令嬢が現れること以上に恐れていたこと。

自ら選んだ正式な伴侶を迎える場合は契約結婚を終える。その条件を更新時に書き加えたのは、他ならぬミハイル本人だった。

オーロラが何度か言われた私の妻だという言葉とともに、ミハイルのあの眼差しがアウローラ嬢、もしくは他の女性に向けられる。

一度離婚が成立して仕舞えば自分には戻ることが出来ないあの人の隣に、別の誰かが並ぶことになる。

それをあらためてはっきりと想像して、堰き止めて自覚しないようにしていた感情が、『正式な伴侶』という契約条件で見たときに無理やり押し込んだ感情が、涙となってオーロラの目から次々溢れ出した。


これまでオーロラは、幼馴染と婚約解消になったときも、その後にあった一度目の修羅場もどこか他人事のように受け流してきた。二度目の修羅場となったアウローラ嬢のことも、ただの契約夫の関係者だと割り切れていたならここまで急いで侯爵邸を引き払ったりしなかっただろう。広い侯爵邸の中なら会わずに過ごせるからと、留まってミハイルの帰りを待つくらいはしたかもしれない。


(ただの契約結婚だと、割り切れなかったから)


オーロラにとってミハイルは、いつしかただの契約相手ではなくなっていた。

だが彼にとっては契約相手でしかないから、どんな顔で彼の前に立てばいいのか分からなくなったのだ。

本物が現れた今、彼がどんな目で自分を見るのかを考えたら、とてもその場に留まってはいられなかった。


見開いた瞳から透明な涙がぱた、ぽた、と落ちていく。

自分が言った煽りに近い言葉により感情を揺さぶられる愛弟子に心を痛めつつ、マーガレット夫人はオーロラに重ねて問うた。


「もう一度、聞きます。

貴女はこれから、どうなさりたいの?」


苦しげに眉を寄せぎゅっと瞼を閉じた後、また次々涙を溢すオーロラの瞳がマーガレット夫人を捉えた。


「私、私は………ミハイルを、愛しています。

偽りの夫婦でしかないのをわかっていたのに、彼のことを好きになってしまいました。

叶うなら、許されるなら、彼の傍に帰りたい……

……ごめんなさい、先生…ごめんなさい……」


これからどうしようとするのか。このまま離婚するのか、侯爵の元に戻るのか、選ぶのはオーロラ自身で、夫人としては彼女の決定がなんであれ手助けしてやりたいとは思う。だが、すべては頑固で意地っ張りな彼女の本心をちゃんと吐き出させてからでなければ。


(少し意地悪な言い方もしたけれど)


ようやく気持ちをちゃんと言葉に出来て泣き崩れたオーロラに、マーガレット夫人も少し涙ぐむ。


「つまらない意地を張ったものですね。

淑女たるものあまり生々しく感情を表に出さないようにしなさいと教えたのは私ですけれど、ちゃんと表現して伝えておかないといけないことだってあるでしょうに。

それに、夫を好きになったからと、それを咎めることなんて、ありませんよ」

「ごめんなさい………」

(わたくし)の可愛い小さな淑女(レディ)

貴女をこんなに泣かせたあの男には、ちゃんと報いを受けてもらわないといけませんね」


言いながらオーロラの背を撫でたマーガレット夫人の手は少し体温が低いようで、手袋越しのミハイルの掌の温度とよく似ていた。



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― 新着の感想 ―
マーガレット夫人の手の体温が低いのは、血の気が引くほど怒っているとかではないですよね……優しいけど怖いぜ先生!
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