消えた侯爵夫人
ブクマといいね、ありがとうございます。
おかげさまで続き部分も仕上げに向け頑張れてます。
オーロラが侯爵家本邸を去った日—————
バン!!
庭園で見知らぬ令嬢に出くわした直後、ミハイルは庭園から真っ直ぐ侯爵夫人の部屋に向かい、蹴破らんばかりの勢いで扉を開けた。
中はもちろん、無人。
部屋を足早に横切り奥のクローゼットに歩み入るも、何かを持ち出したという印象はまったくない。
おそらく彼女が元々侯爵家に持ってきた物以外は何一つ、無くなっていない。
ドレスや宝石はもちろん、前侯爵夫妻が土産と称した品を詰め込めるだけ詰め込んだあの空間庫も、あんなに喜んでくれた東方の本ですら、彼女のためにとミハイル達が用意したものはすべて残されていた。
そこへ、ミハイル帰邸の報告を受け、本邸内で彼を探し回っていたマシューがようやく主人を見つけ駆け込んできた。
「旦那様っ、よくお戻りに…!」
「マシュー、彼女はどこだ!?
オーロラはどこへ行った!??
なぜ彼女ではない女が侯爵邸で大きな顔をして茶を飲んでいるんだ!」
「奥様、いえお嬢様は、侯爵邸を……出ていかれました……」
「な……っ!?」
マシューが言っていることの意味が、ミハイルはすぐには理解できなかった。
(待っていてくれと、言ったじゃないか。
君の所へ帰るからと……!)
伝えたつもりの気持ちは伝わっていなかった。
近づけたつもりの距離は全く詰められていなかった。
悔しさ、悲しみ、寂しさ、怒り、他たくさんの感情に歯噛みする。
「なぜだ、なぜ止めなかった!!!」
「もちろんお引止めいたしましたとも!!
ですが、本物の令嬢が現れたのだから自分は去ると、旦那様もそれについてはご承知だからと……」
「!!」
「旦那様が戻られるまでお待ちくださいと、皆でお願いしたのです!
せめて医師が到着するまではお待ちください、お怪我の具合だけでも診ていただかれますようにと……」
「怪我!??」
「アウローラ嬢に、扇で打たれ、頬に血が……」
「なっ……!! あの女っ!!!」
「お待ちください旦那様!
お嬢様が、旦那様に渡してほしいとおっしゃって、これを…っ!」
マシューが差し出したのは、婚姻の証という形で彼女の指にあったはずの青水晶の指輪だった。
何故これがここにあるんだと、ミハイルは震える手でそれを受け取った。
もしもこれがまだ彼女の手にあるなら、魔力痕を辿って居場所も特定できたはずなのに。
「旦那様、こちらは魔法契約の結晶片ですね?」
「っ…それは……」
「お嬢様が、教えてくださいました。
なぜ、これがお二人の婚姻の証なのです?
いったいなぜ、あのような契約を交わしたというのですか?」
オーロラが話したのならもう隠しおおせないと、ミハイルはマシューにすべてを打ち明けた。
「活発になりつつあった分家筋からの私に対する不満を手っ取り早く散らすために、彼女には妻になる契約を持ち掛けた。
代わりに、実家の伯爵家に支援金を送ると」
「そんな、そのような理由で……では旦那様とお嬢様は…」
「私たちは、契約で結ばれた、偽りの夫婦だ……」
「なんということを……」
自分で説明をしながら、”偽りの夫婦”という言葉に、ミハイルは切り割かれるような胸の痛みを覚えた。
「本当に素晴らしい方と出会われたと安堵して……『約束の令嬢』でなくとも、想いあっての婚姻だと、ミハイル様を本当の意味で支えてくださる方だと、喜んでおりましたのに…」
「マシュー、まさか、オーロラが例の茶会の令嬢でないことを知っていたのか?」
「当たり前でございましょう?
何年、お傍にお仕えしてきていると思っておいでですか」
額に手をやり深いため息を吐く老執事に、ミハイルは信頼してくれる部下に嘘をついていた罪悪感にあらためて苛まれる。だが立ち止まっている暇などない。
「……確かに最初は偽りだった、が今は違う。
出会いは契約からだったが、今ではオーロラは大事な存在だ。
彼女を、探しに行く!!」
指輪を握りしめて踵を返す主人の行く手に、執事長は両手を広げ立ちはだかった。
「お待ちください、旦那様」
「止めるな、一刻も早く彼女を見つけて……っ」
「旦那様!!!」
いつになく大声を上げるマシューに、ミハイルの肩が揺れた。
それでも今にも駆け出していきそうなミハイルをマシューは静かだが厳しい口調で諫める。
「今、旦那様がすべきことはオーロラ様を追うことではなく、アウローラ様とちゃんとお話をされることです」
「なんだと!? あの女のことなど構っている暇はっ……」
「旦那様。
次々に舞い込む縁談のお話を断る口実として、旦那様はずっと、『約束のご令嬢』のことを利用していらっしゃいました。
そして、オーロラ様を代役に立て結婚までなさった。
ですが、アウローラ様の立場でお考えになってみてください。
アウローラ様はもう長らくの間、フェアノスティを離れ南大陸にいらしたそうです。知らぬ間に、ご自分のことが王国内で噂になり、しかも自分ではない者が自分に成り代わり侯爵家に嫁いでいる。不愉快にお思いになって当然ではございませんか。
そういう意味ではアウローラ様もまた、被害者です。
悪いのは『約束のご令嬢』をずっと利用してきた旦那様と、それをお諫めしてこなかった我々侯爵家家臣一同ではないでしょうか?」
「………」
「そして一番の被害者は、契約結婚などというもので縛り、こちらの事情に巻き込んでしまった、オーロラ様でございましょう。
間違った関係は、正さねばなりません。
どうか、旦那様。まずは、アウローラ様とお話になってください」
「しかし……っ」
「オーロラ様は今、弟君のいる学院に向かわれています。
一度は断られましたが懇願して馬車に乗っていただき、護衛の騎士二名をつけ送り出してございます。
事前の申請なしに学院内に貴族家の騎士は入れません。ですが、学院の門前で待機している彼らとは通信魔道具で連絡が付いております。
オーロラ様はまだ学院からは動いておられません。
オーロラ様の所在は、確認出来ていますから、旦那様、どうか……」
「………わかった…」
マシューにそう諭され、ミハイルは今すぐオーロラを探しに行こうと焦る気持ちを無理やり押さえつけ、話し合いのために別室にいる令嬢のもとへと向かった。
ところが―――——
アウローラとの話し合いが終わり彼女を追い返した後、夕刻を過ぎ外が暗くなっても、一向にオーロラについての新たな報告は来なかった。
やがて、王立学院の門前でオーロラが学院から出てくるのを待ち続けていた騎士たちから、夜間で学院が閉鎖されたのにバーリエ家の姉弟が姿を現さないと連絡があった。
学院の門前で騎士たちに見送られ双子の弟たちと話すために学院の敷地内へと入って行ったのを最後に、オーロラ・リンデルト侯爵夫人の足取りはぱったりと途絶えてしまったのだった。




