転機はいつも突然訪れる
ミハイルのいない侯爵邸で起こっていたこと。
今回はだいぶ短い話になっています。
※時系列がおかしかったので、アウローラ襲来時を午後としていたのを午前に修正しています。
話は、ミハイルが東方へと出発した頃に遡る―――
彼を見送った翌日の朝、ミハイルからこれから船に乗ると通信魔道具で知らせがあった。
出航後は通信魔道具が使えなくなる。帰港予定の日までは少し気を揉むことになりそうだと、オーロラは東の空を見ながら考えていた。
それから数日は、侯爵邸では何事もなく平穏な日が続いた。
オーブリーが言った通り、王都で行方知れずになる者が多発しているという注意喚起が、王立騎士団第四師団により貴族街と一般居住区の両方に発せられた。連日、新聞はそのことについて触れているが、注意喚起のおかげか新たな行方不明者が出たという知らせは見受けられなかった。
その日の午前も、不安を滲ませるオーロラを気遣ったメイが用意して、庭園で王都各社の新聞を読みながらお茶を飲んでいた。すると、どこからか騒がしい声が途切れ途切れに漏れ聞こえてきた。
「何かしら?」
「確認してまいります。お嬢様は念のため、邸内にお戻りください」
「わかったわ」
メイが離れ、訝しみながらも別の使用人とともに邸宅内の自室に向かった。
すると、廊下の反対方向から、騒がしい一団がこちらに向かってくるのが見えた。
「お待ちください」という侯爵家使用人たちの制止を聞かずその先頭を歩くのは、オーロラの髪色によく似た豊かな金の髪をした若い令嬢だった。
どんどんこちらに近づいてきた彼女に向け、一緒にいた若い侍女がオーロラを庇うように一歩前に出た。
「お待ちくださいませ、いったいどちらのご令嬢で―――きゃっ!!」
侍女の言葉が終わる前に、令嬢が彼女の胸を持っていた扇で強く突いた。
突然強く押された侍女はその場に倒れ込み尻もちをついた。
「っ! 一体、何事ですか?乱暴はお止めください!」
オーロラが思わず声を上げた。倒れ込んだ侍女が別の者に支え起こされるのを見届けて、すっとその令嬢の前に出た。
「当家にどのような御用でしょう。
本日は来客の予定はないはず。お名と御用件をお伺いしてよろしいでしょうか?」
背筋を伸ばし、毅然とした態度でその令嬢を真っ直ぐに見据える。
だがそんなオーロラの視線を、彼女は鼻で嗤いながらこう言った。
「名前、ですって?」
そして使用人たちが止める間もなくオーロラに詰め寄ると、高く振りかざした手を素早く振り抜いた。
バシッと音がして、侍女たちから悲鳴が上がる。
彼女の手には、木製の扇が握られていた。令嬢の力でも、手に何かを持って叩けばさすがに怪我をする。
叩かれたオーロラの頬には、薄らと血が滲んでいた。
「お嬢様!!」
駆け戻って来たメイが悲鳴のような声を上げるのを聞きながら、オーロラは頬の痛みに、自分が叩かれたのだとじわりと理解した。
驚愕するオーロラの顔を見て、令嬢は碧眼を細めてえたりと笑った。
「名前なんて、それはこちらが訊きたいわ、偽物の泥棒猫さん」
手に持った扇を優雅に広げながら、令嬢が名乗る。
「私はアウローラ・エンゲ。エンゲ侯爵の孫で、ミハイル様がお探しになっていた、本物の『約束の令嬢』よ」
予期せぬ来客、だがいつか来ると心のどこかで覚悟していた出会いを前に、オーロラは自分の足元が音を立てて崩れていくような感覚を覚えていた。




