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だから違うと言ってるでしょう  作者: 錫乃


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20/39

東方からの客人

ブクマといいね,ありがとうございます。

全体の折り返し点は超えたかなーというところ。

引き続き頑張りますので、よろしくお願いいたします。

「お目覚めですか、旦那様?」

「…………あぁ」


焦点が定まらないまま天井を見ていたミハイルは、トレバンの声に数回瞬きしてから返事をした。

少し現実感が戻ってきたところで、ゆっくりと体を起こす。

いつもの夜着を身に纏ってはいるが、着替えた記憶がない。夜着の胸元を掴んでぼーっとしているミハイルを見て、トレバンが説明した。


「昨夜はお仕事が一段落した後、執務室で眠り込んでしまわれたのです」

「ああ…そうだったな」


仕事の手を止めてオーロラと並んで話をしているうちに眠くなって、そのまま寝入ってしまったらしい。


(人前で眠ったのなど、子供の頃以来? いや初めてなんじゃないか?)


ミハイルは室内に人の気配があると眠れない性質(たち)で、就寝の準備が終わった後はいつも人払いして独りになる。

たとえマシューであっても、目の前で居眠りなどしたことはなかった。


(疲労困憊、というやつか。だが、おかげで久々に良く寝た)


朝の支度を手伝い終えたトレバンが退室するのと入れ替わりに、マシューが入って来た。


「おはようございます旦那様。今朝も()()をなさるおつもりですか?」

「ああ……」

「ご帰還後はずっと休まず()()を続けていらっしゃいます。

お疲れも溜まっておられますし、今日は……」

「いつも通りで大丈夫だ」

「ですが……」

「今日はよく休めて頭も身体もすっきりしている。

それに、東の海に赴いて商談を行うことになるかもしれない。

念のため、準備はしておいた方がいい」

「………かしこまりました」


白手袋を外してから執務机の引き出しの鍵を開ける主人を見て心配そうに一つ溜め息を漏らし、マシューは用意してきた液体をグラスに注いだ。

マシューが小さな盆にグラスを載せて執務机の方に向かう頃には、ミハイルは先ほどの引き出しに再び魔法で施錠をし終えていた。


「……マシュー、魔力回復薬を」

「こちらに」


マシューが見る限り、昨日まで同じ作業をしていた時より、今日の方がまだミハイルの顔色は良い。

よく眠れたというのは本当かと、少しほっとしながら執事長は主人にグラスを差し出した。

再び白手袋を嵌めてからグラスを手に取ったミハイルが、思案顔でマシューを呼んだ。


「………マシュー」

「なんでございましょう?」

「私は昨日………いや、なんでもない」


言葉を飲み込んで、グラスに口を付けようとしたミハイルが顔を顰める。


「なんだこれは?

…なんか、果物のような、独特な匂いが……」

「はい。灰猫商会の新商品だそうで、魔力回復薬に飲みやすいように香りと味を付けたそうです」

「……よけいに飲みにくくなってる気がするんだが…」

「学院の子には受けているそうですよ」

「私は子供では……はぁ、もういい」


ミハイルは意を決してぐいっとグラスの中身をあおった。甘い香りと味が付いた粘度のある液体が喉をとろーっと下りていくのを、別のグラスに入れて差し出された水で無理やり飲み下す。

灰猫商会は画期的な魔道具と魔法薬を開発・販売している店で、リンデルト侯爵家の魔晶石産業の大口の取引先だ。薬の効果はいつも通り確かなようで、先ほど引き出しの中の物に行った()()のために失われた魔力が体内でじわりと戻ってくる感覚がした。ただ、喉越しの悪さはいつもと同じなのだが、通常の魔力回復薬の薬草臭と苦味の代わりに甘い匂いと味が舌にべっとりと張り付いてくる不快感がなんとも言えない。

思っていた以上の味わいに、ミハイルは飲む前よりも具合が悪くなった気がした。



「………次は、いつものやつにしてくれ」

「かしこまりました」


  * * *



ミハイルは、執務室で眠った後のことを一切覚えていないようだった。

翌日の朝食の席でいつも通りの様子だったミハイルに、もし彼が覚えていたらどんな顔をすればと考えてよく眠れなかったオーロラとしては肩透かしを食らった気もしたが、少しほっともしていた。

とにかく、何ごともなかったように日が経ち、オーロラが翻訳した例の書類の監修も無事済んで、ミハイルは東海の島々と取引がある商団との交渉を始めた。


「翻訳に問題はありませんか?」

「そんなに不安そうにしなくても大丈夫だ」


自分の翻訳にまだ自信が持てないオーロラにミハイルが太鼓判を押した。実際、監修してくれた者からも全く問題ないとの報告がきていた。外国語文学好きの素人翻訳なんてと彼女は言うが、初めての仕事でこれだけの成果が出せるのは充分得難い才能だとミハイルは思う。


(まあリンデルト以外でこの才能を活かしてみては、とは絶対に言わないがな)


逃してなどやらないぞ、という意味を込めてミハイルが微笑みながらさりげなく彼女の髪のひと房を手に取り口付ける。彼の内心に気付いてないオーロラはまた過剰サービスだと睨んでくるが、それすらミハイルは甘い笑みで受け流してしまう。だんだんこの距離に慣れさせられそうで、オーロラは小さく唸るしかない。

そんな彼女を満足気に見ながら、ミハイルが唐突に切り出した。


「商談が落ち着いたら、特別手当を出そうと思っている」

「特別手当、ですか…?」

「ああ」


突然また何か言い出したぞ、とオーロラはちょっとだけ身構えた。


「……いいですよそんなの。

正直言って、いただいてる給料に見合うにはまだまだ働き足りないくらいなんですから」

「そんなことはないと言っているだろう。

それに、私が何かしたいんだ。

そうだな、寒さが厳しくなるのを待って、いっしょに北辺に行かないか?」

「北辺?」

「以前、自分の目でオーロラが見たいと言っていたじゃないか」

「あ」


侯爵邸に来たばかりの頃にメイとの雑談でそんな話が出たのを、ミハイルに言われてようやくオーロラも思い出す。


「覚えてらしたんですか?」

「ああ。

雪の中の馬車移動は大変だから、北方辺境伯領の領都までは飛行艇で行くんだ。楽しそうだろう?」

「……もしかしなくても、侯爵家は飛行艇もお持ちなので?」

「前もって飛行計画を出さねばならんから、ギリギリまで日程調整しての出発だった挨拶回りでは使えなかったがな。

事前にしっかり旅程を決めて出かける旅なら、使わない手はないだろう」

「ほぇえ、さすが大富豪……」


遠い目になったオーロラにクスッと笑いながら、ミハイルが重ねて誘いかける。


「行くか?」


どうだと言わんばかりの得意げなミハイルに、オーロラもふふっと笑う。

オーロラを観に行くのも楽しみだが、飛行艇での旅にも正直興味をそそられた。


「はい、是非」

「よし、では……」

「なになにどこか行くのー?」

「わぁっ!」


背後からいきなりオーブリーが元気な声で会話に割り込んできた。彼が近づいて来たことにも気が付かなかったオーロラは、驚きすぎてバクバクいう胸を両手で押さえて落ち着けなければならなかった。


「お前な……気配を消して近づくのはやめなさい」

「ごめんって。で、またどっかに出かけるの?」


ミハイルが説明すると、オーブリーは手を打って喜んだ。


「いいね!新婚旅行じゃない!」

「旅行なら、前回バーリエ領とリンデルト領に行きましたよ?」

「何言ってるんだオーロラ、あれは挨拶回りだ」

「そうだよ義姉上、新婚旅行とは別ものでしょ?」

「お前も行くんだオーブリー。

だから休暇申請の心積りをしておけよ」

「えぇー?

やだよー新婚夫婦の間に挟まっての旅行なんて。完全にお邪魔虫じゃん」

「お前だけじゃない、双子の休みも考慮しながら、みんなで行くんだ。

新婚旅行ではなく、家族旅行だからな」


家族旅行、と呟き、オーブリーの顔がパァッと明るくなった。


「みんないっしょなら、行く!絶対行く!

フォルツとリントにも教えてやらないとだね!」


嬉しそうに走っていく後ろ姿に、子供か、とミハイルが呟いて、2人いっしょに笑う。喜ぶオーブリーを見ていたら、オーロラまで北辺行きが楽しみになってきた。


「そうだ、オーロラ。

先日もらったリストの本、何冊かはすぐ手に入りそうだ」

「本当ですか??」

「ああ、今日の交渉時に同席してくれる人が手配してくれた。

可能なら、受け取って帰って来る」


きゃぁーと嬉しそうに笑うその頬にミハイルが素早くキスを落としても、オーロラは本のことで頭がいっぱいな様子でいつものように過剰サービスだと怒ったりしなかった。

反応がないのを喜ぶべきか、寂しがるべきかとミハイルは苦笑する。


「それでは、商談に行って来る」

「はい。いってらっしゃい、ミハイル」

「ああ」


トレバンを従え王都内へと仕事に向かうミハイルを、オーロラは満面の笑顔で見送ったのだった。



フェアノスティ王国は北大陸の竜壁山脈より南側を領土としている。国の北側は、大陸を横断する竜壁山脈、他の三方は海である。

東西南北にはそれぞれ、国を外敵から守るために独自の判断で強力な辺境伯軍を動かす権限を王から与えられている辺境伯家が領地を構えていて、王都から各辺境伯領都までは街道が整備されている。

王国全体の貿易収支では南大陸との取引がその多くを占めているので南街道の周りは特に発展している。だが、東海の海賊が討伐されて以降は、東の国々との取引も増えてきた。

ブレーリオ東方辺境伯領の領都スベイラには、東方諸島の国々との取引を行う商会も集まっていて、そのうちのいくつかは王都にも支店を持っている。

ミハイルが手始めに交渉を始めたのは、そういった王都に支店を持つ大商会だ。そしてそういった交渉の場には、商会の人間だけではなく、商会が取引する相手国の貴賓が同席することもある。


王都内の一角にあるリンデルト侯爵家の別邸の一つ。その一室では先ほどまで、東方最大の島国マルンス王国産の宝石の取引の話し合いがされていた。

交渉が一段落し、商会の人間がトレバンの案内で退室すると、室内には二人の貴人が残った。


「順調な滑り出しね、ミハイル」

「おかげさまで」


貴人のうちの一人はリンデルト家当主のミハイル、もう一人は東方マルンス王国の色彩鮮やかな衣装を身に着けた、黄金色の髪をした美しい女性だった。


「思った以上に早く連絡が来たからびっくりしたわ。

何かあったの?」

「有能な人材を見つけたので」

「へぇ~」


書類をとんとんと整えながら、ミハイルの顔に笑みが浮かぶ。

女性に言った通り、交渉は思った以上にスムーズに進んでいる。

まだまだ先は長いが、幸先のいいスタートを切れたのはオーロラの仕事のおかげだ。


「なぁにー?その気味の悪い笑顔」

「人聞きの悪い言い方をしますね」

「ふふっ。それはさておき、何回もこうして東海の人間を王都に呼んで都度交渉、って、めんどくさくない?

ミハイルが東海まで来てくれるんなら、あちらの面々を一同に集めてばばーっと順番に交渉できるよう日程を組むわよ?」

「東海に、直接出向く、か………」

「ん? だめ?」

「駄目というか……家を空けなければいけなくなるな、と」


何か考えをめぐらすミハイルに、女性が「ははーん」と言ってにやりと笑う。


「さては、溺愛しているという噂の新妻と離れたくないのね?」

「そういう、わけでは……まだ、彼女は私のことをどれほど想ってくれているかがわからないので、これからもっと距離を詰めていこうとしている最中で……」


口ごもってまったく誤魔化せていないミハイルに女性がさらに笑う。

揶揄われてムッとするミハイルの背後から、女性が腕を回してきゅっと抱きしめ、サラサラのプラチナブロンドを撫でる。


「貴方にそんな顔をさせるなんてね、ますますその奥様に会いたくなっちゃったわ」

「………機会があれば、会うこともあるでしょう」

「そうねぇ……ふふっ、その時が楽しみだわ」



  * * *



出先のミハイルから予定より帰宅が少し遅くなると使いが送られてきた、その日の午後。


「奥様にお客様でございます」

「……私に?」


自室でお茶を飲みながら久しぶりに読書をしていたオーロラのところに、マシューがやってきてそう告げた。


「どなた…?」

「ご所望の本をお持ちしました、と伝えてほしいと………」

「あっ!」


所望した本、と聞いて、ミハイルに渡した”東方の欲しい本リスト”のことだとすぐに思い至った。

出がけに彼が何冊かはすぐに手に入りそうだと言っていたから、それのことだろう。

ただちょっと、来客を告げに来てくれたマシューがいつになく歯切れが悪い気がするのが気になったのだが、とにかく会ってみようと手許の本を置いた。


「すぐに参ります」



メイと一緒に向かった応接室には、数冊の本と一緒にそれを届けに来たという人物が待っていた。

東方特有の襟元が大きく開いたドレスに、丸い頬と細い首、そしてそこから続く肩と鎖骨のラインが美しい。

深い青色の切れ長の瞳を持つ、黄金色に輝く髪の美しい女性だった。


「はじめまして。私がオーロラ・リンデルトです」


オーロラがあいさつすると、青い瞳を細めた美女が優雅な微笑を浮かべた。


「お会いできて光栄でございます、美しき侯爵夫人様。

お初にお目にかかります。

東方の島国、マルンス王国から参りました、カオル・ニルヴァーナと申します。

ミハイルから依頼された本をお届けに、それと、彼の奥様に是非お目にかかりたくて伺いました」




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