第一話 『小説にルールはない』
小説は、自由散文である。色々と調べた挙句に待ち受けていた結論はこの一文のみだった。正直なところ、明文化された厳密なルールがあるというような事は期待していなかったが、それにしてもアバウトすぎた。私はしばらくの間、この事実が受け入れ難かったことをここに明記しておく事とする。
そして佐藤裕子の正体はまだ謎のままだ。一週間経っているというのに進展はない。いや、娘はいつも通りだったので、その時点で佐藤裕子が見ず知らずの不審者やらストーカーやらではない事だけは確認ができた。確認は取れた。確認は……だんだんと、心の中に不穏な嵐が巻き上がっていく。
確認が出来たからといって、それが何かの進展に繋がるというのか!
落ち着こう。ここは落ち着く為にも小説を書くべきだ。やはり昨今流行りのラノベというものを研究してみるべきかとも思うが、この年で今さらラノベ作家を目指すのもちょっと面はゆいというか、なんというかだ。なにより佐藤裕子の全角明朝体フォントがどんどん脳内で拡大されていく動作を止める事が出来ない。
妻は事の詳細を聞き終わった瞬間に唇を歪めた。
「ぷっ、」
軽く息が、口内に含まれた空気が抜け出る音が、いやに大きく響いていた。
私はその先を問い質すことをその時点で断念せざるを得なかった。ブルータス、いや、最後まで言う必要はあるまい。私はこの屋の主を自認していたわけだが、どうやらそれが大いなる勘違いであったやも知れないという、まこと知りたくもない事実までもが露見してしまったわけだ。
小説を……書こう。今や私を慰める唯一無二の友となってしまったこの偽らざる私の歓びよ。小説を書くという行為こそが今、私がすべき最優先の課題だと、そうして佐藤裕子の存在を離れ、子離れできない親ではない証拠を自身の為に紡ぎだすべく、
佐藤裕子ー!!
妻までが、よもや私よりも先にその存在を了承していたらしき点については、まぁ不問にしてもいい。
それより何よりお前は誰だ?
私はお前の存在のせいで、ようやく思い至ったこの決意を揺るがされているのだぞ!
落ち着け、そうだ、こういう時こそ小説を書かねば。
小説を書く、それは私にとって、逃げ道だった。
辛く、果ての見えない人生の長距離走。その要所、要所に現れる巨大なハードルを飛び越える時、私は自分を慰め、奮い立たせ、IFの可能性を糧にして、いつかは小説家になろうという儚い夢に縋って、本来はただ味気ないだけの人生という辛苦を延々と歩き続けてきたのだ。
今こそ、この夢に本当の夢を重ね、言い訳でない自身の夢に敬意を表し、今こそ叶わなかった努力という実践をだ、そう、ようやく人生を賭けてみようというその大事な時期に、なぜ現れた、佐藤裕子。お前は私の前に、私の愛する家族と私との間を分断するべく現れた、次なる険しきハードルなのか。
何故だ、なぜ現れた。この時期に。そしてお前は誰なのだ……――。




