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80:これ以上は関わらないで欲しいんです 如月沙希視点

「……生きていた頃の記憶、ありますよね?」


 私がそう言うのと、ずっと屋上に吹き抜けていた風が止むのは、ほとんど同時だった。

 レイさんは、しばらく私の言葉を吟味するような間を置いてから、目を大きく見開いた。


「な、何を言っているんですか……? 記憶があるって……」

「……前にも言ったかもしれませんが、私の家は神社を経営しています。その影響か、私の家系は皆、幽霊を見ることが出来ます」


 何やら誤魔化そうとするレイさんの言葉を遮るように、私は淡々と語る。

 自分の言葉に感情が籠っておらず、平坦な口調になっていることが分かった。

 しかし、今は気にする必要は無い。

 私は続けた。


「だから、幽霊に関する知識は、かなり豊富です。小さい頃から、英才教育で色々と幽霊に関する知識を仕込まれてきました」

「な……何が言いたいんですか?」

「……昨日分かったことなんですが……どうやら、貴方の本体は生きているみたいですよ?」


 私の言葉に、レイさんは目を大きく見開いて、「えっ……?」と掠れた声を漏らした。

 それに、私は首を傾げて見せた。


「あれ? 嬉しくないんですか?」

「……えっと……」

「自分が死んだと思っていたら生きていた、なんて……普通は喜ぶと思うんですけど?」


 私の言葉に、レイさんの表情が徐々に青ざめていくのが見て取れた。

 それに、私は彼女の顔を覗き込みながら、続けた。


「生きていれば、結城さんに触れたり触れてもらうことも出来るのに……“何も知らない純粋無垢なレイさん”なら、迷わず喜ぶのではないですか?」

「……それは……」

「まぁ……飛び降り自殺した貴方なら、当然かもしれませんけど」


 その言葉に、レイさんは僅かに息を呑んだ。

 彼女の反応に、私は微笑で返しつつ、さらに続ける。


「昨日、貴方の正体が分かったので……インターネットで、少し調べたんです。……この前の三月に、屋上から飛び降り自殺をして意識不明の重体になった、雨宮怜という生徒のことを」

「……意識不明……?」


 私の言葉に、レイさんは青ざめた表情のままで、そう呟いた。

 それに、私は首を傾げながら口を開く。


「あれ? 記憶があることは、もう否定しないんですか?」

「ッ……それはッ……」

「……昨日、結城さんから貴方の話を聞いて、父に聞いてみたんです。生きている人間から幽霊が生まれることはあるのかって」


 レイさんはもう、何も言わない。

 グッと唇を噛みしめて、私の言葉を聞いている。

 私は続ける。


「父曰く……生霊、というものがあるそうです。極稀な事案らしいですが……何かしらの衝撃で、生きた人間から魂が抜け出て、幽霊と化す現象。それが、生霊」


 私はそう言いながら、レイさんの体に触れる。

 と言っても、私の手は彼女の体を擦り抜けてしまうのだけれど。

 何も言わずに私の手を見つめるレイさんに、私は続けた。


「生霊は、死霊……ナギサさんのような、普通の幽霊との違いは、ほとんどありません。ただ、唯一の違いは……生きていた頃の記憶が、あるか否か、です」

「……」

「ねぇ……レイさん?」


 私はゆっくりと手を上げて、レイさんの胸元に持って行き、その手を……握り締める。

 まるで、胸ぐらを掴むように。

 けど、彼女の体を引っ張ることは出来ないので、代わりに私が前に出て続けた。


「貴方は結城さんに……自分の記憶を取り戻して欲しい、ってお願いしたんですよね?」

「……」

「すでに記憶はあるのに……なんで、そんな嘘をついたんですか?」

「……結城さんの気を引くためですよ」


 小さく呟いたその言葉に、私は目を見開いた。

 その声は……いつものレイさんのものでは無かった。

 冷たくて、無機質な感じの……冷淡な声。

 レイさんの目は、いつの間にか冷たいものに変わっており、冷ややかな微笑を浮かべて私を見つめていた。


「結城さんに、ここに、私の為に通って欲しくて……咄嗟に嘘をついたんです」

「……なんでそんなことを……」

「……私の心は、とある人のせいで弱くなりました」


 言いながら、レイさんは自分の胸に手を当て、スッと下になぞる。

 それから彼女は微笑み、続けた。


「こんな体になって……ずっと、一人ぼっちで……耐えられなかったんです。そんな中で結城さんみたいな人に出会ったら……縋りたくもなるじゃないですか……!」

「……そんな理由で……ッ!」

「でもッ!」


 遮るように叫ぶレイさんに、私は口を噤む。

 彼女はキッと私を見つめたまま、続けた。


「確かに、あの時は自分の為だけに……結城さんを騙しました。けど、今は本当に……結城さんのことが好きなんです」

「……」

「……このこと……結城さんには、話しましたか?」


 恐る恐ると言った様子で聞いて来るレイさんに、私は首を横に振って見せた。

 すると、彼女は安堵したような笑みを浮かべ、「良かった」と呟いた。

 それに、私はゆっくりと口を開いた。


「……もしかして、これからも……記憶のことは隠し続けるつもり?」

「……それは……」

「私は、結城さんが幸せなら、それで良いと思ってる。でも、これからも貴方が記憶のことを隠して結城さんを騙し続けるつもりなら、私にも考えが……」

「違いますよッ!」


 声を張り上げるレイさんに、私は言葉を詰まらせた。

 すると、彼女は私を見つめて、続けた。


「記憶のことは……私の口から、直接伝えたかっただけです。……心配には及びません」

「……そうなんですか」

「はい。だからもう……これ以上、関わらないで下さい」


 冷淡な声で……それでも、凛とした、しっかりとした言い方で、レイさんは言った。

 それに、私は目を丸くして「え?」と聞き返した。

 すると、彼女は自分の胸に手を当てて続けた。


「これは……私と、結城さんの問題なんです。……如月さんは、結城さんのことが好きなんですよね?」

「……それはッ……!」

「だったら、余計に……これ以上は、関わらないで欲しいんです」


 これは、私達恋人同士での問題ですから……と。

 冷ややかながらも、どこか掻き消えそうなか細い声で、彼女は呟いた。

 それに、私は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。

 コイツ……よりによって、こんな時に爆弾を落としやがって……。


「……そうですか……」


 辛うじて、そんな言葉を絞り出す。

 私はフラフラと数歩後ずさり、レイさんと距離を取る。

 ……これ以上、話すことは無い、か……。


「……分かりました。もう……関与はしません」


 私はそう言いながら踵を返し、屋上から出る扉の方に向かって歩いて行く。

 扉に手を掛ける直前で、私は、レイさんに大切なことを伝えることを忘れていたことに気付く。


「……あぁ、そうそう……」


 わざとらしい口調で言いながら、私は振り返り、こちらを見つめるレイさんに視線を向けた。

 それから、胸ポケットの中にあるスマホを取り出し、画面を見せる。


「これは、昔父から聞いたことなんですけど……相手に霊感があれば、電話越しでも、こちら側の幽霊の声って伝えられるんですよ」


 そう言いながら、私は扉を開ける。

 するとそこには……スマホを耳に当てながら立ち尽くす、結城さんの姿があった。


「……結城さ……ッ!?」

「……レイ……」


 驚くレイさんに、結城さんは小さく呟く。

 私はその様子を横目に、結城さんとの通話を切り、スマホを制服のポケットにしまった。


「じゃあ、私は先に教室に戻っておくから……頑張って」


 結城さんの耳元で、私はそう、小さく囁いた。

 ……もう、これ以上は関わらないで、か……。

 いよいよ役立たずというか……お役御免というわけか。

 私は薄暗い階段を下りながら、小さく溜息をついた。


 やっぱり……もう、恋はしたくないな。

 だって……こんなに苦しい思いをするなんて、もう御免だもの。

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