72:充分強くなったよ
「……幽霊が、現世に残した未練を解決させること」
「……どういうこと?」
如月さんの言葉の真意が分からず、私はつい、そう聞き返した。
すると、彼女は私を見つめたまま、続けた。
「幽霊っていうのは、皆、現世に何かしらの未練が強く残っていたからこの世界に残っているようなものなの。その未練自体の強さや、内容は人それぞれだけど……皆、未練があることは確定よ」
その言葉に、私は反射的にレイを見た。
幽霊は、未練が残っているのが当たり前……?
だったら……レイも……?
「じゃあ……ナギサさんの未練を解決させたら……」
「えぇ。何の後腐れも無く、成仏する」
どこか不安そうに聞き返したレイに、如月さんはそう言い放つ。
それに、私は制服の裾を握り締める。
……なんとなく、レイとの別れの瞬間が、分かった気がする。
レイの記憶を取り戻した時、彼女はきっと、未練だって思い出す。
彼女が幽霊である以上、その未練を解決することがきっと、私の義務だ。
その時が……私と、レイの……別れ……。
「まぁ、そういうことだから……しばらくは姉妹水入らずでも良いけど、いずれは……」
「……ナギサの未練が何なのかを……聞かなくちゃいけない……?」
そう聞き返すと、如月さんは静かに目を閉じて「そういうこと」と答えた。
……ナギサがこの世に遺した未練は一体、何なんだろう。
どれくらいの未練が残っていたら幽霊になるのか……それすらも分からない。
もしもその未練が解決出来ないものだったとしたら、ナギサを成仏させることなんて出来ないし……その時は、強引にお祓いをするしかない。
「……行こう。そろそろ、二人も充分話した頃でしょう」
如月さんはそう言って、ゆっくりと屋上に足を向けた。
確かに、先程に比べると二人の話し声が小さくなってきたような気がする。
如月さんはすぐに扉を開き、屋上に出た。
私とレイも、すぐにその後を追って屋上に出る。
「……あれ? 皆勢揃いで出てきて……どうかした?」
屋上に出てきた私達を見て、ナギサは明るく笑いながらそう聞き返してくる。
彼女の言葉に、私はすぐに聞こうと口を開いて……言い淀んでしまう。
いざ、二人を目の前にすると……何も言えなくなる。
……幽霊にとっては、成仏って、死ぬようなものだと思う。
成仏して欲しいって言うことは……死んでほしいって言うのと、同意じゃないか。
そう考えてしまったから、私は何も言えなかった。
開きかけた口はそのまま固まり、喉からは掠れた息が漏れ出る。
「……あのね、ナギサさん」
すると、私の隣にいた如月さんが、そんな風に言い始める。
それに、私は咄嗟に「ちょちょっ! 如月さん!」と、慌てて彼女を止めた。
私の声に、如月さんは私を見て「……何?」なんて聞き返してくる。
彼女の反応に、私は少し言い淀んでから、続けた。
「……私が……言うよ……」
「……え……?」
「二人を引き合わせたのは私だから……! ……だから……私が、責任を取る……」
私の言葉に、如月さんは僅かに目を丸くした。
彼女は一度ナギサを見てから、薫を見て、もう一度私を見る。
それから少し間を置いてから、ゆっくりと頷いた。
「……結城さんがそうしたいなら……そうすればいい……」
「……ありがとう」
如月さんの言葉に私はそう答えて、一歩前に出る。
生きている人間に、幽霊を引き合わせることの重大性。
ナギサが、薫に出会ってどう思うか。
そんな大事なことを考えず、ただ、姉妹二人を会わせるべきだと……軽率に行動してしまった。
だから、私はその責任を取って、二人に説明しなければならない。
その責任が、私にはあると思った。
如月さんにばかり、汚れ役をさせるわけにはいかない。
「あのね、ナギサ……よく聞いて……」
そんな言葉を皮切りに、私はナギサに全てを話した。
このままでは、薫がナギサに依存し過ぎてしまうかもしれないということ。
成仏する方法……如月さんが言った、三つの方法。
そして、幽霊と未練の因果関係。
……如月さんから聞いた話は、全て話した。
「……つまり……私がこの世に遺した未練さえ無くなれば……私は成仏する、と……」
「うん。……それが一番、後腐れ無く全てを終わらせられる方法だって」
私の言葉に、ナギサは「そっか……」と言いながら、目を伏せる。
その隣では、薫が俯いている。
すると、ナギサは一度薫に視線を向け、私を見上げて来る。
それから、彼女はフッと微笑み、続けた。
「……私は……それで良いよ」
「……お姉ちゃん……!?」
ナギサの言葉に、薫は掠れた声で聞き返しながら顔を上げた。
すると、ナギサはそれをチラッと見てから、小さく笑い、私を見て続けた。
「そりゃあ、完全に死ぬことは怖いよ? 一回死んでるけど……気持ち良いものでもなかったし。でも……私が幽霊であることで、薫が私に依存するくらいなら、私なんて成仏して消えてしまった方がマシ」
平然と言い放つナギサだが、彼女の覚悟は凄いと思う。
一度死んでいるとはいえ、妹の為に死ぬ決意をしているのだから。
……いや、一度死んでいるからこそ……死ぬということを、今、この場にいる誰よりも理解している。
理解しているからこそ……彼女の言葉に、重みが出る。
「……でも……お姉ちゃんが、いなくなったら……私……」
「薫は充分強くなったよ」
泣きそうな表情を浮かべる薫に、ナギサはそう言いながら、ゆっくりと手を伸ばす。
そして……薫の頭を、優しく撫でた。
結局、彼女の手は薫の髪もすり抜けてしまうが……その手は確かに、妹の頭を優しく撫でていた。
ナギサの言葉に、薫の表情が、悲痛に歪む。
すると、ナギサはそれを見て小さく苦笑し、ゆっくりと続けた。
「お姉ちゃんが死んでも、立派に生きてくれてる。昔は友達なんて一人もいなかったのに、今では二人も友達が出来ちゃって」
「……いや……私は友達じゃ……」
ナギサの言葉を如月さんが否定しようとするので、私は咄嗟に彼女の口を手で塞いだ。
今は良い所なんだから、水を差すな!
私の反応に、如月さんは私の手の中でモゴモゴと口を動かす。
その間に、ナギサは薫の頭から手を離し、続けた。
「だから……私がいなくても、やっていけるよね?」
「……でも……私、お姉ちゃんがいないと……今だって、お姉ちゃんの真似をしているだけで……ッ!」
「形はどうであれ……薫が昔より成長したことは変わらない」
静かに……それでも、ハッキリとした口調で断言するナギサに、薫は口をへの字に結んで口を噤んだ。
けど、その口は段々と弧を描き、微小へと変わる。
薫は、泣きそうな笑顔を浮かべながら、ゆっくりと続けた。
「……私……これからは、お姉ちゃんの真似をしなくても頑張って友達作るね……」
「……うん」
「料理とか……家のことも、もっと頑張る」
「……うん」
「お姉ちゃんが、成仏しても……もう、心配掛けなくて良いように……私……頑張る……」
「うん。……頑張れ」
ナギサの言葉に、薫は「うんっ」と大きく頷いた。
……答えは決まった……か……。
一人そう考えていると、如月さんが、ゆっくりと二人に近付いた。
「じゃあ……ナギサさん、聞かせてくれませんか?」
「……何を?」
「貴方が、この世に遺した未練です」
分かっているんですよね? と、念を押すように言う如月さんに、ナギサは優しく笑い返した。
そして、彼女はゆっくりと口を開き……――。




