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70:もう終わりにしませんか?

「なんで、記憶が戻ってないフリなんてしたんですか?」


 私の言葉に、ナギサさんは体の動きを完全に停止させた。

 その時、授業開始のチャイムが鳴り響いた。

 彼女はそれに「あっ」と小さく声を上げ、私を見て口を開いた。


「ホラ、授業開始したし、教室に帰った方が……」

「誤魔化さないでって言いましたよね?」

「……だよね」


 ナギサさんはそう言いながら、目を逸らす。

 すると、ずっとやり取りを聞いていたレイさんが「あの……」と開口した。


「……レイちゃん?」

「えっと……私なんかが、偉そうなことは言えないですけど……なんか……そうやって誤魔化し続けるのは、ナギサさんらしくないと思いますよ」

「……私らしくない……?」


 聞き返すナギサさんに、レイさんは「はい」と、しっかりと頷いた。


「なんていうか……ナギサさんって、もっとサバサバしてるというか、ハキハキしているというか……思い切りの良い人だったと思います」

「思い切りの良い、ねぇ……」


 レイさんの言葉に、ナギサさんは暗い声で、そう呟いた。

 ……私には、彼女等の性格なんて、良く分からない。

 ナギサさんの言う通り、私にとっては、結城さん以外の人間は皆どうでもいいから。

 普段の言動との違いも分からないし、最初は、ナギサさんが忘れたフリをしていたことも知らなかった。

 けど、レイさんの言ったことを聞いて、一つ思ったことがある。

 それは……――


「――……今のナギサさんを見たら、有栖川さんは悲しむと思いますよ」


 私の言葉に、ナギサさんはビクッと肩を震わせた。

 ……レイさん同様、私に、このことで偉そうに言う権利は無い。

 でも、もし今のナギサさんが、彼女らしくないと言うのなら……。


「だって、今のナギサさんは……有栖川さんが好きになったナギサさんじゃ無いですから」

「……」


 私の言葉に、ナギサさんは何も言わずに、目を伏せた。

 金色の前髪がサラリと垂れ、彼女の瞼に触れる。


「……じゃあ……私にどうしろって言うのさ……」


 ポツリと、ナギサさんは呟く。

 かと思えば、彼女はバッと顔を上げ、私の胸の辺りに腕を突っ込んだ。

 ……否、私の胸ぐらを掴もうとした。


「私にッ! どうしろってッ! 言うのッ!」

「……どうしろって……」

「あのさ……もう死んでるんだよ……? 私……。なのに……こんな体になって……今更全部思い出して、大事な妹を目の前にして……どうしろって言うの……?」

「ッ……」


 ナギサさんの言葉に、私は答えられない。

 すると、彼女は私の胸から腕を抜き、自分の胸に手を当てて続けた。


「何て言えば良かったの!? 大好きだよって!? 会えて嬉しいって!? こんな体で!?」

「……ナギサさん……」

「薫を抱きしめてみて、改めて実感したよ。……こんな体じゃ、もう……大切な妹を抱きしめることすら出来ないんだって……」


 そう言いながら、ナギサさんは崩れ落ちる。

 彼女の頭頂部を見下ろしながら、私は小さく息をつく。

 ……だから、やめろって言ったのに……。

 こうなることが分かっていたから、私は二人を止めたんだ。

 別に、ナギサさんや有栖川さんが傷付くことはどうでもいい。

 勝手に、二人でお互いの傷を舐め合っていればいい。互いを慰め合っていればいい。


 でも……二人が傷付けば、きっと、結城さんも傷付く。

 彼女は、なんだかんだ言って優しい性格だ。

 友達が傷付けば、きっと悲しむ。

 ……彼女が悲しむ姿は見たくない。

 癪だけど、私が何とかするしかない。


「……じゃあ……どうしますか?」


 私はそう言いながらしゃがみ込み、崩れ落ちたナギサさんと目を合わせる。

 すると、彼女はゆっくりと顔を上げ、私と目を合わせた。

 私は続ける。


「このままじゃ、有栖川さんに触れることも出来ないですし……貴方が一方的に傷付くだけです」

「……私が……傷付く……?」

「はいっ。だから……もう終わりにしませんか?」


 私の言葉に、ナギサはハッと目を見開いてこちらを見てきた。

 それに、私は優しく笑い返し、続ける。


「貴方はもう死んだんです。死んでも尚、こうして苦しみ続けるなんて、おかしいじゃないですか?」

「でも……私……」

「有栖川さんには、私が説明しておきますよ。貴方は一度死んだ存在なんですから……きっと、すぐに納得してくれるはずです」


 私の言葉に、ナギサさんは目を見開いたまま、ただジッと私を見つめて来る。

 大きく見開かれた彼女の目に、私の笑顔が映り込む。


「だから……もう、成仏しませんか?」

「……え……?」

「私には、ナギサさんを成仏させてあげることが出来ます。もう、未練も何もかもを捨てて、消え去ってしまった方が……楽だと思いますよ」

「……何を……」

「そ、そんなのダメですよ!」


 掠れた声で答えるナギサさんの言葉を遮るように、レイさんが叫んだ。

 彼女の言葉に、私はユラリとそちらを見やった。

 するとそこでは、レイさんが両手で拳を強く握り締め、まっすぐナギサさんを見ていた。


「……レイちゃん……」

「そんなの……ダメです……! ……確かに、ナギサさんは辛いかもしれませんが……本当にこのまま死んじゃってもいいんですか……?」

「ナギサさんはもう死んで……――」

「ナギサさんには、何か、前世で叶えたかった願いがあるんじゃないんですかッ!?」


 悲痛な声で叫ぶレイさんに、ナギサさんはハッとした表情を浮かべる。

 ……コイツ……余計なことを……。

 内心で舌打ちをしていると、ナギサさんはゆっくりと立ち上がった。


「……ナギサさん……」

「……ははっ……レイちゃんの言う通りだ。ちょっと……視野が狭くなりすぎてた」


 目元に手を当てながら、ナギサさんは言う。

 かと思えば、彼女は突然、フラフラと屋上の出入り口の方に歩き始めた。


「な、ナギサさん……?」

「ちょっと、歩いて来る。……薫に会うまでに、気持ちの整理をしておきたいからさ」


 そう言って彼女は微笑み、屋上を出て行った。

 ……折角、この問題を解決できると思っていたのに……。

 前世で叶えたかった願い? そんなもの、幽霊の体で叶えられるはずがない。

 ナギサさんが消えれば、有栖川さんだって、きっと納得はするはずだ。

 今更幽霊に縋っても、意味など無いんだと、分かってくれるはずだ。

 ……それなのに、コイツは……!


「……如月さん」


 すると、レイさんが名前を呼んで来た。

 視線を向けると、すぐに彼女は私に距離を詰めて、声を張り上げた。


「貴方は……自分が何をしようとしたのか分かっているんですか!?」

「……何の話ですか?」

「惚けないで下さいよッ!」


 怒鳴るように叫ぶレイさんに、私は少しだけ驚く。

 彼女がここまで声を荒げたことが、今までにあっただろうか。

 ……いつも能天気に結城さん結城さん言っているイメージしか無いや。

 一人思考を他所に飛ばしていると、彼女は私の肩を掴むように手を動かした。

 しかし、その手は私の体を擦り抜ける。

 けど、そんなことは気にせず、彼女は続けた。


「殺そうとしたんですよ……? ナギサさんのことを……ッ」

「殺そうとはしていませんよ。正しい形に戻そうとしただけです」

「……貴方は……ッ!」


 珍しくその表情を怒気で歪めながら、レイさんは私を睨む。

 それに、私は「勘違いしないでほしいのですが」と言いながらポケットから数珠を取り出し、右手首に付ける。


「貴方とナギサさんは幽霊で、もう死んでいる存在です。本来ならば、こうして幽霊として存在していること自体が間違っているんです」

「……だからって……ッ」

「言っておきますけど」


 私はそう言いながら……私の肩の辺りにあったレイさんの手首を握り締めた。

 それに、レイさんは目を見開く。

 すぐに私は彼女の手を離させ、続けた。


「やろうと思えば、今すぐ貴方達を成仏させることも可能です。それをやっていないだけ感謝して頂けませんか?」

「……なんで……成仏させないんですか……?」

「……貴方達がいなくなったら、結城さんが悲しむから」


 そう言いながら、私はレイさんの手を離す。

 すると、彼女は両手を下ろし、何とも言えない表情で私を見つめた。

 ……もう、良いか……。

 これ以上話すこともないと判断した私は、踵を返し、屋上の出入り口の方に足を向けた。


「……負けませんから……」


 その時、レイさんの微かな声が聴こえた。

 振り返るとそこでは、真っ直ぐ私を見つめるレイさんの姿があった。


「……結城さんを好きって気持ちは……負けませんから……ッ!」

「……そうですか」


 そう呟いた声は、自分でも驚くほどに、冷ややかな声だった。

 ……私と彼女じゃ、勝負にもならない。

 だって、彼女と結城さんはすでに、交際まで行っている。

 今更、私にどうこうできる問題ではない。


 だから私は、それ以上は何も言わずに、レイさんに背中を向けて歩き出す。

 ……叶わない恋でも良い。彼女に敵わなくても良い。

 ただ、この気持ちが止むその時までは……好きな人に、尽くしたい。

 ただ……それだけ。

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