62:もう大丈夫だよ 有栖川薫視点
病院での治療やリハビリを終え、無事平穏な日々を送れるようになって病院を退院したのは、高校の入学式の翌日だった。
帰っても部屋に引きこもるなら、そんなこと気にする必要なんて無い。
しかし、一度死にかけて、生きることを誓った私の考え方は、入院前とは異なっていた。
もう、お姉ちゃんの死を無かったことにすることは出来ない。
どんなに後悔しても、お姉ちゃんが死んだ運命を動かすことは不可能だ。
だったら、私はお姉ちゃんの分まで生きる。
お姉ちゃんが生きられなかった世界を……代わりに生きる。
私なんかがお姉ちゃんの代わりなんて、おこがましいこと言っている自覚はある。
でも……私しか、お姉ちゃんの妹はいないから。
お姉ちゃんと同じ血を分けた姉妹は、私しかいない。
彼女の代わりが出来るのは、きっと……私しかいないから。
退院してからの帰り道で、私はお母さんに頼み、散髪屋に連れて行って貰った。
千円カットの安い店で髪を切り揃えて貰い、長かった髪を肩までで切りそろえた。
前髪も切り、スッキリした印象になるようにした。
……少しでも、お姉ちゃんみたいになりたかったから。
お姉ちゃんみたいな人になるには、見た目から変わるしかないって思ったから。
私は……変わるんだ。
お姉ちゃんの代わりに生きるなら、私が、お姉ちゃんみたいにならなくちゃ。
今までの、陰気な有栖川薫じゃない。もう、昔の私じゃない。
お姉ちゃんみたいな、明るくて優しい皆の人気者になるんだ。
「……よし」
鏡を前に、私は小さく呟く。
新しい制服を身に纏い、髪を整えればもう、そこにいるのは今までの私じゃない。
暗くて人と話すことが苦手だった有栖川薫とは、もうお別れだ。
今日からは、私は……有栖川渚の代わりなんだ。
「……行ってきます」
誰も居ない部屋にそう投げかけ、私は扉を開けた。
大丈夫。上手くやれるさ。
何と言っても、私は……お姉ちゃんの妹なんだから。
学校は、私の家から徒歩十五分程の距離にある。
途中にあるコンビニでお昼ご飯を買い、春の風を肩で切りながら、私は同じ制服を着た人達の波に従って進んでいく。
大丈夫。上手くやれる。私はお姉ちゃんの代わりなんだから。
自分に言い聞かせながら、私は人の波に従って、教室に辿り着く。
「すぅ……はぁ……」
教室に近付くにつれて、段々緊張してきた。
私は小さく深呼吸をしながら、自分の教室の前に立つ。
大丈夫……大丈夫……大丈夫……。
何度も自分に言い聞かせながら、私は汗の滲む手を、何度も握り直す。
そして、その手を扉に掛け、ゆっくりと……開いた。
「……ッ……」
扉を開けた瞬間、数人の生徒の視線がこちらに向く。
確かに、入学式にもいなかったわけだし、見知らぬ顔がやってくれば気になるものか。
でも、ここで怖気づくわけにはいかない。
私は……変わるんだ。お姉ちゃんの為に。
「お……おはようッ」
私は、そう挨拶の声を口にした。
大丈夫かな。震えていなかったかな。裏返っていなかったかな。
心臓がバクバクと音を立てて、変な汗が噴き出す。
「……おはよー」
「おはよう」
「おはよー」
しかし、私の心配とは裏腹に、クラスの皆は快く私を迎えてくれた。
良かった……大丈夫だったみたいだ。
安心すると、なんだか、体から力が抜けてくる。
「もしかして、有栖川さん? ずっと休んでた」
すると、一番前の、廊下側から二列目に座っていた女子生徒がそう声を掛けてくる。
彼女の言葉に「うんっ」と頷くと、すぐに彼女はその隣の、一番廊下側の席を手で示した。
「じゃあ、有栖川さんの席はここだよ」
「そうなんだぁ。ありがとう!」
私はそう言いながら、笑って見せる。
上手く笑えているだろうか。自信が無い。
けど、上手くやらなくちゃ。お姉ちゃんに成りきるんだ。
席に鞄を置くと、近くの席に座っていた何人かがこちらに近付いて来た。
「貴方が有栖川さん?」
「ずっと休んでて心配だったんだよ」
「風邪?」
「入学式からツイてないねぇ」
口々に発せられる言葉を一つ一つ理解するのは、中々に至難の技だった。
けど、なんとなく皆が、二日休んでいた私を心配してくれていることは分かった。
だから、私は微笑み、それに答える。
「えへへっ、皆、心配してくれてありがとう。でも、この通り元気だから! もう大丈夫だよ~」
私はそう言って笑いながら、両手を軽く振って見せる。
その時、教室の後ろの扉が開き、誰かが入ってくるのが見えた。
まぁ、別に気にしなくても良いかと思ったが、私と話していた内の何人かがそちらに視線を向けていたので、釣られて視線を向けてみた。
「……カッコいい……!」
そんな声が、無意識の内に口から出た。
入って来たのは、白い髪をショートヘアにしていて、白い眼帯を左目に着けた女子生徒だった。
なんていうか……自分を持っているって感じがする。
お姉ちゃんに成りきらないと、自分という個性を確立できない私とは違う。
なんていうか、強い自分を持っているように感じた。
彼女と仲良くなれば、私は……強くなれるのかな。
気付いた時には、私はその女子生徒の元に足を進めた。
大股で歩いて来る私を見て、少女は目を見開き、明らかに引いたような態度を取る。
でも、そんなこと関係無い。私は、私の為に……彼女と仲良くなりたい。
「な、名前! 名前、何て言うの!?」
女子生徒の前に立ち、私はそんな風に尋ねた。
興奮とか、人見知りだとかが混ざり合い、変な話し方になっていた気がする。
けど、彼女は気付いていないのか、視線を逸らしながら小さく口を開いた。
「えっ……ゆ、結城、神奈……です」
「結城……神奈……」
ゆっくりと繰り返しながら、頭の中で何度もその名前を反芻させる。
結城神奈……結城さん……いや、お姉ちゃんならきっと、神奈ちゃんって呼ぶ。
お姉ちゃんは凄くフレンドリーな人で、クラスメイトのことは皆、名前にちゃん付けで呼んでいたから。
だから、私は彼女の右手を両手で掴み、「へぁッ!?」と驚く彼女の目を見つめながら、明るく笑って見せた。
「私! 有栖川 薫! よろしくね、神奈ちゃん!」
---現在---
……今の私がいるのは、お姉ちゃんのおかげだ。
お姉ちゃんの真似を続けて、お姉ちゃんに成りきって……今の私がいる。
今までのことを思い出し、その気持ちは、余計に強くなった。
だったら……私の選択はもう、決まっているじゃないか。
例えどんなに悲しい結末になったとしても、私は……お姉ちゃんに会うべきだ。
私は右手にお姉ちゃんの生徒手帳を握り締めたまま、左手で鞄からスマホを取り出し、のっそりと体を起こした。
スマホでLIMEの画面を開き、今日追加したばかりの神奈ちゃんとのトーク画面を開き、ポチポチと文字を打ち込んでいく。
『神奈ちゃん』
『私、どうするか決めたよ』
『お姉ちゃんに会うことにする』
立て続けに送ったメッセージに、少しして、既読が付く。
少しして、彼女からのメッセージが届いた。
『分かった』
『平日じゃないと屋上に上がるのは難しいから、月曜日にしようか?』
『うん。それで大丈夫』
『でも、その前に、出来れば一緒に行って欲しい場所があるの』
『どこ?』
神奈ちゃんの問いに、私は指を動かし、文字を打ち込んでいく。
……お姉ちゃんに会う前に、ここには、行った方が良いと思った。
打ち終えて送信ボタンを押そうとした時、少しだけ、躊躇してしまう。
……大丈夫。
今の私なら……神奈ちゃんと一緒なら……きっと、耐えられる。
私は覚悟を決めて、送信ボタンを押した。
『お姉ちゃんのお墓』




