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55/124

55:そんなの当たり前でしょ?

「うッ……ぅぅ……」


 呻き声を上げながら、私は体を起こした。

 全身が軋むように痛い。坂を落ちて来る段階で、相当全身を打ったらしい。

 体に痛みが走るのを感じていた時、自分の顔に違和感を抱き、咄嗟に左手で左目部分に触れた。


 ……眼帯が……無い……!?


「結城さぁぁぁぁぁんッ! 有栖川さぁぁぁぁぁんッ! 大丈夫ぅぅぅぅぅぅッ!?」


 その時、頭上からそんな声が降って来た。

 如月さんの声だ……!

 答えるべきだとは思ったが、それよりも私にとっては、眼帯が無いことが一大事だった。

 とにかく先に、予備の、使い捨ての眼帯を付けておこう。

 そう思った私はリュックを下ろし、外ポケットに入れておいた使い捨てのガーゼの眼帯を取り出そうとした。


「……嘘……」


 しかし、外ポケットの中には、使い捨ての眼帯が入っていなかった。

 ドラッグストアで買った物を袋ごと入れていたはずなのに……。

 まさか、転げ落ちる中で堕とした……?


「や、やだ……!」


 血の気が引くような感覚を抱きながら、私は立ち上がり、辺りを見渡す。

 痛みなんてどうでもいい。そんなことより、早く眼帯を探さなくちゃ。

 辺りは茂みや木々で溢れ返っており、ただでさえ人より視界の狭い私には、この中から眼帯を探すことは絶望的のように思えた。

 けど、やらなくちゃ。

 私は手近な茂みから探そうと、一歩踏み出した。

 その時だった。


「神奈ちゃんッ!?」


 右手を後ろから掴まれ、私の体は止まった。

 左目を抑えたまま振り向くと、そこには、心配そうな表情で私を見つめる有栖川さんの姿があった。


「あ……有栖川……さん……」

「沙希ちゃぁぁぁんッ! 神奈ちゃんも大丈夫そう!」

「本当!? じゃあ、すぐに私達もどこか道を探してそっち向かうから、そこから動かないでね!」


 如月さんの声が頭上から降ってくると共に、あの道で三人が歩き出したのが足音で分かった。

 その音を聴いていると、有栖川さんが私の腕をキュッと握り直し、私を見てゆっくりと続けた。


「ホラ……今、沙希ちゃん達がこっち向かってるから、待ってなくちゃダメだよ?」

「で……でも……」

「……神奈ちゃん、ずっと左目押さえてるけど……怪我したの……?」


 そう言いながら、有栖川さんは……手で隠している私の左目に、手を伸ばしてきた。


「触らないでッ!」


 反射的に言いながら、私は彼女の手を弾く。

 パチンッ! と小気味良い音を立てながら、有栖川さんの手は私の手によって拒絶される。

 ……しまった……。


「あ……」

「えっと……ごめん……」


 小さく謝りながら、私は後ずさる。

 ……これ以上、見ないでくれ……。

 とにかく、眼帯を探しに行かないと……。

 そう思って、踵を返そうとした時だった。


「ま……待って……」


 有栖川さんはそう言って、私の服を掴んだ。

 ……まだ何を……。

 そこまで考えて、私の思考は止まる。

 なぜなら……有栖川さんが私の背中に、抱きついてきたから。


「……え……?」

「だめ……行かないで……」


 微かな声で呟きながら、有栖川さんは私の腰に腕を回し、強く抱きしめる。

 私よりも小さくて華奢な体が、情けない私の足を止める。

 振り解くことは、きっと簡単だ。

 でも……私は、それが出来なかった。


「……行かないから……」


 小さく呟きながら、私は腰に回された彼女の手を撫でる。


「行かないから……大丈夫だから……――……泣かないで」

「ッ……」


 私の言葉に、有栖川さんは微かに息を呑む。

 ……眼帯を失って、動転していたはずなのに……今はやけに、落ち着いている。

 左目を押さえた手は取れないままだけど、でも……不思議と、気持ちは大分落ち着いてきていた。


「……もう少し……こうしていても良い……?」

「……良いよ」

「やった」


 小さな声で嬉しそうに言いながら、有栖川さんは少し強く、私の体を抱きしめた。

 それから、有栖川さんの気が済むまでの間はそうしていた。

 けど、しばらくして、彼女は私の体をゆっくり離した。

 そこまでされて、離されたからとすぐに眼帯を探しに行く程冷静な人間ではなかったので、ひとまず私は彼女に背を向けて座った。

 有栖川さんはそのすぐ後ろでペタンと座り、ジッとこちらを見つめていた。


「でも、神奈ちゃん……大丈夫? ずっと左目押さえてるけど……怪我したんじゃないの?」

「……怪我では無いよ」

「じゃあ……眼帯無くした、とか?」


 有栖川さんの言葉に、私は言葉を詰まらせた。

 ……まぁ、彼女も一度私の顔を見ているし、それで気付いたのかもしれない。

 答えられない私に、彼女が「やっぱり」と小さく呟いたのが聴こえた。


「そこ、人に見られたくないの?」

「……うん……」

「そっか……」


 背後から聴こえる小さな声に、私は狼狽する。

 その、「そっか」には、どんな意味が籠っていたのだろうか。

 でも、これだけは絶対に、見られたくない。

 見られたらきっと、嫌われる。

 嫌われれば、きっと、疎外される。……中学の頃のように。

 考えただけで、吐き気を催しそうになる。

 やっぱり、今からでも眼帯を探した方が良いんじゃないのか。

 そんなことを考えていた時だった。


「神奈ちゃん。動かないでね」

「え……?」


 背後からの声に聞き返した時、突然視界を、カラフルな可愛らしいタオルが遮った。

 何事かと驚いていた時、タオルは私の顔の左半分を覆った。


「神奈ちゃん。手、外して?」

「う、うん……」


 有栖川さんの声に、私はソッと左手を抜いた。

 すると、タオルが私の顔に押し付けられるような感触と共に、後頭部の方で縛られるのが分かった。


「……キツくないかな?」

「大丈夫、だけど……これは……」

「うーん……まぁ、眼帯が無い代わり?」


 そう言いながら、有栖川さんは私の前までやって来て、手鏡を見せてくれた。

 するとそこには、綺麗に左目の部分をタオルで覆われた、私の姿があった。

 触ってみた感じ、簡単に外れるとも思えない。


「……有栖川さん……これ……」

「……誰にだって、見られたくない所とかあるし……神奈ちゃん……死にそうな顔してたから」


 彼女の言葉に、私は何も言えない。

 すると、有栖川さんは優しく微笑んで、私の手を取って続けた。


「友達が困ってたら、助けてあげる。……そんなの当たり前でしょ?」

「……有栖川さん……」

「薫、で良いよ。……神奈ちゃん」


 そう言ってニコッと笑う有栖川さんに、途端に私は緊張してしまう。

 な、名前は流石に恥ずかしい。

 しかし、ここで断るのも何だか申し訳無いし……。

 口の中がカラカラに渇くのを感じながら、私は口の中で何度も、彼女の名前を転がす。

 薫……薫……薫……。

 ……よし……。


「か……」


 いざ口にしようとした、その時だった。


 ……薫……?


 一瞬……記憶のどこかに、その名前が引っ掛かった。

 薫……かおる……。

 どこで見たんだっけ……確か、もう大分前……。


 ……ナギサに見せて貰ったプリクラ……。


 ……ナギサと一緒に写っていた女の子の名前……何だった……?


 ドクンッ……ドクンッ……と、鼓動の音がやけに高まる。

 なんで今まで……気付かなかったんだろう……。

 いや……今まで人のことは苗字で呼ぶのが当たり前だったから、名前なんて一々意識しなかったんだと思う。

 ナギサのプリクラだって、あの時はナギサの名前を見る方に意識が向いて、一緒に写っている女の子の名前なんてほとんど気にしていなかった。顔なんてもってのほか。


「……神奈ちゃん……?」

「……薫……」


 名前を呼びながら、私は薫の顔を見つめる。

 震える声で、ゆっくりと……私は続けた。


「ナギサ……って名前に……心当たり無い?」


 私の言葉に、薫の目が大きく見開かれる。

 彼女は小さく口を開き、掠れ、震える声で言葉を紡いだ。


「……お姉ちゃん……?」

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