51:何やってるんだろ
「……ん……」
重たい瞼を開くと、そこには、見慣れない天井があった。
瞼だけじゃなくて、頭も少し重く感じる。
倦怠感が体中に漲っており、腕を動かすことも億劫だ。
……ここは一体……?
「目……覚めた?」
その時、どこからか声を掛けられた。
首を動かして視線を向けるとそこには、寝間着らしき服を着て、何やら菓子とサイダーのようなものを飲んでいる、保健室の奈緒美先生の姿があった。
「先生……私……」
「キャンプファイヤー始まった時に急に気絶したから、ここまで運んで来たんだよ」
そう言いながら、サイダーをグイッと飲む。
彼女の言葉に、私は視線を動かし、壁に掛けられた時計を見た。
見れば、すでに夜の十二時を回っていた。
「……消灯時間はとっくに過ぎてるし、今日はこの部屋で寝な。お風呂も、どうせ元々ここで済ませるつもりだったんだし」
「……すみません」
「謝る必要なんて無いでしょ。一応皆には貧血って誤魔化しておいたけど……実際は、違うんだよね?」
「……」
奈緒美先生の言葉に、私は答えられない。
……まさか、大きな炎にトラウマを持っているなんて、思いもしなかった。
普通の火も……昔はライターの火だけでもかなり動揺していたものだったが、今はもう克服した。
だから、大丈夫だと思っていたのに……あれだけ大きな炎となると、ダメみたいだ。
「……まー、私が何言っても無駄だろうけどさ」
そう言いながら、先生はガリガリと頭を掻く。
何だろうかと思い見つめていると、彼女は私を見て、小さく口を開いた。
「如月さんとか、有栖川さん、とか……心配してたよ」
彼女の言葉に、私は何も言えなかった。
……今の私には、心配してくれる人がいる。
それは嬉しいし、幸せなことだ。
けど、現状が幸せであればあるほど……あの頃に戻るのが、すごく怖い。
気付けば、体中に漲っていた倦怠感も抜け、起き上がることが出来そうだった。
私は体を起こし、部屋を見渡す。
すると、部屋の隅に私の荷物が纏めて置いてあるのを見つけた。
ぼんやりとそれを見つめていると、奈緒美先生は私の視線に気付き、「あぁ」と呟いた。
「いつ目覚めても、元々はこの部屋ですぐにお風呂に入って貰う予定だったからね。如月さんに頼んで、持って来て貰ったんだ」
「そうなん、ですか……」
「……明日になったら、ちゃんとお礼を言っとくんだよ?」
奈緒美先生の言葉に、私は「はい」と頷いた。
それから、ノロノロと布団から抜け出し、荷物に近付いて着替えの準備をする。
寝間着用の服と下着を取り出し、私は奈緒美先生の方に視線を向けた。
「ここのお風呂って、タオルありますか?」
「備え付けのはあるけど……自分のがあるなら、それでやった方が良いね」
「分かりました」
先生の言葉に、私はタオルも取り出し、それらを胸に抱いて立ち上がる。
「では、お風呂入って来ます」
「おー」
私の言葉に、奈緒美先生はヒラヒラと手を振る。
能天気なおちゃらけた態度。だが……変に気を遣われるよりは、マシだ。
風呂場は、トイレや洗面所と一緒の部屋になっていた。
私は扉に鍵を閉め、誰も入って来れないようにする。
これで……大丈夫……。
心の中で呟き、私は寝間着等を置き、脱衣を開始する。
服も下着も――眼帯も――脱ぎ捨てる。
全てを脱ぎ去った私は、一糸纏わぬ裸体となる。
さっさと体を洗って出てしまおうと、湯船の方に歩を進めた私は、洗面所の鏡の前で足を止めた。
「……気持ち悪い」
鏡に映る自分の顔に、私はそう吐き捨てた。
今まで、鏡で自分の顔を見る度に、何回この感想を胸に抱いたことだろうか。
何度気持ち悪いと思っても、何度この顔を嫌っても、治りはしないのに。
こうして鏡を見ている時間ですら、無駄な時間なのだ。
私は鏡から静かに視線を逸らし、湯船の中に足をついた。
それから、ノズルをキュッと回し、シャワーを浴びる。
……もしも、あんなことが無ければ……もっと普通の人生が歩めただろうに。
そんな気持ちが、胸中に蔓延る。
もしも、あの日が平凡な日々だったら……私にはきっと、お父さんもお母さんもいて……普通の家庭で、普通に暮らして……友達もそれなりにいて……普通の中学生になって、普通の高校生になっていたのだろうか。
宿泊研修だって、もっと……普通に楽しめたんじゃないか?
キャンプファイヤーを前にしても……気絶なんかしない。
だって、トラウマになるような出来事が無いんだから。
お風呂だって、皆と大浴場に行って、大きなお風呂に浸かるんだ。
その後は大部屋で、同じ部屋の子達と色々な話をするんだ。
学校の話とか、ちょっとした世間話とか……恋バナ……とか……。
「……私……何やってるんだろ……」
前髪から滴り落ちる雫を見つめながら、私は小さく呟いた。
ホント、何やってんだろ……。
私は、ただ……普通の人生を、送りたいだけなのに。
何の変哲もない……小説にする価値も無い、どこにでもあるようなありふれた日々を送りたいだけなんです。
シャワーの雫に混じって、何かが頬を伝う。
その何かの正体は……知りたくない。
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プルルルル……プルルルル……。
テーブルに置いたスマートフォンの着信音に、相良奈緒美は視線を落とした。
画面に表示されている名前に、すぐに彼女はスマホを手に取り、応答ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし?」
『奈緒美? 起こした?』
電話の向こう側から聴こえた声に、奈緒美は小さく笑う。
まだ結城神奈は入浴を始めたばかり。余裕はある。
壁に背中を預け、「うんにゃ」と答える。
「まだ起きてたから、気にしなくて良いよ。……優梨子こそ、寝ないの?」
『……眠れなくて……』
その言葉に、奈緒美は微かに目を細めた。
少し間を置いて、ゆっくりと口を開いた。
「……結城さんのこと?」
『……うん。……気になっちゃって……』
優梨子の言葉に、奈緒美は神奈が入っている浴室に視線を向けた。
それから、ゆっくり口を開いた。
「何事も無かった……って言うと、嘘になるかな」
『ッ……』
「でも、元気だよ。今はお風呂に入ってる」
『……今……もう消灯時間も過ぎてるよね? 何があったの?』
不安そうに尋ねて来る優梨子に、奈緒美は、キャンプファイヤーの時の一連の出来事を話した。
話を聞いた優梨子は、電話の向こうでしばらく固まっていた。
それに、奈緒美はゆっくり続けた。
「まさか、炎にトラウマがあるなんて思わなかったんだ。これは、私の配慮ミスだよ」
『……私だって、そんなこと考えたことも無かったもの。仕方が無いわよ』
優梨子の言葉に、奈緒美は僅かに目を伏せる。
確かに、誰も予想していなかったことではある。
しかし……彼女の事故のことを考えれば、予測出来たことでもある。
『……それで、他には特に何も無かった?』
奈緒美が自己反省を行っていると、優梨子がそう尋ねてきた。
それに、奈緒美は「うん」と答える。
「目を覚ましてからは、もういつも通りになっていたよ。今も普通にお風呂入ってるし」
『そっか。……このまま、結城さんは奈緒美の部屋で寝るんだっけ?』
「そうだよ」
『……去年の宿泊研修では……雨宮さんも……』
「優梨子」
咄嗟に、奈緒美は遮る。
すると、優梨子は『ッ……』と言葉を止める。
彼女の反応に、奈緒美は小さく溜息をついて続けた。
「……結城さんと雨宮さんを重ねるなって……何回も言ってるでしょ?」
『……ごめん……つい……』
「全く……」
『……あぁ、そういえば、雨宮さんで思い出したんだけどさ』
優梨子の言葉に、奈緒美は食べている最中だった菓子を摘まみ、口に運ぶ。
ポリポリと菓子を噛み砕く音の最中で、優梨子は続けた。
『今度の週末……雨宮さんのお見舞いに行かない?』
執筆中はYouTubeで曲を聴きながら書くのですが、最近少女レイというボーカロイド曲を見つけて、「レイちゃんと同じ名前だ!」と思い、聴いてみました。
百合曲でした。めっちゃ良い百合曲なので是非聴いてほしいです。




