37:変な感じですね
あれからなんとかレイに追いつき、呼び止めた時には、外は大分暗くなっていた。
レイは学校までの帰り道も分からないだろうし、幽霊と言えども暗い外を彷徨わせるのは憚られたので、今日は私の家に泊めることになった。
街灯で照らされる道を歩きながら、レイは口を開いた。
「それにしても、いつの間にかこんなに暗くなってしまって……結城さんのご両親、心配しているかもしれませんね?」
レイの言葉に、私はほんの一瞬だけ、返答に迷う。
しかし、すぐに私は「大丈夫だよ」と答えた。
「あの人達は……私に興味なんて無いですから」
「……えっと……?」
「着きましたね」
不思議そうに聞き返すレイをスルーして、私は自分の家を見上げた。
玄関は暗く、排気口からは晩ご飯の美味しい匂いが漂ってきていた。
私はすぐに鞄から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで回す。
カチャリ、と音を立てて、鍵は開く。
扉を開き、私は中に入った。
「……ただいま……」
小さく挨拶をしても、返事は無い。
その代わりに、リビングの方からはテレビの音と、カチャカチャと食器がぶつかり合う音。それから……楽しそうに談笑をする声が、聴こえて来た。
ひとまず私は靴を脱ぎ、廊下を進んで階段を上がり、自分の部屋に向かった。
「ま、待って下さいよ!」
逃げるように自分の部屋に向かった私に対し、レイはそう言いながら、慌てた様子で私に付いて来る。
……この家は……居心地が悪い……。
私は制服を脱ぎ、代わりにジャージを穿いてシャツを着る。
それから、家の鍵を掴んでポケットに入れて、私は立ち上がる。
「あの……結城さん……? どこに行くんですか……?」
「……」
レイの質問に、私は……答えられない。
正直に言えば……レイを、ここには連れて来たく無かった。
この家には、私の汚い部分が詰まっている。
私が隠したい物が……詰まっている。
レイの言葉を無視して、私は、先程歩いたルートを通って玄関から出た。
「あの……結城、さん……?」
「……」
「晩ご飯……食べ始めてる、みたい、ですけど……? 食べなくても、良いん、ですか……?」
「……」
不安そうに、ひっきりなしに聞いてくるレイに、私は何も答えられない。
すると、レイは何も言わずに、悲しそうに目を伏せた。
少しして、彼女はゆっくりと続けた。
「もしかして……怒って、いますか……?」
「……?」
突拍子の無い質問に、私は顔を上げた。
……怒っている?
私が?
彼女の真意が分からず呆けていると、レイは続けた。
「だから……あの……公園で……あんなこと、したから……」
「……あぁ……」
レイの言葉に、私は小さく呟いた。
……あのこと、か……。
私はソッと自分の唇に触れ、少し撫でた。
「……別に、あのことについては、怒ってませんよ」
「……そうなんですか?」
「はい。……私、レイのこと、好きですから」
その言葉は、思っていたよりもあっさり、私の口から零れ出た。
まるで滑り落ちるように出たその言葉は、彼女の耳にも届いたらしい。
雪のように白くて綺麗な頬が、カァァッと赤くなった。
それから、その目を気まずそうに逸らす。
「私も……結城さんのこと、好きです」
「……レイ……」
「だからッ……結城さんのこと……心配なんです……」
……そんな泣きそうな顔で、言わないでよ……。
好きな人にそんな顔されたら……胸が、苦しいんだよ……。
私はソッと、左目の眼帯に触れる。
……このことについて触れない範疇だったら……話しても、良いかもしれない……。
少し考えて、私はゆっくりと口を開いた。
「……私……親が、いないんですよね」
「えッ?」
「小学四年生の頃に……事故で……」
私の言葉に、レイは「あっ……」と小さく声を漏らした。
彼女の反応に、私はゆっくりと続ける。
「それで、今はお母さんの弟さんの家に住んでるんですけど……まぁ……色々あって……腫物みたいな扱いを受けちゃって……」
説明をしていく内に、レイの表情がどんどん曇っていくのが分かった。
……やっぱり、話さなければ良かったかな……。
レイの、こんな表情が見たかったわけではない。
私は目を伏せ、ゆっくりと続けた。
「晩ご飯は私の分なんて用意されてないから、いつも皆が食べ終わった後に、自分で作ってます。朝食や昼食も、夜の内に纏めて作ってます。掃除も、洗濯も……自分のことは全部、自分でやってます」
私の言葉に、レイは「そうなんですか……」と呟く。
……なんか、重たい雰囲気になっちゃったな……。
ポリポリと頬を掻きながら、私は続けた。
「いえ、その……中学生の頃からやってることですから、もう慣れましたよ」
「……でも……辛くは、ないんですか……?」
オズオズと尋ねてくるレイに、私は「辛い?」と聞き返す。
すると、彼女は「はい」と頷いた。
「だって……ご両親もいなくて……今でも、そんな生活して……辛く無いんですか?」
「……慣れました」
「慣れたか慣れて無いかは聞いて無いです!」
泣きそうな声を張り上げるレイに、私はたじろぐ。
それから顔を上げたレイは……酷く悲しそうな顔をしていた。
「……レイ……」
「……私達は……恋人……じゃないんですか……?」
レイの言葉に、私は目を見開いた。
……恋人……?
私と、レイは……恋人なのか……?
一瞬硬直した間に、レイは続ける。
「恋人……なんですから……私にくらいは……頼って下さいよ……」
「……レイ……」
「私は……結城さんに、頼られたい……です……」
最後の方は尻すぼみになりながら、レイは言った。
彼女の言葉に、私は目を伏せ、小さく口を開いた。
「……キス……」
「え……?」
「キス……して欲しい……」
私の言葉に、レイは少しだけ沈黙する。
少しして、「結城さん」と私の名前を呼んだ。
「顔を上げて下さい」
「……?」
言われた通りに顔を上げた途端、唇を奪われた。
相変わらず、感触も、温度も、吐息も……何も感じないキスだけど……。
でも……胸が熱くなる。
心がポカポカと温かくなって……心地良い。
「……なんか、変な感じですね」
恥ずかしそうにはにかみながら言うレイに、私は笑って「そうだね」と答える。
それにしても……恋人……か……。
レイの言ったその単語は、未だに私の心に深く、突き刺さっていた。




