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36:幸せだよ

「……結城さんは……幽霊が見えない方が良かったですか……?」


 レイの言葉に、私は少しだけ、言葉を詰まらせた。

 ……嘘をついても……仕方が無い。

 私は少し考えてから「うん」と頷いた。


「……正直……幽霊が見えない方が良かった、って、思う機会の方が……多かったです」

「……」

「幽霊が見えてもどうしようもないし、正直に言っても誰も信じないし……幽霊が見えるようになった原因だって……無かったことにしたいことですから」

「……じゃあ……」

「でも、今は……見えて良かったって……思う」


 そう言った時、風が吹き抜けた。

 私の髪は風に揺れ、かなり乱れているのが、なんとなく分かった。

 レイの髪は……動かない。

 風が彼女の体を、すり抜けるから。

 まるでこの世界から切り離されたような様子で佇むレイを、私はぼんやりと眺めた。

 眺めながら、私は続けた。


「レイは、幽霊が見えるようになって、初めて出来た友達なんです。……初めて……この人の為に動きたいって……思える相手なんです」

「……結城さん……」

「まだ、全然行動は出来て無いけど……レイは私にとって、大切な人だから……力に……なりたい」


 私はそう言いながら顔を上げ、レイを見た。

 すると、気付けばレイは私の方を向いており、かなり近い距離に顔があった。

 いつもなら動揺していただろうけど、今は、気にならない。

 見つめ合いながら、私は続ける。


「私は……レイと出会えて、幸せだよ」

「……結城さん……」


 私の言葉に、レイは小さな言葉で名前を呼ぶ。

 それから、フッ……と、優しく微笑んだ。


「私も……結城さんと出会えて、凄く嬉しいです」

「……レイ……」

「結城さんと会うまでは、記憶も何も無くて、右も左も分からなかったんです。ナギサさんはいましたけど、記憶が無い幽霊が二人に増えただけでしたし……ナギサさんは本名が分かっている分……私だけが、何も覚えてないように思えて」

「……」


 レイの言葉に、私は何も言えなかった。

 一時期は様々な幽霊と関わっていた私には分かるが、幽霊なんて、むしろ記憶が無いことが普通だ。

 だがしかし、当時のレイがそんなことを知っているはずもない。

 何も分からない彼女にとっては、目の前の景色だけが全て。

 ……幽霊になった上に、少しだけ自分の記憶を持っている幽霊まで現れれば当然、劣等感に蝕まれる。


「でも、そんな中で私は……結城さんに出会えました」


 嬉しそうに言うレイに、私は「え……?」と聞き返す。

 すると、彼女は目を細め、続けた。


「結城さんに出会って……名前を貰って……一緒に話して貰って……私、凄く嬉しかったんです。何も無い私に……結城さんが、温もりをくれたんです」


 そう言って微笑むレイに、私は「レイ……」と名前を呼ぶ。

 すると、レイは微笑み、「結城さん」と私の名を呼んだ。

 たかが名前を呼ばれただけで……胸が熱くなる。心が高鳴る。顔が火照る。

 あぁ、どうやら私は……彼女のことが好きみたいだ。


 いや、本当はきっと……ずっと前から、気付いていた。

 だけど……見て見ぬふりをしていたんだ。

 レイが幽霊で、私が人間だから。

 叶うはずの無い……幸せになれるはずの無い、恋だから。


 今だってそうだ。

 吐息が掛かるくらいの距離に顔があるにも関わらず……私達の呼吸が交わることはない。

 私の吐く息は彼女の体をすり抜け、レイはそもそも呼吸をしていない。

 交わらない二人の世界。繋がるはずの無い、私達の距離。

 近いようで遠い……生死の差。


 でも……そんなこと気にならないくらい、私はレイが好きだ。

 彼女のことが好きだから、こんなに大切なんだ。

 ナギサに対しての罪悪感が薄いのは、彼女が幽霊だから。

 レイも幽霊なのに、彼女のことが大切なのは……彼女が好きだから。


「……結城さん……」


 レイも、私の名前を呼ぶ。

 彼女の黒くて綺麗な目の中に、私が映り込む。

 火照った顔に、潤んだ目をして、ぎこちない笑顔を浮かべ……レイを見つめる、私の顔が。

 変な顔だなぁ……なんて思う。

 でも……目を逸らすことなんて出来ない。

 一秒でも長く……レイの顔を見ていたいと思ってしまう。

 すると、互いの顔が、どちらからということもなく近付いた。


「ッ……」

「んッ……」


 交わらないはずの世界が……繋がる。

 その繋がりは、一瞬のようにも、永遠のようにも思えた。

 感触なんて無い。触れ合うはずがないのだから。

 でも、確かに今……私達は繋がった。


「……」


 音も無く、私達は顔を離す。

 火照った顔に風が当たり、冷ましていく。

 風で湖面が波打つ音を聴きながら、私はゆっくりと口を開いた。


「……レイ……?」

「……ぁ……これは、その……」


 私が名前を呼ぶと、レイの顔が徐々にカァァァと熱くなっていった。

 少しして、彼女はクルリと踵を返し、「ごめんなさいッ!」と叫んで飛び去っていった。

 ……って、は!?


「ちょっ! レイ!」


 私は声を張り上げながら、ベンチから立ち上がる。

 クソッ……帰り道分からないだろうに……馬鹿……!

 軽く舌打ちをして、私はレイを追いかけるために駆け出した。

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