32:二兎を追う者は一兎をも得ず
家に帰った私は、床に鞄を置き、ばふっとベッドに倒れ込んだ。
しかし、すぐに自分のポケットを弄り、スマートフォンを取り出す。
パスワードを打ち込んでロックを外し、ホーム画面の中の、LIMEのアイコンを押す。
LIMEとは、LIME株式会社が提供するSNSアプリのことだ。
スマホを持つほとんどの人が利用している無料コミュニケーションツールで、当然私も使っている。
……と言っても、基本的には家族との連絡で使うのみで、友達には家族のアカウントとLIMEの公式アカウントだけが登録されているだけなんだけどね。
しかし、それはもう、過去の話だ。
LIMEを開くと、そこには、家族以外にもう一人のアカウントが登録されていた。
『さき』という名前に、丸いアイコンには実家の如月神社らしき画像が使われていた。
……そう。私は今日、如月さんとLIMEを交換したのだ。
理由を上げるならば、週末の買い物の予定を話し合ったりする為。
友達と休日に出掛けるだけでなく、LIMEまで交換してしまった。
「……へへ……」
我慢しようと思っても、顔がにやける。
私は緩む口元を隠すように、スマホを持った。
当たり前だが、そんなことでにやけが止まることはない。
けど……嬉しかったんだもの。
友達とLIMEを交換したことが、どうしようもなく嬉しかったんだ。
ピコンッ。
スマホの画面を見てニマニマしていた時、通知音が響き渡った。
「うぉッ!?」
突然のことに驚き、スマホを取り落とす。
私の手から滑り落ちたスマホは、そのまま私の顔面にクリティカルヒットした。
平たく硬い感触に顔を顰めつつ、私は片方の手で鼻を押さえながら、もう片方の手でLIMEを見た。
『家ついた?』
……如月さんからだ!
彼女からのメッセージに、私は飛び跳ねそうなくらい嬉しくなった。
いやいや、落ち着け私。一度深呼吸だ。
私はスマホを置き、大きく一度、深呼吸をした。
すぅー……はぁー……オーケイ。
「……」
精神を落ち着かせ、昂る感情を抑え、私はスマホの画面を見た。
如月さんからのメッセージ……慎重に答えなくちゃ。
私は少し考えて、ポチポチと文章を入力する。
『ちょうどさっき帰ったところ』
それだけ打ち込み、一度送信する。
……うわ、もう既読ついた。
あれ、でも、この文章だけだと少し素っ気なかったかな?
絵文字とか顔文字とか使えば良かったのか……それともいっそ、スタンプとか?
いや、でも、スタンプなんてほとんど持ってないし……。
グルグルと思考を巡らせていた時、如月さんからの返信が来た。
『もしかして、結城さん電車通学?』
……なんで分かった。
あぁ、いや、もう学校が終わってからかなり時間が経っているし、それで家に着いたばかりとなると電車通学以外考えられないか。
一瞬だけ驚いた自分に苦笑しつつ、私は返信を打ち込む。
『うん。そうだよ』
『そっか。じゃあ、週末の買い物は結城さんの住んでる町まで行った方が良い?』
『いや、私が行くよ。定期券あるし、私の近所田舎だから』
『田舎って笑
結城さんがいつも使ってる駅って西山駅?』
『うん。そうだよ』
『じゃああの駅で待ち合わせね』
最初は緊張したり一喜一憂していたものだが、何回かやり取りをしていると慣れてきた。
如月さんは字面でも気さくな人で、正直かなり話しやすい。
やっぱり、良い子は文章でも良い子なんだなぁ……と、しみじみとしつつ、私は『了解です』と返信した。
それからスマホを胸に抱き、天井を眺めた。
如月さんとのお出掛けは、確かに、物凄く楽しみだ。
けど……私だけが、こんなに楽しい思いをしても良いのか、とも思ってしまう。
レイは今頃、学校でナギサと一緒にいるのだろう。
……一人ぼっち、というわけではないけど……きっと、寂しい思いをしているはずだ。
そもそも、ナギサがいて寂しくないなら、わざわざ私なんかに縋らないだろう。
昼休憩のレイの悲しそうな顔を思い出し、胸が痛くなる。
でも、如月さんや有栖川さんと一緒にいる時間も大切だし……大体、レイに関してはどうすれば良いと言うんだ。
宿泊研修には連れて行けないし、だからって休日に会うのも難しいし……。
「……二兎を追う者は一兎をも得ず……か……」
小さく呟きながら、私は仰向けになり、天井を眺める。
友達皆を大事にしたい……けど、幽霊と人間を平等に扱うことは難しい。
けど、このままどっちつかずに優柔不断を続けていれば、全てを失ってしまう気がする。
全てを失ったら……あの頃に、逆戻りなのか……?
「ッ……」
ズキッ……と、左目が疼く。
私は眼帯の上から左目を押さえ、小さく歯ぎしりをした。
あの頃にだけは戻りたくない。あの頃に戻るくらいなら……死んだ方がマシだ……!
ピコンッ。
その時、LIMEの通知音が響き渡った。
私は左目を押さえたまま、空いている手でスマホを操作した。
『そういえば買い物とは関係無く行ってみたいお店があるんだけど、良いかな?』
……あの頃にだけは……戻りたくない……。
それならいっそ、どちらかを切り捨てた方が良いのだろうか。
私は体を起こし、画面に指を走らせ、文字を打ち込む。
『もちろん良いよ』
送信ボタンを押す。
もしもどちらかを切り捨てなければならないなら、その答えは悩むまでも無い。
私は大きく息をついて、壁に凭れ掛かる。
……それでも……私は……――。




