27:恋って何なんですか?
あの後、結局熱が酷くなり、私は三時間目が終わるのと同時に帰宅した。
それから週末の二日間休むと、熱は下がり、学校に来れるくらいには治った。
尤も、熱が下がっただけで、咳と鼻詰まりの症状は残っているのだけれど。
他の生徒に移したら申し訳ないのでマスクを付けて登校したが、眼帯と合わせると顔面の防御力がかなり上がって、中々に愉快な見た目になってしまった。
さて、そんな滑稽な恰好をしている私は、現在保健室に向かっている。
保健室の先生には色々とお世話になったし、一応、挨拶はしておくべきだと思ったのだ。
教室に荷物を置いて廊下を進み、目的の教室の前に立つ。
私は早速ドアノブに手を掛け、開いた。
「失礼しまーす」
「わッ」
「きゃッ」
扉を開いた先に広がっていた光景に、私は扉を開いた体勢のまま固まった。
……状況を整理しようか。
まず、ノックもロクにせずに扉を開いた馬鹿野郎私。
そして、椅子に座っている保健室の先生と……私を見て先生から離れた、宇佐美先生。
けど、ほんの一瞬だけど見てしまった。
保健室の先生の膝の上に乗って接吻を交わす、宇佐美先生の姿を。
……生物学上、保健室の先生も宇佐美先生も女性に当たると思うのだが……。
「……えっと……」
「ゆ、結城さん……こんなところで、何を……」
まさか、私が来るだなんて思っていなかったのだろう。
宇佐美先生は、狼狽した様子で言う。
彼女の言葉に、私は後ろ手に扉を閉め「えっと」と開口する。
「私は、一応熱が下がったので……ここの先生にはお世話になったので、お礼を」
「……結城さんって、意外と律儀な性格なんだねぇ」
私の言葉に、保健室の先生は目を丸くしながら言う。
自分が律儀かどうかなんて分からないが、今は関係無い。
宇佐美先生と保健室の先生を交互に見ながら、私はゆっくりと続けた。
「それで……あの……二人はどういう……」
「ナンデモナイデスヨ」
私の問いに、宇佐美先生は固い声で答える。
……何でも無くないよね、それ。
一般生徒の私があまり踏み込むことでもないのかもしれないが、あんな状況を見てしまったら、嫌でも気になる。
マスクの位置を正しながら、私は口を開いた。
「二人は、恋人……ということで、よろしいのでしょうか?」
「……よろしいですよ?」
「奈緒美ッ」
保健室の先生の答えに、宇佐美先生は窘めるように名を呼ぶ。
へぇ、あの先生、下の名前は奈緒美って言うのか……というか、二人は名前で呼び合ってるんだ……。
宇佐美先生はしばらく何とも言えないような顔で私と奈緒美先生(仮)を交互に見てから、「はぁ……」と一度溜息をつき、口を開く。
「あの……このことは内密にして頂いても良いかしら?」
「えっ? ……構いませんけど……?」
突然の提案に驚きつつも、私は頷く。
すると、先生はフッと微笑を浮かべ、「良かった」と呟いた。
……そこで、私は「あれ?」と、何かが引っ掛かった。
……そういえば、宇佐美先生は前に、好きな人がいる……というようなことを言っていたような気がする。
確か、前に宇佐美先生と話をした時に……中学生の時にイジメを受けていて、転校してきた子に助けられた、と。
で、それを話す宇佐美先生の表情から、恋をしていると私が勝手に判断したのだ。
「……宇佐美先生と……奈緒美? 先生は、同じ中学だったんですか?」
「……? そうだけど……それがどうかした?」
頬杖をつきながら言う奈緒美先生に、私はようやく合点がついた気がした。
つまり……。
「じゃあ、宇佐美先生が中学二年生の時に転校してきた人、って言うのは……奈緒美先生のことですか?」
「えぇ」
「……なるほど」
本当はもっと掘り下げたかったが、やめた。
頷く奈緒美先生に見えない所で、宇佐美先生が真っ赤になっていたからだ。
つまり、宇佐美先生は奈緒美先生に助けられて、惚れたのか。
奈緒美先生がなんで宇佐美先生に惚れたのかは分からないけど……これ以上突っ込むのは、宇佐美先生が可哀想だ。
話題を変えるべく、私は続けて口を開く。
「それにしても、凄いですね。女同士、って」
「ん? そうかな?」
私の呟きに、奈緒美先生はキョトンとした顔で聞き返してくる。
彼女の言葉に、私は「えぇ」と頷いた。
すると、奈緒美先生は「そうかなー」と言いながら、椅子の背凭れに凭れ掛かる。
「私は別に、そうは思わないなぁ」
「だ、だって、同性同士なんて……普通は異性と付き合うべきなんじゃ……」
「人を好きになるのに……性別って関係ある?」
奈緒美先生の言葉が、保健室に響き渡った。
静かだが、凛とした、張りのある声。
彼女の言葉に、私は言葉を止める。
すると、先生は姿勢を正し、ゆっくりと続ける。
「私は、人を好きになることに、性別なんて関係無いと思うよ。二人が両想いで幸せなら、誰と交際しても良いんじゃないかな」
「……」
「……現に、私は今、凄く幸せだよ」
奈緒美先生の言葉に、私は何も言えなかった。
何と言うか……一気に自分が矮小な物に思えた。
そもそも自分はまともな恋愛もしたことないくせに、同性愛を否定するような……失礼なことを言ってしまった。
「……ごめんなさい」
「謝んなくても良いよ。よく言われることだし」
小さく謝ると、奈緒美先生はそう言ってケラケラと笑う。
……二人が今までどんな人生を歩んだかなど、私には分からない。
けど、彼女の口振りから、私が言ったようなことを数多くの人から言われてきたのだろう。
そして……同じような返しを、ずっとしてきたのだろう。
しかし、だからと言って、私なんかが偉そうに言って良いことではない。
ここはしっかり謝っておかなくちゃ。
「いえ……私はまともに恋愛もしたことないですし、こういう偉そうなこと言える立場じゃないんで……」
「……結城さん、恋愛したことないんだ?」
私の謝罪に、奈緒美先生は、何やら面白い獲物を見つけたような表情で聞いてくる。
……あっ、なんか墓穴掘ったかも。
「えっと……まぁ……」
「好きな人とかは? いないの?」
「……えぇ……」
奈緒美先生の言葉に、私はそう頷きつつも、思考を巡らせる。
まぁ、こんな見た目になってから今まで、ロクに人と関わってこなかったから……。
好きな人どころか、最近ようやくまともに友達が出来た所で、まだそれどころではない。
「別に男の子限定じゃなくて、女の子でも良いんだよ? 仲良い子とかで……気になってる子、いないの?」
「えぇ……」
先生の言葉に困惑しつつも、少し考えてみる。
仲良い子……如月さんとか、有栖川さんとか?
試しに二人の顔をそれぞれ思い浮かべてみるが、あまり気持ちに変化はない。
後仲良い人と言うと、ナギサと……レイ……?
「……ッ!」
レイの顔を思い浮かべた瞬間、心臓が強く高鳴った。
顔が熱くなる……風邪が再発したか……?
「い、いませんよ……!」
誤魔化すように、私はそう言う。
すると、奈緒美先生は「ふぅ~ん?」と言いながら、ニヤニヤと笑う。
彼女の言葉に、自分の顔がさらに熱くなった気がした。
「あ、も、もうそろそろ授業始まりますし、教室に帰ります!」
「え? いや、まだ時間は……」
「失礼しました!」
火照る顔を隠すように扉を閉め、私はすぐに保健室を後にする。
……何だろう……。
まだ心臓がバクバクと高鳴っており、顔も熱い。
風邪じゃないことは分かっている。でも、じゃあ……何なんだ?
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「あーらら、行っちゃったね」
椅子の背凭れに体重を預けながら、相良奈緒美は言う。
彼女の言葉に、宇佐美優梨子は答えない。
ただ、ジッ……と、保健室の扉を見つめていた。
その様子に、奈緒美は小さく溜息をつき、頬杖をついた。
「まぁ、でもさ……これで分かったでしょう? ……結城さんと雨宮さんは違う、って」
「……」
「……あの子を雨宮さんに重ねたくなる気持ちは分かるよ。初めてあの子を見た時は雰囲気も似ていたし、生き写しかと思ったもん」
「……」
「でも……あの子には友達がいる。アンタ以外にも支えてくれる人がいる。私が見たことある子は、二人共良い子だよ」
「……」
「結城さん、好きな人いるっぽかったけど……どっちなんだろうねぇ。私的には如月さんが有力なんだけど、有栖川さんも良い感じなんだよねぇ」
「……」
「……だから……さ……」
奈緒美は言いづらそうに、目を伏せる。
しかし、すぐに小さく息を吐き、ゆっくりと続けた。
「……もう……結城さんに雨宮さんを重ねるのは止めな?」
「……」
奈緒美の言葉に、優梨子は静かに瞼を瞑る。
……そこには、忘れもしない光景が、広がっていた。
放課後の、誰も保健室にいない時間を使って接吻を交わしていた二人の元に訪れた、一人の来客。
黒くて艶やかな長髪に、陶器のように透き通った白い肌。
人形のように整った美麗な顔立ちに……まるで深い闇のように暗く、静かな目。
彼女はジッとこちらを見つめたまま、その綺麗な唇を動かし、言葉を紡ぐ。
「……二人はどうして……お互いに愛し合えるんですか……?」
少女の言葉に、二人は固まる。
すると、彼女はその冷たい表情を一切動かさないまま、ゆっくりと続けた。
「恋って……何なんですか?」




