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25:言いに行きたくない

 保健室に入ると、すぐに熱を測定された。

 思っていた以上に熱が高く、私はすぐにベッドに案内された。


「あの、神奈ちゃんは大丈夫なんですか?」


 ベッドに寝る私を横目に、有栖川さんが不安そうに言う。

 彼女の言葉に、保健室の先生は冷水で湿らせたタオルを私の額に乗せ、口を開く。


「さぁ……とりあえず、一時間寝て様子を見てみよう。有栖川さんはもう教室に帰りなさい。授業が始まるから」

「あっ……はい……」


 先生の言葉に、有栖川さんはか細い声でそう言って、私をチラッと見やる。

 それに、私は額に乗せたタオルを手で押さえながら視線を向け、口を開いた。


「私は先生もいるし、大丈夫だから……気にしないで」

「……」


 私の言葉に、有栖川さんは少し不満そうにムゥ……と頬を膨らませたが、すぐに保健室から出て行った。

 彼女がいなくなると、途端に保健室の中が静かになった気がした。

 保健室の先生は有栖川さんが出て行った方をしばし見てから、私を見て口を開いた。


「モテモテだねぇ、結城さんは」

「……何の話ですか?」


 なんで急にそんな結論に至ったのか、サッパリ分からなかった。

 結城さん……って、私のことだよね?

 私がモテモテって……どこをどう見たらそんな風に思うんだろう。

 一人悶々としていると、先生は肩を竦めた。


「何でもない。……あの二人は苦労しそうだねぇ」

「……?」


 先生の言いたいことが分からず、私は不思議に思う。

 すると、先生はそれ以上何も言わず、ベッドの横に立つ。

 そして、私の額に乗ったタオルに手を当てた。


「しばらくは大丈夫そうだね……とりあえず私は少しやることがあるから、何かあったら呼んでね」

「あ、はい」


 私が答えるのと同時に、カーテンが閉まる。

 まぁ、かなり熱も高かったし、とりあえず二時間目は休もう。

 もし熱が下がらなかったら、そのまま下校かな……。

 そんなことを考えながら、私は額に感じるひんやりとした心地良さに身を委ね、瞼を閉じた。


---


「なんであんな子を預かったのッ!」


 女性の怒声が、家中に響き渡る。

 ……どこから、声がした……?

 私は、気付けば暗い廊下に立っていた。

 目の前には一本の長い廊下があり、その途中に、一つの扉があるのが見える。

 暗闇の中、その扉の隙間から零れる光だけが、私の道標のように見えた。


 光だけを頼りに、私は歩き出す。

 暗くて、視界もままならない。

 手を伸ばして横の壁に触れながら、光の零れる扉に近付く。


 中を覗くと、そこでは二人の男女が、何やら言い争いをしていた。

 いや、言い争いと言うか、女の方が何やら怒っているみたいだ。

 それに対し、男は腰の低い態度で、「まぁまぁ」と宥める。


「そう怒らないで……」

「怒ってないわよ! ただムカつくだけ! 学校にも行かずに一日中部屋に閉じ籠って!」

「仕方が無いじゃないか。あの子は両親が……」

「そう言われても無理よ! 何が嫌って、あの顔よ! あんな気味の悪い顔……思い出すだけで鳥肌が立つわ!」


 女の言葉に、私は左目に触れた。

 気味が悪い……か……。

 今まで、この左目を見た人の多くは、それとほぼ同意の言葉で私を罵った。

 でも、初めて私にこの言葉をぶつけてきたのは、この女だった。

 女はソファに座り、溜息をつく。


「……こんなことならいっそ……一緒に死んじゃえば良かったのに」


 ギィ……。


 女が言い切るのと同時に、扉が開く。

 二人は扉の向こうに立っている私を見て、目を見開いた。

 私は今、どんな顔をしているのだろうか。

 ……分からない。

 けど、一つだけ分かっていることは……気味の悪い顔、ということだけ。


「……明日から……学校、行くよ……」


 震える声で、私は言葉を紡ぐ。

 涙が込み上げてくるのを感じながら、私は続けた。


「学校……行くから……だから……」


 殺さないで、と。

 掠れた声で呟いた瞬間、私の意識は途絶えた。


---


「……」


 瞼を開くと、目の前には、私の顔を覗き込む如月さんがいた。

 彼女は片手をベッドにつき、もう片方の手で私の額に触れている。

 息が掛かりそうな近距離で、私達はしばし見つめ合った。


「……如月……さん……?」

「……ッ!」


 掠れた声で名前を呼ぶと、如月さんはハッとした表情を浮かべた。

 かと思えばバッと体を起こし、私から距離を取った。

 その手には、何やら白い物が握られている。

 あれは……私の額に乗っていたタオル……?


「き、如月さん……どうしたの?」

「な、何でも無いよ!」


 私の問いに、如月さんは声を張り上げて答える。

 ……あまり大声を出さないで欲しい。頭に響くから。

 ひとまず私は首を動かし、壁掛け時計を見た。

 今は……二時間目と三時間目の間の、業間休憩か。

 多分、休憩時間に入ってからは、そこまで時間は経っていない。

 授業が終わってから、そこまで時間は経っていないのかな。


 一人時間を確認している間に、如月さんは私の枕元に置いてある桶に入った氷水にタオルを浸し、ギューッと強く絞る。

 それからタオルを広げ、私の額に乗せた。

 ひんやりとした感触を味わっている間に、如月さんはベッドの横にある椅子に座った。


「……熱、大丈夫?」


 不安そうな表情で、彼女は言う。

 私はそれに、少し考えてから、口を開いた。


「大丈夫……ではないかな。正直、ちょっと辛い」

「そっか……」

「……ごめんね」


 ポツリと呟くように謝ると、如月さんは「え?」と、キョトンとした顔で聞き返す。

 私は額に乗ったタオルの位置を直し、続けた。


「今日、一緒にお昼ご飯食べる約束してたのに……体調面を考えると、無理だと思う。……約束破ってごめん」

「そんな……気にしてないよ。結城さんが悪いわけじゃないし」

「……ありがとう」


 優しい口調で言ってくれる如月さんに、私はお礼を言う。

 やっぱり、彼女は良い人だ。

 優しくて、気配りの出来る、素敵な人。

 そこで私は「あ」と、声を漏らす。


「そうだ。一つ、頼み事があるんだけど」

「何?」

「……レイに、伝言して貰っても良いかな?」


 私の言葉に、如月さんの表情が固まる。

 ……昨日のレイの一件があるから、話しかけにくいのかな。

 でも、如月さんにしか頼めないし、やむを得ない。


「えっと……私が熱で寝込んでて屋上に行けないってことを、レイに伝えて欲しいの。……昨日の一件で話しかけにくいかもしれないけど、このことは如月さんにしか頼めないし、お願いしたいなぁって……」

「もしも」


 尻すぼみになりながらの私の頼みは、如月さんの一言で遮られる。

 突然のことに驚き、咄嗟に口を噤んでしまう。

 すると、彼女は私の目を見つめ、続けた。


「もしも……嫌だって言ったら……どうする?」

「えっ……?」


 想定外の言葉に、私は固まる。

 すると、如月さんは私の頬を指で優しく撫で、口を開く。


「ごめん。でも……言いに行きたくない」


 如月さんが静かな口調で言うのと、授業開始のチャイムが鳴り響いたのは、ほとんど同時だった。

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