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100:元に戻すことは不可能です

 ……何が起こったのだろう。

 今、私の目の前は真っ暗だった。

 肌を焼くような熱気と、体中に走る激痛。

 体中が何かに包み込まれていて、身動きを取ることが出来ない。


 何が……起こったんだっけ……。

 激しい痛みを堪えながら、必死に思考を巡らせる。

 確か……激しい震動と、けたたましいアナウンスの声がして……。

 そして、強い衝撃があって……それから……それから……。


「……ッつ……」


 咄嗟に目を開けようとした私は、左目に激しい痛みを感じた。

 まるで、左目に熱した鉄の棒を突っ込まれてかき回されているような、そんな感覚がした。

 実際にそんな経験をしたことがあるわけではないが、きっと同じような感じだろう。

 咄嗟に左目に手を当てようとすると、何かに遮られる。

 一体何が……と、左目を極力動かさないようにしながら、私はゆっくりと右目を開いた。


「……いッ……!?」


 そこには……丸焦げになったお母さんの姿があった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああッ!」


 叫ぶ。

 目の前の現実が認められず、ひたすら叫ぶ。

 頬が切り裂けそうな程に口を開け、力いっぱい叫ぶ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ……――。


「……」


 ふと瞼を開くと、そこは見知らぬ場所だった。

 白い壁に、白いベッド。

 私の身を包むのも、白い服。

 窓を覆うカーテンも白で、そこから差し込む光も白。


 ……さっきのは……夢だったのか……?

 痛みも、光景も、嫌にリアルだった。

 丸焦げになって、肌が爛れたお母さんも……きっと……悪い夢――。


「目が覚めたんですねッ!」


 どこからか聴こえた声に、私はハッと顔を上げる。

 見るとそこには、看護師のような格好をした女性がいた。

 彼女は続ける。


「今すぐ先生を呼んでくるので、少々お待ち下さい!」

「ま、ま待って下さい……ッ!」


 すぐに私の傍から離れていこうとするその女性を、私は咄嗟に呼び止める。

 すると、彼女はクルリとこちらに振り向き「はい?」と聞き返してくる。

 それに、私は逸る鼓動を抑えながら「あの……」と続けた。


「お父さんと……お母さんは……」

「えっ……」

「私のお父さんとお母さんはどこにいるんですか!?」


 口ごもる看護師に、私は動揺を隠せずそう続けた。

 すると、彼女はどこか言いづらそうに言葉に詰まらせ、ゆっくりと目を逸らす。

 その態度に、私の焦燥は高まる。


「せ……先生を、呼んで来ます……」


 短くそう言って、看護師は部屋を出て行った。

 しばらくして入ってきた医者の口によって、私は自分の身に何が起こったのかを理解した。


 どうやら私の乗っていた飛行機は山の中に墜落したらしく、その乗客の大半は亡くなったらしい。

 辛うじて生き残った数少ない客も、私のように意識不明の重傷を負い、同じ病院に入院しているとのことだ。

 私の場合は……両隣に座っていた両親が、墜落する際に両側から私を抱きしめていたことにより、何とか命を取り留めたらしい。

 と言っても、全身に火傷を負った上に……左目を失うことになったけれど。


 左目の損傷が、修復不可能な程に酷かった。

 眼球は破裂し、視神経に至る程の重度の火傷。

 オマケに瞼が焼け爛れ、ピッタリ蓋をする形になっていたようだ。

 むしろ、ここまで重傷を負っていながら脳に異常が無いのが奇跡らしい。


「皮膚の移植手術で、傷が目立たないようにすることは出来ますが……元に戻すことは不可能です」


 医者の言葉に、私は何も答えなかった。

 起こしたベッドに凭れ掛かったまま、呆然と虚空を眺めることしか出来なかった。


 ほんの少し前まで……幸せだったのに……。

 なんで、こんなことになったんだろう。なんで……こんなことに……。

 お父さんは、家に帰ったら早速フランスでの出来事を元に新作を書くつもりだと言っていた。

 お母さんは、もうすぐ学校が始まるから、授業の準備をしておかないといけないと張り切っていた。

 家に帰れると……明日があると、信じていた。


 いや、二人だけじゃない。

 私だって、そうだ。

 今と変わらない平穏な日々が、また明日からも送れると信じていた。

 家に帰って眠ったら、朝になって、お母さんの綺麗なピアノの音で目を覚ます。

 一階に下りたら朝ご飯が用意されていて、それを食べながら、今日は何しようって考えるんだ。

 お父さんの執筆の様子を見に行ったり、お母さんにピアノを教わったり、学校の勉強をしたりする。

 ちょっと他所の家とは変わっているけど、私にとっては何の変哲もない、当たり前のような幸せ。

 そんな毎日を過ごすと……信じていたのに……。


「神奈ちゃん」


 名前を呼ばれたので、眼球を動かしてそちらに視線を向けようとする。

 しかし、左目に痛みが走った上に、視界が以前よりも半分狭いので上手くいかなかった。

 仕方が無いので首を動かして顔を向けた私は、首を傾げた。


「……誰……ですか……?」

「あぁ……覚えてないか。俺は、君のお母さんの弟の、結城 健一(けんいち)です。一応、君の叔父に当たる人物……ってところかな」


 優しく微笑みながら言う叔父さんに、私は「そうですか」と小さく答えた。

 記憶にも残っていないような叔父が、一体何の用だろうか。

 ぼんやりとそんな風に思っていると、彼の後ろから、一人の女の人が現れる。


「……貴方は……」

「健一の妻の、結城 咲良(さくら)です。よろしく、神奈ちゃん」


 そう言って微笑む咲良さんから、私はソッと視線を逸らした。

 急に親戚に来られても、どう対処すればいいのか分からない。

 どう帰って貰おうかと思案していた時、叔父さんが、私の手に自分の手を重ねてきた。


「神奈ちゃん。……大変だったね」


 小さく言う叔父さんに、私は途端に泣きそうになる。

 ……大変だった……?

 大変なんかじゃない。私は、何も頑張ってなんかいない。

 この命は、お父さんとお母さんが頑張ったから助かったんだ。

 私は、何も頑張ってなんか……!


「……神奈ちゃん……僕の家に来ないかい?」


 続いたその言葉に、私は咄嗟に顔を上げた。

 するとそこでは、優しく微笑む叔父の顔があった。


「咲良は、どうにも子供ができにくい体でね……君は姉さん似だから、僕の面影も、全く無いわけじゃない。大月さんが婿に来たから、苗字も変わらないし。僕達としては、君を養子として迎え入れたい。……ダメかな?」


 優しい口調で言う叔父に、私は何も言えなくなる。

 ……一気に色々なことが起こり過ぎて……思考が追いつかない。

 頭の中がグチャグチャで、思考が上手く纏まらない。

 ただ、一つだけ分かることがある。


 お父さんとお母さんが……もう、帰って来ないということ。


「……うぇぅ……」


 気付いた時には、右目から涙がボロボロと溢れ出ていた。

 左目も、涙腺が完全に死んだわけじゃないのか、目の奥で何かが疼く感触がした。

 何も言えずにただ泣いていると、叔父さんがハンカチで私の涙を拭ってくれた。

 けど、叔父さんはお父さんでもお母さんでも無い。


「おどうざん……おがぁざん……」


 掠れた醜い声で言いながら、私は泣きじゃくる。

 左目がズキズキと痛み、胸も痛み始めて、もうどこが痛いのか分からなくなる。

 私は叔父さんから受け取ったハンカチで次々と溢れる涙を拭きながらも、泣き続けた。

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