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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第八章~ケセラセラ
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二年と66日目

二年と66日目


 翌日も朝早くからキルマウスは出て行った。

 伊勢とアールには特にやれることも無いので、ただ待機である。伊勢はのんびりとねっころがりながら、タバコを吸っている。のんびりとした振りをしていれば、のんびりとした気分にもなるものである。プラシーボ…とはちょっと違うかもしれないが。


 アールは絵を描いている。何やらちらちらと伊勢の方を見ている気がするが、彼がその絵を見る訳にはいかぬ。彼女が何を描いているかは、絶対に教えてくれないのだ。


 暇にあかして、庭で槍を振っていると、外に出かけたキルマウスからの遣いがやってきた。

「イセ殿、アール殿。キルマウス様がお呼びです。宮殿まで私と共にお願いします。すぅつを着て来いと仰られていましたが…」

「そうですか、すぐに準備します。アール」

「はい、相棒。すぐに準備しますヨ」


 スーツを着て来い、という事は異国人であることを強調しろ、という事だ。つまりは、会談の場にエルフがいるのであろう。一つの正念場なのかもしれぬ。伊勢は頬を引き締めて、濡れタオルで体をぬぐい、素早く着替えた。腰の後ろに固定したホルスターに、銃を挿した。

 アールは白と青の正装である。彼女はやはりこの色合いが一番似合うと、伊勢は思っている。パーソナルカラーという奴だ。

 すぐに自操車に乗って出発した。宮殿まではそう時間もかからない。



 伊勢たちは迎えの使者に案内されながら、宮殿内の廊下を歩いていく。緊張甚だしい伊勢には、宮殿内の見事な調度など全く目に入っていない。日本人スキルを全力で駆動させて無表情を保っているのである。

 ふと、見覚えのある太り肉の中年が伊勢の目にとまった。廊下の角でこちらを見ている。

「イセ殿!」

「ああ、ダーラー殿」

 紙工場の設立と運営を監督しているダーラーである。見た目はただのDBだが、これでも中身は切れ者なのである。彼のふくれた腹にはコネと経験が詰まっているのだ。

「イセ殿…面倒な事になりましたなぁ…。エルフはこう言ってます。紙と火薬の製法を盗んだ盗人が、我が国の外交官を殺した、と」

 まあ、そんな事になるとは伊勢も予想していた。盗人ではないが、殺したのは事実なのである。


「ダーラー殿、この件はグダードで何人くらい知っていますか?」

「いまのところ10人以下だと思いますな。私を含めて。会談も極秘で人払いもしています」

 沢山の人に知られて、尾ひれが付くような状況では無い事はわかった。

「わかりました。会談の席には誰が?」

「外務大臣ガルシャー殿、外務次官、陛下の秘書官が二名、キルマウス殿、私、それと通訳、あちらはエルフの外交官たちが6人ですな」

 帝国の首脳メンバーである。泣きたい。


 ダールは伊勢らの先に立って会議室に向けて歩きだした。50メートルもいかないうちに、目的の扉に達したようだ。

―ゴンゴン

 と扉を拳で叩いて返事も聞かずに入っていった。伊勢とアールもその後に続く。


「皆様方、イセ・セルジュ・シューイチロー殿、アール・セルジュ・シューイチロー殿をお連れしました」

 長方形のテーブルの左右に分かれて、エルフとアルバールのメンバーが座っている。全員の目が伊勢とアールの方を向いた。

 正直言って、伊勢は気圧された。しかも、彼の探知魔法には、強烈な悪意の塊が突き刺さってくるのだ。だが、日本で培ったリーマン・スキルにより、この程度の視線は何とか無視する事が可能である。

 アールはというと…普通だ。その辺のバザールを歩いているのと全く変わらぬ表情である。さすがである。


『その二名が盗人の殺し屋というわけだな?』

「そのお二方が、……問題の人か?、と」

 壮年のエルフの一人が、いきなり決めつけてきた。実に心のこもった挨拶であった。アルバール側の通訳が困ったように訳した。

「私が伊勢・セルジュ・修一郎。こちらは相棒のアール・セルジュ・シューイチロー」

「こんにちは。ボクがアールですヨ」

 恐ろしく普通だ。八百屋のおじさんに挨拶するのと全く変わらぬ口調である。彼女の心臓は、文字通り鉄とアルミで出来ている。


「わたーしが双樹帝国大使、ヨーンテンファンです。まずー、せきにつくよい」

 そのように訛ったアルバール語で伊勢らに言ってきたのは、初老に見えるエルフであった。少なくとも見た目は冷静そうである。ただ…彼が指した席は二つ並んだお誕生日席。ここに座るのは、議長か被告人のどちらかである。伊勢の胃がまた少し重くなった。心で泣きながら席についた。


「イセ、アール、私は外務大臣のガルシャーだ。君たちの口から直接説明しなさい」

 冷徹そうな眼をした中年、ガルシャー外務大臣が伊勢に向かって言った。おそらくこの大臣は冷静だと伊勢は思った。良くも、悪くも。

 一つ深呼吸をし、できるだけ頭をすっきりとクリアーにさせる。タバコを吸いたいが、我慢だ。

 説明を始めた。


「さて、発端は私の弟子のロスタムという少年が、双樹帝国と交易をしているザンドナイヤーンの少女奴隷に、食事やお菓子を届けていた事にあります。これは半年ほど前から続けられていた事で、我々はその相手を知りませんでした。

 問題の日に、ロスタムが彼女の元に行くと、運悪く店の従業員に見咎められ、少女奴隷は捕まって折檻されました。ロスタムは彼一流の男気のようなものを発揮して、それを止めようとしました。口論しているうちに、少女奴隷からロスタムが私の弟子であるという事が漏れ、ザンド・ナイヤーンの指示で拘束、監禁されます。

 ザンドからはファハーンの双樹帝国領事館…領事館でいいのですか?…に連絡が行き、エルフ5人がザンドの店にやってきます。

 その後、エルフ5人とザンドによる弟子への拷問が開始されました。彼らの得たかったのは、どこから私が紙や火薬の知識を得たか、です。

 ロスタムは数時間の拷問により、全身を鞭で打たれ、殴られ、鼻を折られ、両腕と片足を骨折させられ、死にかけました。

 私は、ロスタムが帰ってこない事をいぶかしんで、情報を集め、ザンドに捕まったと推測し、彼の店を4人で襲撃しました。結果、5人のエルフとザンドを殺し、ロスタムをギリギリのところで救う事が出来ました。

 …ギリギリでした。そういうことです」


 伊勢は出来るだけ冷静に事実だけを述べた。通訳が、同時に双樹帝国語に翻訳していく。訳におかしい所は特にない。

 伊勢の長い話が終わると、10秒ほどの沈黙が流れた。



『現場には魔法師のエルフもいたのだ!4人で倒せるわけがない!お前らが軍勢を繰り出したのだろう?!』

「その場には魔法師のエルフがいた。4人では倒せない。あなた方が軍勢を派遣したのだろう、と」

 更に他のエルフの言葉だ。事実として伊勢たちは4人で戦ったのだ。

「我々は4人で戦いました。隣のアールも魔法師です」

 アールがいなければ、全員死んでいた。伊勢ではあの魔法師にかなわないだろう。


『お前の言ってる事は信じられない』

「あなたの言っている事は信じられない、と」

 エルフの一人の言葉だった。信じようが信じまいが、事実である。

「事実です」

 伊勢は短く答えた。胸がはげしく鼓動を打ち、顔が紅潮していくのが自分でもわかった。


『それでは我々とニールワンヤン殿が悪いような言い方ではないか!』

「それでは我々とニールワンヤン殿が悪いような言い方ではないか、と」

 他のエルフの言葉だ。ニールワンヤンが悪いのである。

「私は弟子の命を救っただけです」

 ロスタムは死にかけたのだ。またあの状況があれば、伊勢は何度でも同じことをする。


『お前みたいな盗人の殺し屋の言う事が信じられるか!』

「あなたのような…盗人と殺し屋の言う事は信じられない、と」

 伊勢とアールが部屋に入った時に罵倒してきたエルフの言葉だ。

「私は盗人では無い。エルフを殺したのは私の弟子を殺そうとしていたからだ」

 こういう男がロスタムを拷問したのだ。伊勢の眼は潤んできた。感情が高ぶり、悔しくて泣きそうだ。


『黙れ盗人が!お前はどこから我々の技術を盗んだ!』

「あなたはどこから我々の技術を得たか、と」

 場に座っている中で一番若そうなエルフの言葉だ。

「紙も火薬も、我が祖国である日本が過去に作っていた製法です。双樹帝国から盗んだわけではない」

 ロスタムが拷問されながら受けた質問がこれだ。このおかげでロスタムは死にかけた。



『ニホンなんて聞いたことも無い!』

『嘘つきの人間が!』

『我々の技術を盗みおって!』

『下等な人間に紙や火薬が作れるわけがない!』

『エルフを害した人間など許しておけぬ!』

『下郎が!モングのような顔した猿の分際でエルフを害するとは!』

『やはり人間の国にはゴミしかおらぬ』

『このクズを殺すのだ!』

『女はなかなかのものだから使ってやってもよいが、この猿は殺せ』

『お前はどこからこの技術を盗んだ?!』

『詐欺師の盗人が!人殺しが!』

『低脳な人間のくせに偉そうな口を叩くな』


 何なのだろう、コイツらは。何故ここまで独善的に成れるのか。

 人間に対する侮蔑が、骨の髄までしみ込んでしまっているのだろうか。

 これでも外交官なのだろうか。

 何らかの意図があって、このような罵倒をしているのだろうか。


 通訳はもう訳そうともしない。

 伊勢はエルフの罵倒をなんとか聞き流しながら、アルバール側の面々を見てみた。殆ど無表情だ。彼らは…伊勢とアールを人身御供に出してこの場をおさめてもよいのだ。

 国家間の外交関係は、特別な立場にない二人の人間の生命に優越する。冷静で当然の判断だ。キルマウスだって、最終的には同じ判断をするだろう。為政者なのだから、当然である。

 だが伊勢には死ぬことはできない。責任が、あるのだ。


 伊勢はアールの顔を見た。冷たい顔をしていた。

 アールは、悲しみながら怒っている。激怒している。

 伊勢の初めて見る顔だった。

 伊勢が見ているのに気がついた彼女は、立ちあがって、コツコツ、と拳で静かに机を叩いた。

 皆、なぜか、静かになった。


『エルフさん達。そういうふうに、汚い言葉で人を罵ってはいけませんヨ。ボク達は泥棒ではないし、あなたたちは特別では無いんですヨ?あなた方エルフが人間より優れているなんて思いあがりなんですヨ。人間もエルフも動物も石ころも、みんな同じです!みんな同様に価値があるんです!だか――』


『黙れ女!何を下らない事を!我々が人間より優れているなど、その寿命を見ても一目瞭然――


――バァンッ!!


 アールが右手をテーブルに叩きつけた。てのひらの形に、堅い天板が深くへこんでいる。

 一瞬で場を静寂が支配した。

 アールは静かな瞳でゆっくりと全員を見渡すと、よく通る彼女特有の低い声で話し始めた。


『祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もついには滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ …』


『ボクの国の有名な言葉です。学校で習って、全員が覚えています。…意味はわかりますね?ボク達も、あなた達も、死ぬんです!おんなじです!

 ボク達はロスタム君を助けるために、敵を殺しました!それしか…仕方が無かったからです!』

 

 アールはテーブルの端を強く握りながら、そう言った。堅い木材のはずの天板が、メリメリと発泡スチロールのように毟れた。


『相棒?』

 アールが席に座って伊勢を見た。伊勢は頷いて後を引き継いだ。

 彼の心は、何故か完全に落ちついていた。さっきまでの激情が嘘のようだ。


『エルフの皆さん。少し黙って聞いてもらえますか?ヨーンテンファン大使、あなたの責任で静かにさせて下さい。よろしいですか?』

『はい』

 大使は短く一言で答えた。エルフ達の顔を見ると、赤い顔と蒼い顔が交互に並んでいる。


『大使、私が先ほど言ったのは事実です。もう一つの事実は、この国で最強の戦闘士と最強の魔法師が、この部屋にいるという事です。よろしいですか?』

『…君は我々を脅迫するつもりか?』

『事実の確認をしているだけです。敵対するなら相応に対処します。我々にはその力がありますし、あれだけの音がしたのに誰も来ない…おわかりですね?』

『…わかった』

 完全に脅迫だが、まずは言う事を聞かさなければならない。圧倒的な暴力で、この場を支配するのだ。


 伊勢は内ポケットからメモ帳と三色ボールペンを取り出して、丁寧に大使に渡した。


『これは我が祖国、日本で作られた手帳と筆記用具です。双樹帝国でこんなものは作れないでしょう?

 粗雑な紙や火薬ごとき、日本にとっては児戯にも等しい。日本には私と同水準の教育を持つ人間が、掃いて捨てるほどいるんです。ちなみに手元には、こんなものもある…』

 そう言って伊勢はマルボロの箱を取り出して、一本咥えるとライターで火をつけた。灰皿は、無い。

『紙や火薬の技術など、双樹帝国からわざわざ盗む必要はないんです。』

 エルフ達は蒼白である。自分たちより優れた技術を持つ民族を見たことなど、一度も無い。エルフこそが世界の王であるはずなのに…


 伊勢はエルフ達の事を笑ったりはしない。そんな事をすればこの場は、終わりだ。

 アールがエルフの傲慢さを打ち砕いてくれた。

 二度と彼らを、感情に支配させてはいけない。


『さて、アルバールと双樹帝国、両国には共通の敵がいます。モングです。

 モングがアルバールを落とせば、彼らはこの国の攻城戦技術や統治機構、農工業技術、人材を手に入れます。モングが双樹帝国を落としても同じです。ゆえに、アルバールと双樹帝国、どちらかが滅べば、残った方もまた滅ぶんです。

 モングは強い。あいつらは全員が兵士です。双樹帝国も自分たちが滅ばないなどと思わない事です。盛者必衰。諸行無常。おごれるものも久しからず。神から見れば、人間もエルフも同様に価値が無い。両生動物のクソです。だからこそ我々は協力すべきだ。おわかりですね?』

『元より、アルバールと敵対するつもりはない。友好関係は強化したい。だが…』


 だが、の後はわかっている。今回の件はどう決着をつけるのか、だ。


『私とアールはスケープ…人身御供になるつもりはありません。それならこの場の全員を殺して逃げます。…ニールワンヤンが英雄になるようなお話を作れないですかね?この件を知っている人は、まだほとんどいませんよ?例えばこんなふうに(ゴニョゴニョ)』

『そうですな…ではこのように(ごにょごにょ)』

『ええ、そこで…(ゴニョゴニョ)』

 大使と伊勢は話し合って、勝手に決めてしまった。他の面々にかけあっていたのでは、埒が明かないのだ。

 アルバール側はエルフ語で素早くかわされる会話についていけず、口をはさむ事も出来ぬ。通訳はてんやわんやである。


「では皆さん、大使との話し合いの結果、こうなりました。

――ニールワンヤン殿はファハーン郊外の村を視察中に100名の盗賊に襲われた。村を守りきり、相手を全滅させたが、自分たちも死んだ。ファハーン総督と皇帝陛下はニールワンヤン殿とその一行に、村落防衛と盗賊討伐の感状を送る。彼らの死が末永きアルバールと双樹帝国との友好の礎とならん事を…

 全員が幸せになる筋書きです。外務大臣殿、この筋書きはいかがでしょうか?可能ですか?」


「まあ…やればできるが…」

「ではやってください」

 本当はどうだったかなんて、どうでもいい。マスメディアなど無いのだ。筋の通った話があり、それを裏付ける権威からの感状があれば、それが「真実」になるのだ。…それで押し通すのだ。


『では最後に貿易に関しての話をしておきます。火薬に関しては良いですね?元々が禁輸品ですし、アルバールの軍事力が強化されるのは双樹帝国にとっても望ましい。これは共通認識が双方で得られました。そうですね?

 問題は紙です。アルバールは自国で紙を生産する能力を得ました。以後は競争になります。すでに必需品になりつつある紙は、戦略物資なので自国内での生産は絶対にやめません。双樹帝国はより安く、より品質の高い紙を持ってきて勝負するしかありません。

 もの作り、っていうのはそういうものです。

 一方、絹などはアルバールでは絶対に作れません。気候的な問題です。』

 

 伊勢は一呼吸おいて、タバコを吸った。これで間を取ったのだ。

 灰皿は無いので、仕方なく床に灰を落とした。


『紙の自国生産により、潤沢な供給が得られれば、商人の事務処理能力は格段に向上し、社会の生産性は向上し、豊かになります。

 火薬の生産により、軍事力が向上すれば、モングの脅威を除く事が出来ます。

 ゆえに、長期的に見れば、この二つは双樹帝国とアルバールとの貿易量を向上させるはずです。目先の利益ではなく、長期的な視点に立って考えていただきたい。

 長い寿命を持つエルフであれば、我々人間よりも大所高所からモノを見る事が出来ると、私は確信しています。

 もちろん、皆さまにお世話になった分、些少のお礼はさせてもらいます』


 いかがですかな?、と問いかけて、伊勢の話は終わった。

 本当のところはどうなのか、伊勢は知らない。ただ、自分の話の筋は通っている気がする。


『そう言う事なら問題は無いですな』

『そうだ、それなら別に良いのではないか』

『たがいに喜ばしい事になりそうですな』


 金の話をにおわせれば、結局はこれである。

 口実と、自分の懐に入る金があれば、それでいいのだ。

 そんなもんだ。

 伊勢は心底から苦笑したくなった。本当に下らない。

 結局、コイツらにとって、国なんてどうでもいいのだ。任期中にひと財産を稼げれば、それで良いのだ。


「では、詳細はガルシャー外務大臣とヨーンテンファン大使の間で話してください。私は議事録を取ります。」

「議事録?」

『議事録?』

 伊勢はそこで気づいた。この場に書記がいない。双方に議事録を作成するという文化が無いのである。そう言えば、いままでの経験でも見た事が一度も無い。

 なるほど…交渉の経過は名誉によってのみ担保されているということらしい。外交関係では極めてリスキーな気がするが…そういうものなのだろう。習慣に文句を言っても始まらない。


「議事録というのは、打ち合わせの経緯や内容を記しておくものです。話し合いの最後に双方が目を通して、納得済みとの署名をします。私の国では当たり前の習慣です」

「ふむ、まあ良い。後で齟齬が出ないようにするのは良い習慣だな」

『良いでしょう。好きになさい』

 外務大臣も大使もさらりと了解した。彼らは理解していない。議事録の作成側というのは、交渉において極めて優位になるのである。

 もちろん伊勢にはそんな事を言うつもりはない。

 しれっ、として上手く都合の良いように書くのみである。


 結果…

・アルバール帝国と双樹帝国は互いの発展を寿ぎ、より友好を深めることを確認する

・善良なるアルバール帝国の民を守ったニールワンヤンには、アルバール皇帝から勲章の授与と金一封がなされる

・ニールワンヤンの行為に対し、アルバール皇帝は双樹帝国皇帝に感状と贈り物をする。

・アルバール帝国は双樹帝国からの紙の輸入に関税その他の制限を設けない。ただし、紙の国内専売を担保するため、買い上げるのは宮廷とする。

・互いの国は、互いの内政に干渉しない事を確認する。


 というような事が決まった。

 調印はまた別途である。

 

 伊勢の常識で言えば、外交交渉などは綿密な打ち合わせの上になされるものだと思うが、この時代の交渉などは本当にざっくりしたものである。これで良いのか心配になるレベルだ。雑すぎる。

 だが、最後に議事録に署名してしまったからには、「こんなことは知らない」とは言えないのである。


 会議は、終わった。


^^^

 会議が終わって皆と別れ、宮殿内の控室に移った伊勢は、白く燃え尽きていた。15ラウンドを戦い抜いたボクサーのようである。すでに枯れ果てている。赤玉が出てしまった後の老人のようなものだ。


「相棒、お疲れ様でした。すごかったですヨ」

 アールが伊勢に、お茶と果物をむいて持ってきてくれた。

「ああ…」

 すごくは無い。

 こんなのは暴力をバックにして、相手に付け込んだだけである。

 現代日本なら、絶対に通用しないと伊勢は思う。


 でも、褒められて悪い気はしない。


「まんざらでも無かったな」

「はい、相棒」

「それにしても、平家物語とは…」

「ぴったりだったでしょう?」

 確かにすばらしくぴったりではあった。

「あのエルフさん達は、どうしてああなんでしょうね…」

 アールは、喧嘩するのは、嫌いだ。誰かをバカにしたりするのも嫌いだ。

 正直に礼儀正しくしていれば、友達が増えて行くはずなんだ。アールは友達と、仲良くしたい。

 でも、あのエルフ達は…


「さあなぁ…まあ、双樹帝国では…たぶん本当に、人間はどうしようもないんだと思うよ。アルバールでは違うけどね。でも人が一度思い込んだものは変わらないからな」

 双樹帝国では人間は「物」だ。物には教育はしないし、モラルだって教えない。宗教だってない。彼らにあるのは「エルフ様の言う通りにする」というプログラムだけなのだろう。

 あらゆる教育を一切されていない人間を、はたして人間と呼んでいいのか。

 そういう人間しかいない所で育てば、エルフがああなるのも仕方が無いのかもしれない。


「ボクは、よくわかりません。でも、みんな正直に、仲良くした方が良いって思いますヨ。あのエルフさんは…間違っています」

 アールには子供時代の体験が無い。生まれた瞬間から、伊勢と同様の知識を持っている。成長と共に経験と教育によって覆い隠される、子供の剥き出しの残酷さや、子供なりの卑怯なところ、そして子供の愚かさを、体験していないのだ。だから簡単にそう言える。


 彼女の考え方はすごく安易で、幼稚だと伊勢は思う。

 だけど、正しいと思う。

 まんざらでも無い。


「うん、そうだな、アール。」

「はい、相棒」


 だから、彼女はきっとそのままで良いのだ。


^^^

 会議後、双樹帝国大使のヨーンテンファンは、ガルシャー外務大臣と別室で茶を飲みながら話していた。


「上手くーまとまるました。大臣」

「ちょうど良いところでしょうな。始めに考えたより、お互いにとって良い結論です。」

 ヨーンテンファンは筋金入りの商人であり外交官である。彼は今回の落とし所を初めから考えていた。当たり前の事だ。

 ガルシャー外務大臣には元から話をつけていた。ニールワンヤンの脳無しの暴挙で、外交関係をおかしくなどできないのだ。

 紙の件だって火薬の件だって、もう話はついていたのだ。いずれにしても、双樹帝国としてアルバールに明確な圧力をかけられるほどの力関係は無い。この国は双樹帝国には冊封しているわけではないのだ。

 

「しかしー、本気で殺さーれるとおもいましたーよー。ガルシャー殿、あれーは本気だたのですよーね?」

「間違いなく本気ですな。事前に打ち合わせは一切していないので。奴らがやると言ったら本気でやるでしょう。…お互いに危なかったですな」

 『この場の全員を殺して逃げます』といったイセの顔をヨーンテンファンは思い出した。イセの目は据わっていた。あれは確かに本気の顔に見えた。ヨーンテンファンは自分の100年の経験をなにより信用している。


「彼らーは…どういう素生なのですーか?」

「ニホンという国。海を渡った遠い遠い国。そこからやってきた者達ですな。身の恥となると言って詳らかにはしませんが、おおかた政争に負けて追放されたのでしょう。

 国の場所は陛下が聞いても言いませんでした。あの男は6万人の前で、陛下対してモングを攻めろと直訴したのですよ。そういう男です。」

 高度な技術力を持つ謎の国ニホン。そこを追放された最強の戦士にして学者。そして皇帝に一切物怖じしないとは…何という胆力か。

 それにあのアールという女の力の強い事…いや、あの女は魔法師だからおかしくは無いが…どうも普通の魔法では無いようだ。ニホンの魔法か?


「イセは…使い方は難しいですが、我が国にとっては有用な人材ですな」

「そうでしょうーね」

 イセは文武そろって超一流の人物なのだ。外交交渉にも慣れていると、ヨーンテンファンは感じた。ニホンという故国においても、それなりの地位についていたのだろう。


「会議の後にー、アール殿にー、例の詩を書いてもらーいました。双樹帝国語で」

「ああ、あの時の…おそろしい勢いでしたな」

 流石にあの時だけは、ヨーンテンファンも頭の中が白くなった。

 あの詩、『沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす』とは…何とも痛烈な皮肉だ。自分の国の有名な詩だと言っていたが…そんなわけは無い。

 双樹帝国の国樹を痛烈に皮肉る、そんな都合のいい詩がホイホイとあるわけは無いのだ。あれは、双方の摩擦が限界を超えないようにするための、非常に高度に計算された嘘である。きわめて巧みだ。

 彼女は朴訥な雰囲気を出していたが、あのような詩を即興で作り、難解な双樹帝国の文字を平然と書く。

 中身は大変な切れ者に間違い無い。


 部下の外交官たちは湯気を出すように怒っていたが…良い薬である。

 彼らは愚かなのだ。ヨーンテンファンは双樹帝国が激怒している事を示す為だけに、一番の愚か者どもを連れてきたのである。パフォーマンスだ。自国の品位を貶めると承知の上での事である。

 彼らは、まっとうな教育を受けた人間の可能性というものを、もっと知るべきなのだ。人間も、知的能力に関してはエルフと遜色が無いのだ。数学などはエルフに勝っているともヨーンテンファンには感じられる。

 違うのは寿命だけである。 


「それにしても、大使。あの議事録というのは有効ですな」

「たしかーに。あれーは我々も使うべ―きですー」

 議事録とは良い風習だ。誰が何を発言し、会議の流れがどうだったかを完全に記録する事が出来る。双樹帝国の宮廷でも取り入れるべき習慣であると、ヨーンテンファンは考えている。


「次回は我々が議事録を作りましょう」

「いえーいえー、我々がつくりまーす」

 ふっふっふ、と二人は笑いあった。

「では双方で作った後に、それをすり合わせるという事で」

「そうしまそーう」


 頭の良い人物との知的遊戯は、じつに面白い。

 コレだから外交は楽しいのだ。ヨーンテンファンはそう、ほくそ笑んだ。





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