二年と61~64日目
二年と61日目
昨日の押し込みのあと、伊勢はザンドの店から警邏隊に連行されていった。取り調べを受けるためであるが、あくまで形式的なものだ。この国では人治主義がまかり通っているので、ファハーンでのキルマウス組長の影響力は極めて大きいのだ。この地方最大の部族長に逆らう事など、誰にも出来ぬ。
一応は縄を打たれて連行されたが、警邏隊本部に行っても何も質問されず、適当な部屋を与えられて寝ただけである。これでいいのか極めて疑問だが、伊勢はあえて考えない事にした。ロスタムは助かったのだし。
翌日の早朝、伊勢はさっそく家に帰された。家の周りを数周歩いてみたが、探知魔法には何も引っかからなかったので一安心。家に入って、休む事にした。
「ただいまー」
「兄貴!」
「旦那!」
「ミスターイセ!」
「イセ!」
「……おかえり…」
皆が心配そうに駆け寄ってきたが、何も尋問されていないので、伊勢としてはどうにもバツが悪い。しかも鍛冶屋の親父と弟子たちまでいるのだ。
「ああ、心配かけたな、みんな。俺は大丈夫だ。ファリド、ビジャン、ありがとう。おかげでロスタムが助かった。親父も本当にありがとう。この家を守ってくれて」
結局みんなそろって朝飯を食う事になった。総勢17名、居間が広くて、これほど嬉しい事は無い。
アールはまだザンドの店でロスタムの看病をしている。あのまま一晩、寝かせる事にしたのだ。本日中に骨折部分に仮骨を形成させて、モラディヤーン家に移す予定である。
朝飯を食べた後、親父と弟子たちを送り出して、伊勢はロスタムの見舞いに出る事にした。同時にキルマウスへ今後の予定の伺いを立てなくてはならない。
昨日の今日である。そのくせ、あんなに血なまぐさい事があったとは思えないくらいに、街はいつも通りだ。きっと、そんなものなのだろう。伊勢には違和感があるが、この違和感も3日もたてば消えるのだろう。
伊勢がザンドの店に顔を出すと、警邏隊の兵士が出迎えてくれた。彼らはなんとなく事情を知っているから、伊勢に対しては好意的だ。すぐにロスタムの寝ている部屋に通してくれた。
彼は起きていた。
「アール、ロスタム」
「おはようございます、相棒」
「師匠!」
ああ、随分よさそうだ。
「どうだ調子は」
「神経は大丈夫そうです。指の感触もあるし、動かす事も出来ます。足の方も」
伊勢はホッとした。動脈と神経は骨の周囲にあったように記憶していた。大規模な骨折をすると、神経が破断するのではないかと恐れていたのである。
「骨はレイラーさんとボクが繋ぎますから、骨はすぐ治りますヨ」
伊勢の場合、右腕前腕の単純骨折で彼女たちの治療を受け、仮骨は5時間で形成された。ロスタムの場合は、もう少し時間がかかるだろう。開放骨折だけは、すぐに処置してある。
「はい。もう大丈夫です。…師匠…すいませんでした」
「なにがだ」
「俺はこの店が双樹帝国の品を扱ってると知ってました…」
「いつからだ?」
「昼飯屋の昼食を運ぶようになって二月目くらいです…甘く見ました」
ロスタムは本当に甘かったのだ。死ぬところだった。だが、フィラーに昼食を運ぶ事を、どうしてもやめられなかったのだろう。そう言えば、熱中症の治療の時に見た彼女の体は、かなり痩せていた。今は、それほどでもないように見える。
「ザンド・ナイヤーンは俺が殺したよ。お前を酷い目にあわせた奴は、俺達が全員殺した。」
「…そう、ですか。…フィラーは、大丈夫ですか?」
「さっきボクが診てきました。大丈夫ですヨ」
「ああ、ああ、よかった…」
心底ほっとした顔を見せるロスタム。伊勢は、この顔を見たら叱る気も失せてきた。…まあ、叱るのはもう少しよくなってからでいいか。
「ロスタム」
「はい」
「よくやったな。さすが俺の弟子だ」
「はい、師匠」
その程度の言葉でコイツには十分だ。
ほら、ロスタムだって誇らしげである。
「ところでアール、キルマウス様と帝都に行く事になった。…時間をかけたくないから、お前さえよければタンデムを提案してみようと思うがいいか?」
自操車では急いでも14日かかるのだ。馬でも10日。アールなら頑張れば一日である。ただ…キルマウスを後ろに乗せるのは…なぜか伊勢としても忸怩たるものがある。
「ロスタム君の骨の治療が終わってからならいいですヨ」
「もちろんだ、ありがとう」
「ボクは相棒ですヨ」
「うん、でも、まあ、ありがとう」
「はい」
アールは「仕方ないなぁ」という表情で、笑った。
伊勢が初めて見る表情だ。
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「俺にアールに乗って行けと言うのか?いやダメだろう?いいのか?大丈夫なのか?お前はバカか?」
いつも豪放磊落なキルマウスが、今回に限っては弱気であった。何か悪い物でも食べたのだろうか。
「何が問題なのでしょうか?一日か二日で着きますが…」
「だってお前…俺がアールになんか乗れるわけ無いだろうが!!バカが!俺をバカにしてるのか?!」
…なるほど、そこをこの人は気にしているわけか。この人、結構ちゃんとしてるな、などと伊勢は思った。少なくともキルマウスはアールを女性としてとらえてるわけだ。
「キルマウス様の御懸念はわかりました。半分当たりで半分外れですが…まんざらでもないですね。では…折衷案として、アールの横に車をつけると言うのは?そこに閣下が乗られるという形ではいかがですか?」
サイドカーである。
「あ?おい。それ、いいな。よし、それで行こう!面白そうだ!お前とアールがいれば護衛なんぞいらん。よし、金を出そう。持っていけ。」
いきなり乗り気になって、金まで伊勢に下げ渡してきた。単純な男である。最近のキルマウスはストレスがたまっているようで、行動が極端に走っている気がする。少し心配だが、組長の精神を一構成員が推し量っても、手だしのしようは無い。
そもそもストレスの原因の半ばは伊勢たちなのである。いまさら心配してもマッチポンプなのである。
キルマウスは背もたれに体を預けると、ひとつ嘆息しで続けた。
「双樹帝国の事だがな。どうなるか分からん。向こう次第だな。この街の他のエルフには監視をつけている。まあ二人しかいないがな。話が漏れる事は無い。うやむやに出来れば勝ちだ。あちらにも非がある事を認めさせれば…何とかなるかもな。俺にはわからん。交易がどうなるかもわからん。しらん。」
いつになく弱気である。キルマウスにも届かない次元の話なのだろう。
双樹帝国とアルバール帝国には、あまり活発でないものの国交と交易がある。直接に国境が接しているわけではないのだ。
かの国はエルフによって統治される中央集権国家だ。支配領域は長江流域を中心に形成され、北は黄河まで、南はインドシナに届かないくらい、西はチベットの高原まで。広大な版図を持つ、アルバールより強力な国家だ。気候的な優位があるので、生産性だってアルバールより遥かに高い。
人間とエルフの比率は9:1くらいではないか、と伊勢は聞いている。愚民化政策を取り、人間はひとしく愚かで、ほぼ全員が農奴である。学問や軍事、その他の技術とあらゆる富はエルフが独占し、人間はワーカー未満。エルフにとっての人間は、ただの汎用機械なのである。
人間の1.5倍ほどの寿命を持つ種族が統治すると、そういう事になるらしい。長い寿命というのは安定をもたらす。社会性の動物にとって、この上無いアドバンテージになるのだろう。
モングの事を考えると、揉めたくは無い相手だ。彼らがモングの後背をつけば、アルバールは非常に楽になる。
「グダードには諸事を処理して3日後に発つぞ。準備しておけ。余計なものはいらん。俺は一番偉いエルフの首だけ持って行く。」
「わかりました」
首と一緒にツーリングなど勘弁してもらいたいが、上司に嫌とは言えない。組織人の悲哀を噛みしめる伊勢なのであった。
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二年と64日目
ロスタムの骨は一応つながった。昨日の夕方に家に戻ってきている。まだ歩いたり、腕を使ったりは出来ないものの、もう心配はないだろう。
体の傷はまだ癒えていないし、跡もたくさん残るだろう。
だがロスタムは男である。口には出せないが、彼は伊勢の知る中でも有数の男なのである。骨は折れても彼の心は折れない。折れたとしても俺がまた繋いでやる。伊勢はそう思っている。
ザンド・ナイヤーンの所にいたフィラーは、ロスタムと一緒に、当然のように連れてきた。盗んだ、とも言えるが、すでに伊勢の奴隷として役所に登録してあるので、書類上は全く問題は無い。彼女の顔はまだ傷だらけだが、腕の使えないロスタムを献身的に看病している。
伊勢とアール、ロスタム、マルヤム、セシリー、ファリド、ビジャン、そしてフィラー。
どんどんこの家の家族が増えていく事に、伊勢の胃はプレッシャーを感じている。だが、これはこれで自然なのだと、そうも思う。
ケセラセラ、だ。
ところで…
「うん。やはり何度見てもダサいな」
「え?!そんなにダメですか?!」
ダサい。カリカリのスポーツバイクに側車が付くというのは、限りなくダサく伊勢には感じられる。台無しである。
ビジャンを乗せてテストしているので、すでに見なれているのだが、ダサい。
「そう、ですか。じゃあもう少しカウルを尖らせてみますか?」
「いや、これでいいよ」
カウルの形とか、そういう問題では無い気がする。失敗した料理に唐辛子を足すようなものだ。無駄である。
「え?!だって…ボクも恰好悪いのは嫌ですヨ…」
アールはそう言って、変形チートで先端を尖らせたカウルを作った。伊勢はそれを側車に装着してみた。やはり無駄な足掻きであった。ダサいものはダサい。
「ああ、うん。さっきより良いんじゃないかな?だいぶ良くなったよ」
「…はい、相棒」
バレている。伊勢の下手くそなフォローなど、完全に見透かされているのであった。相棒との以心伝心も善し悪しなのである。
微妙に落ち込んでいるアールのタンクをポンポンと叩き、伊勢は給油口を開けて、鉄鉱石と木片を突っ込んだ。原料の補充である。
補充が終わると、アールは変形チートでフレームから側車を切り離し、人型に戻った。
「相棒…これっきりにしましょう…これならタンデムの方がマシです」
口をとんがらせて、珍しくアールが落ち込んでいる。
「あ、ああ。ごめん…」
「まあいいです。ボクはお昼ご飯の準備をしてきますヨ」
彼女は小首をかしげてクルリと表情を切り替えると、厨房の方に歩いていった。伊勢はホッと胸をなでおろした。怒った女はモングより怖いのだ。
側車にゴムで巻いた鉄製の車輪をつけ、稲藁のクッションを敷く。これで終わりだ。キルマウスの尻は乗馬により強化されているから、問題はなかろう。根性で耐えてもらう。
居間にそろってみんなで食事を始めた時に、キルマウスがいきなりやって来た。組長襲来である。
「来たぞ。俺も貰うぞ」
付き人を庭に置き去りにして、勝手に家に入ると、勝手に椅子を持ってきてテーブルの一角を占拠して、勝手に食べ始めた。まことに勝手な男である。この男の辞書に遠慮という言葉は存在しない。
「この肉は美味い!そこのパンを取れ。そこの酸っぱい漬物もだ。なかなか良い家だな。うちの家令も奮発したものだ。」
…何かおかしい。
「キルマウス様?…この家は私が建てましたが…。セルジャーン家からは土地だけ借りています」
伊勢のこの言葉を聞いてキルマウスの顔が真っ赤になった。赤信号である。
「イセ。家令を半殺しにする。帝都から帰ったら。すぐにだ。俺の恥だ」
「…やめて下さい。もう済んだ事です」
恨みを買うのは伊勢である。名誉を大事にする国柄なので、恨みも深いのだ。本当にやめてもらいたい。
キルマウスはそれきり黙って黙々と食べると、さっさとタバコを吸いにいった。彼は恥ずかしかったのだ。伊勢には何を言うつもりもない。
食事が終われば出発である。
「じゃ、アール。頼む」
「はい、相棒」
さっとアールがバイクに変化して、伊勢の持っている側車のアームを変形チートでフレームに抱え込んだ。
「キルマウス様、乗ってください」
「おお!すごい!これは格好良いな!素晴らしく美しい!尖ってるのが良い!」
彼は戦闘用の房のついた革兜をかぶって、さっそく側車に乗り込んでいる。意気揚々である。
「ふふふ。相棒、聞きましたか!?わかる人にはわかるのですヨ!」
「お、おう…」
伊勢はなんとも言及のしようが無い空気を全力でスル―した。
「じゃあ、みんな行ってくるよ」
軽く手を振って、ご近所に出かけるつもりで。皆、そういうそぶりだ。
居間の窓を見ると、ロスタムとフィラーが顔を出していた。伊勢は片手で軽く手を振る。彼らも、軽く振り返した。
軽く。
軽く。
アールに乗りこんで、エンジンをかけ、そのまま出発する。
帝都グダードまでは二日。
途中で街道沿いの休憩所に一泊する予定。
キルマウスを側車に乗せて旅をするとは思わなかった。
だがそれも、
「ケセラセラ、だな」
「はい相棒、ケセラセラ、ですヨ」
サイドカーは街道を順調に走っていった。




