二年と60日目-3
二年と60日目-3
レイラーは数分で、すぐに来てくれた。
今はアールと共にロスタムの手当てをしている。手先の器用なビジャンが二人を手伝っている。
フィラーは傷だらけだが無事だった。
殴られて顔がパンパンに腫れ、口の中も目茶目茶だし、前歯も一本折れてしまっていたが、意識はしっかりしている。
ロスタムが生きていると伊勢の口から聞いた時、彼女は号泣した。余程心配で、罪悪感を抱えていたのだろう。この子のためにもロスタムが助かったのは良かったと、伊勢は思った。
その後、伊勢はフィラーと2人の女奴隷以外の13人を、もう一つの蔵に押し込めた。面倒事をこれ以上起こさないためだ。逃げた奴も沢山いるだろうが、そんな奴らはどうでもいい。
どうせこの後すぐに、警邏隊がやってくるのだ。
「さて、ザンド・ナイヤーン」
伊勢は縛って足元に転がしたザンドの腹に、軽く蹴りを入れた。
「よくも俺の弟子にあんな事をしてくれたな。お前には死んでもらう」
ザンドを見下ろす伊勢の顔は相変わらず蒼白だが、目は生きてらんらんと光っている。
ザンドは傷ついた目をして、何も言わない。…絶対に演技だ。傷ついてなどいない。
『お前は俺を甘く見たな。俺の弟子に手を出した奴は絶対に許さない。どうした?何を驚いてる?エルフ語が分からないと思っていたか?あ?』
伊勢はザンドの頬を張った。
「ぐぅぅ…」
『紙だって火薬だって、俺の国で大昔に作ってたやり方だ。あんなの今じゃもう廃れてるが、な。ロスタムは本当の事を言っていたのさ』
ザンドは驚いたような顔で伊勢を見上げる。…演技だろう。コイツ自身、自覚してるかどうか知らないが。伊勢にはそうとしか思えない。
「イセ様!」
様呼ばわりだ。都合のいい野郎だ。
「私の勘違いにより、お弟子様に酷い事をしてしまった事を心より謝罪いたします!少しでもお詫びをさせていただきたく…何でもおっしゃってください!イセ様のお力にならせてください!」
なんだコイツは…
気持ちが悪い。
息を吐くように嘘をつく人間は、たぶん世の中の人が思っているより多いのだろう、と伊勢は思う。
嘘を言い、他人の人生をぶち壊しても、気にしているふりだけで、心に何の痛みも感じない。
彼らは本当の意味で、良識も常識もなく、良心もない。でも、自分じゃそれに気づいてないんだろう。
自分は普通の人だと思ってる。法律に罰せられないから、普通に生きてると思ってる。
あるいは建前を盾にして自分を立派な人だと正当化してる。自分ですら騙してる。
たぶん、法律だって建前だって、慣習の一部を制度化したものでしか無いのだろうに。
人間はその良心で、なんとか人間になっているのだろうに。
そんな奴は、この世にはいて捨てるほどいると伊勢は思うが、この男は、完全に空っぽだ。
コイツには何もない。
気持ちが悪い。この男とは、言葉が通じる気が、まるでしない。
「ザンド・ナイヤーン。お前は…死んだ方が良い。お前は人を…不幸にすると思う。」
伊勢は少し迷って、それからため息をひとつついて心を決めると、暴れるザンドの首に手をかけた。
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15分ほど時間が経った。
医療中のロスタムの状態は安定している。フィラーもだ。
伊勢はキルマウスに向けて手紙を書いていた。報告をせねばならない。なにしろ、エルフの外交官を皆殺しにしてしまったのだ。ビジャンの毒矢で死んだ年かさのエルフと、伊勢が刺殺した若い娘エルフには、キルマウス邸での宴で会った覚えがある。
それにしても…警邏が来るのが遅すぎる。
ファハーンの治安組織は何をやっているのだろうか。ここに住んでいるのが不安になるほどである。
―イセ様ぁ!イセ様ぁ!
伊勢の耳に、モラディヤーン家執事のキルスの声が届いたので、窓から顔を出してみた。ようやく警邏隊のお出ましである。30人ほど出張ってきているようだ。
伊勢はキルスに一つ頷いてこちらから声を張り上げた。
「警邏隊の隊長殿と話したい!私は二級戦闘士イセ・セルジュ・シューイチロー!ここの店主、ザンド・ナイヤーンにとらわれた弟子を救うために押し入った次第!」
伊勢の言葉を聞いて、隊長が前に出てきた。
「私が隊長のダリューン・ダリュナーンだ!イセ殿の勇名は聞き及んでいる!相棒のアール殿もおられるのか?!話は聞くから武器を捨てて投降せよ!」
伊勢も有名になったものだ。だが、エルフの件があるので、不用意な処置は出来ぬ。
「投降したいのだが一つ大きな問題がある!ダリューン殿、あなただけにその問題を見せてもいい!そして、申し訳ないがキルマウス・セルジャーン様に手紙を届けてもらえないか?!至高なる神に誓う、私はあなたに何も手出しはしない!」
「いいだろうイセ殿!今から入る!」
決断の早い男だ。非常に豪胆だ。名前からしても、3級になって市民権を取得した戦闘士上がりかもしれない。
ダリューンは手元の剣を部下に渡すと、扉の前に立って待った。伊勢は階下に行って、彼を迎え入れた。
「で、ダリューン殿。これがその問題だ」
伊勢は惨劇の場を彼に見せた。
「…エルフではないか。これは…」
「エルフの外交官一行だ。コイツらは俺の弟子を拷問して殺しかけていた。弟子を助けるのに抵抗したので、皆殺しにするしか無かった。ああ、このエルフは魔法師だ」
豪胆なダリューンもあっけにとられている。外交官のエルフを5人、それも魔法師がいるのに全滅させているのだ。
「問題をお分かり頂けたと思う。キルマウス様に私からの手紙を。彼から指示があるまでは、外で待機なさった方が良いと思う」
「了解した」
ザンドの店は高級住宅街のすぐそばなので、キルマウス邸にも近い。彼は20分も経たないうちに馬を飛ばしてやってきた。勝手にどんどん店の中に入ってきて、伊勢にむかって叫んだ。完全に激怒している。
「イセ!お前はいきなり何をやっているのだ!バカ者が!このバカが!」
そう言って伊勢の頬を思い切りぶん殴った。
そういえば、今日の午前中にキルマウスから火薬の件について話を受けた伊勢なのだ。それが今ここで、双樹帝国の外交官を皆殺しにしている。彼からしてみれば意味が分からないだろう。
「閣下、私の弟子のロスタムを見て下さい。ザンド・ナイヤーンに監禁され、エルフに拷問されていました。もう少しで死ぬところです。ご覧になってください!」
キルマウスに説明しながら、伊勢の怒りはまた燃えあがってきた。本当に、もう少しでロスタムは…。伊勢は彼を治療している部屋にキルマウスを連れていった。
そっとロスタムの様子を見たキルマウスは、すぐに状況を察したようだ。
「…わかった。仕方ない。…策が無い。ああ、…もう陛下に取りなしてもらおう。そのくらいしか出来ん。他は考えられん。陛下への手紙を書くか…。お前は俺と一緒に帝都グダードに行くのだ」
こんなに困っているキルマウスを見るのは初めてである。
「それにしてもロスタムが死ななくてよかった。息子のダールが悲しむ。」
「はい」
キルマウスはフンッと鼻を鳴らして外を見た。外には警邏隊の持つ松明の煙がたちこめている。
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「ああイセ君、ロスタム君の怪我はもう大丈夫だろう。応急手当は終わったので、後は私の家でしっかり治療するよ。フィラー君もね」
治癒魔法にたけた魔法師のレイラーがいてくれて助かった…感慨深く、伊勢はそう思った。彼女がいなかったらダメだったかもしれぬ。
「助かるよレイラー、ありがとう。本当に…ありがとう」
レイラー。本当に…
伊勢がロスタムの治療室に入ると、彼は寝ていた。アールはその枕元に座って、彼の顔を優しくみている。
「アール、とりあへずは大丈夫みたいだな。俺は警邏隊についていくけど、キルマウス様に話が通ってるから心配はいらない。ファリドとビジャンも家に帰る。アールはロスタムについててくれ」
「相棒…」
「うん」
「ロスタム君が、助かりました」
「うん」
「本当に良かった…ボクは安心しました」
「うん」
「相棒、ボクは…怖かったです。相棒とはまた別ですけど…ロスタム君が死ぬのは怖かったです。」
「うん、もう大丈夫だよ」
「はい」
アールが怖がるのは悪い事じゃないと、伊勢はそう思った。
きっと、生きていくと言うのは、そういう事なのだろう。
「相棒は大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫だと思う。ザンドを殺したよ」
「はい」
「首の骨を折ったんだ」
「相棒…」
「嫌な感じだが、まあ、大丈夫だ」
「相棒…」
こちらを殺しにかかっていない人間を殺したのは、初めてだ。
自分から人を殺すというのは、怖い。
責任が大きい気がする。
「相棒…」
アールが伊勢の肘に手を触れた。
「大丈夫だよ、アール」
それだけで伊勢は大丈夫だ。
アールの肩をポンポンと叩くと、椅子に深く腰掛け、背もたれに身を預けた。
「銃を持ってくればよかったな」
「あ…せっかく作ったのに、ボクも忘れてましたヨ」
伊勢もアールも頭が空転していたらしい。苦笑である。




