二年と60日目-1
二年と60日目
本日午後から、『タイラス・アポロニウス』が上演される。伊勢は実に楽しみである。映画を見たから大体の筋は知っているが、劇で見るのは初めてなのだ。
この作品は間違いなくアルバールで受けるだろう。残酷さというのは洋の東西、地球と異世界を問わず人を引き付ける。我々は所詮、凶暴な類人猿だからである。
それはともかくとして、伊勢はキルマウスの呼び出しを受けているのであった。火薬の件のカタがついたのだろう。彼らしい手早い仕事だ。
迎えの自操車が家に届いたので、それに乗って一人で向かう。アールには昼飯屋の仕事があるのだ。
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伊勢が顔を出すと、例によってキルマウスは挨拶も無く、機関銃のように話しかけてきた。
「イセ。話は付けた。製法は皇帝陛下と8つの有力一門が極秘管理する。東方ではファハーン、へラーン、ジャルダードの三都市の最大一門だ。当然ここでは俺だ。所有許可は陛下が発する。83の一門と部族に許可が下りた。当然だが帝軍もだ。」
許可の一覧だ、と言って、キルマウスは伊勢に一枚の紙を渡した。帝都で作られている紙であった。
「ファハーンのセルジュ一門以外の4つにも許可が出ている。これらは俺の配下みたいなものだがな。小さい所には無いが、どうせどこかの寄り子か配下だ。違反したら車裂きだ。」
要するに広域暴力団組長の皇帝と大貴族が製造権を持ち、組長の許しを得た配下に配って、持たせる、という事だ。
まあ良い落とし所だろう、と伊勢は思った。この国の各部族に詳しいわけでもないのだから、これ以上は思いつけるはずもない。伊勢は政治屋ではないのだ。
製法はどうせそのうち、どこかから漏れる。不法に持つ人間も出る。だが、あらかじめ大義名分を立てておくのは大事だと思う。多少なりとも抑止力にはなるだろう。なんといっても車裂きなのだ。
「わかりました。では、製法をお渡しします。あと、後ほど保有量の上限も決めた方が良いですよ?たとえ名目上でも」
「おう、確かにな。だが妥当な量が分からん。そのうちだな。」
伊勢は懐から紙に書いた黒色火薬の製造手順書を出して渡した。配合割合については、この指示書と伊勢とアールの頭の中以外には、どこにも存在しない。某コーラの配合のようなものだ。
キルマウスは目をキラキラさせて、さっそく手順書を読んでいる。彼はもう完全に爆薬に魅了され切っているのだ。将来の爆弾魔である。真に危険な男がここにいる。
「では、後ほど担当者をよこしてください。直接指導します。それと、私が作った爆弾を所有許可の出た一門に売ってもよろしいですか?」
「よかろう。俺に一番たくさん売れ。全部買ってやる。よし、帰れ。俺はこれをじっくり読みたい」
勘違いしてはいけない。「俺にたくさん売れ」というのは、「俺に献上しろ」という意味なのだ。この翻訳がナチュラルに出来ないと、ここで生きていく事は出来ぬ。ヤクザめが…
「わかりました。ではアミル商会の販路を通じて国内に売ります。閣下には別途…。失礼します。」
「行け。これを持って行け」
「はい」
ジャラジャラ音を立てる3つの布袋は、とても重かった。
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伊勢は帰りにアミルの店によって、彼に状況を説明した。
「…という具合になりました。これが所持許可を得た一門と部族の一覧です。写してください」
「わかった。さすがに凄いなぁ。こんな事になるとはねえ」
アミルはすでにおおかたの所を知っていたのだろう。大して驚きもしない。しかし、感慨深そうではあった。
「とりあへず二ヶ月以内に手榴弾1000個、納入しますね。その次からは…あんまり売れないでしょうね。自分たちの一門で作るから」
「それでも数十万ディルにはなるよ。我々の名前もうれるしね」
伊勢はもっと儲かる。彼からアミルへの卸値は一個あたり1500ディルなのだ。もう伊勢の小市民脳は巨大な金額の計算を放棄してしまっている。胃が痛くなるのだ。
補足して言えば、この手榴弾1000個は、各一門への見本なのである。「こういうものを作りました、あとはこれを真似して作ってくださいね」ということだ。要するに伊勢は技術を売っているのである。
「ではよろしく。…ああ、後アーブティンさんが探してくれてるナードラでの硝石の方も」
「承った」
アミルとはさっさと話しを終えて、伊勢はいそいそと家路についた。なぜならセシリーの『タイラス・アポロニウス』の開演時間が迫っているのだ。急がねばならぬ。
火薬だの戦争だの権力闘争だの、そんな胃がもぎ取られそうになる話より、今の伊勢にはエンタメの方が重要なのである。この世界には娯楽は少ないのだ。TVもネットも小説も無い。人はパンのみに生きるにあらず、と昔の偉い人も言っていた。娯楽が必要です、って事だろう。きっとそうである。
「ただいまー、さあ時間が無いからもう行こう」
「相棒、ロスタム君がまだ帰ってきてないんですヨ」
あの弟子モドキめ…師匠モドキの楽しみを邪魔するとはまことに許せん。おおかたダールにでも捕まっているのだろう。青少年特有のエロ話にでも花を咲かせているのだろう。伊勢は放っておく事にした。
「もう時間が無いよ、アール。ロスタムにはまた後で見に行かせればいい」
「そう…ですね」
「兄貴、急いで!」
ファリドはセシリーの晴れ舞台をみたいがために、もう我慢が効かないらしい。
伊勢は自室に行ってさっさと普段着に着替えると、
「アール、ファリド、行こう。ビジャン、マルヤム、留守番よろしくな」
と言って三人で家を出た。ビジャン曰く、「……稽古で何度も見た…」だそうだし、マルヤム曰く「ババアは小便が近くてねクシシシ」だそうだ。ただマルヤムはそのうち一人で見に行くだろう。あのババアはそう言うババアだと伊勢は思っている。
劇場は満席であった。
「相棒、席はここですヨ」
セシリーがボックス席をとってくれていたので、売店で菓子パンとお茶を買って、席についた。この菓子パンは麦芽糖で素朴にほんのり甘くて、密かに伊勢のお気に入りなのである。
―カランカラン
ベルが鳴り、幕が開いた。
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「セシリー、すげぇよ。お前はすげぇ…」
ファリドはさっきからこればっかりである。あのような劇を彼女が書き、それに観客たちが心を動かされているのを間近で見たことで、新たな彼女の一面を発見した気がするのだろう。セシリーもまんざらでもなさそうである。
初日の軽い打ち上げにみんな付き合っていたから、時間が遅くなってしまった。
もう、空は蒼く薄明になっている。一行は足早に、帰途についていた。街灯などという便利なものなど無いから、日がくれれば真っ暗になってしまう。
「相棒、ビジャンさんの直しも良かったでしょう?」
「確かに。あいつはそんな才能があるんだな…ところで今日のご飯は?」
「ふふ、棘猪の生姜焼きですヨ」
「おお」
ご飯の親友、生姜焼き。棘猪自体がそれほど手に入るわけでもないし、生姜と言えば輸入品である。高価なのだ。
ご馳走を目の前にした伊勢の歩く速度は13%ほど速くなった。
結果、13%ほど早く家についた。
「ただいまー、ん?どうした?」
留守番していたマルヤムの様子がおかしい。
「ああ、旦那。ロスタムが帰ってこないんだよ」
「ふむ」
確かにロスタムがこんな時間までほっつき歩いている事は、今まで無かった。一応、あれでも弟子という自覚は持っているのだ。
「あいつはダール殿の所にでも行ってるんだろ?」
マルヤムがアールに目線を送る。
「相棒、ロスタム君は奴隷の女の子に昼飯屋のご飯を届けているんです。一日おきくらいに」
「今日もそこに行ったのか?」
「はい、ホットドッグを持って行きましたから」
別にそれは良い。他家の奴隷に密かに食事を届けるなど、失礼千万ではあるが、まあガキのやる事として許してもらえるだろう。
師匠に隠れて何やってるんだ、と思わなくもない伊勢であるが、隠し事の無い子供なんていない事もわかっている。14歳の子供だった経験くらい伊勢にだってあるからだ。
「それなら、そこにいるのかもなぁ。どこの奴隷なんだい?」
「名前はわからないんですヨ。以前助けた子だって言ってました」
…ん?もしかして?
「ああ、心当たりがある。以前モラディヤーン家に行くときにロスタムと俺が助けた子かも。主人の名前は…あー思い出せない」
もう半年も前の事なのである。名前一つを脳細胞にとどめていけるほど伊勢は賢く無いのだ。
「他に何か言ってたか?」
「ボクは何も…」
「旦那、その子の主人は嘘つきのクズ、ってロスタムが言ってたよ」
嘘つきのクズとは、また端的でエレガントな表現である。以前キルマウス邸の宴で……あ。
…アイツだ…。
ザンド・ナイヤーンだ…キルマウス邸の宴でエルフと一緒にいた、双樹帝国とつき合ってる商人だ。
伊勢の顔から脂汗が噴き出た。鼓動が速くなり、そのくせ顔からは血の気が引いた。
「ロスタムが死ぬ」
「え?!相棒、どうしました?!」
「…ロスタムがその子に食事を届け始めたのはいつからだ?」
「だいたい半年くらい前ですヨ」
間違いない。ザンドだ。
ザンドにロスタムは捕まったのだ。何らかの原因で伊勢の弟子だとバレたのである。たぶん、奴隷の娘からだ。彼女も伊勢を知っている。
「その子の主人はザンド・ナイヤーンだ。エルフの双樹帝国と付き合いのある嘘つきのクズだ。俺の弟子と知られていれば、ロスタムが死ぬ」
伊勢は紙にしろ火薬にしろ、双樹帝国の独占を崩している。知られてはいないだろうが、今では磁器にも手に出している。
その弟子が、自分の店に来ているとなれば、ザンドは自分が探られていたと思うだろう。
すでにロスタムを捕まえているなら、ザンドは中途半端な事はしない…無理やりに情報を引き出すだろう。
「相棒…」
「……鎧を着てくる…」
「俺もだ!」
ファリドとビジャンが武器庫に走っていった。
「アール、ロスタムが死ぬ」
伊勢のせいで死んでしまう。頭が働かない。体がズシッと重くなった気がする。体が動かない。
「相棒、まだ間に合います!大丈夫!絶対大丈夫!!」
本当はアールにも大丈夫かどうかなんてわからない。だけど相棒がしっかりしないと…。
アールは相棒の両肩を握って、揺さぶった。
「相棒!急げば大丈夫です!」
「ああ…」
アールが大丈夫だと言ってる。それなら、大丈夫だ…。いままで一度も裏切られた事は無い。
アールの大丈夫は、絶対だ!絶対に、絶対だ!!
伊勢は何とかギリギリで再起動した。右足を前に、次に左足を前に、繰り返せば体が前に進む。自室に行って鎧を着た。すでに何百回もやってきた事だ、何も考えずとも体は勝手に動いて、迅速に着替える事が出来る。
よし、いいぞ。動けてきた。動け動け!
こうやって体が動けば、つられて頭も動き出す。人間の心と体はそういう風に出来ているんだ…
伊勢の顔は死人のように蒼白だが、体はきびきびと動いている。
伊勢が居間に戻ってくると、ファリドとビジャンも同時に上の自室から駆け降りてきた。アールはすでに居間に待機している。
槍を持っているのは一人もいない。アール以外は剣と弓。アールは斧と弓だ。
「よし。ザンド・ナイヤーンの家はモラディヤーン家のキルスが知ってる。あの家からすぐ近くのはずだ。ファリド、ビジャン。少し水を飲め。お前らは走ってモラディヤーン家に行け」
「わかった」
ファリドのいい返事だ。ビジャンは頷いた。
彼らは水差しから直接水を飲むと、すぐに玄関から駆けだしていった。彼らの鎧だって、今は伊勢と同じCFRPだ。軽いから走るのには良い。
「俺は親父のところに走っていって、弟子を借りてくる。すぐ戻るからアールはここにいてくれ」
「はい、相棒」
危険かもしれないから、この家を空ける訳にはいかない。だが、ザンドの店に押し込むなら最大戦力が必要だ。だから親父に弟子を借りて留守居役にする。
親父の鍛冶屋は同じ工業区の中にある。伊勢の足なら走れば5分もかからぬ距離だ。
「マルヤム、セシリーは戸締りを。鍛冶屋関係以外は絶対開けるな」
「はいよ、旦那」
「はい、ミスターイセ」
よし、忘れてる事はないだろうな…たぶん、大丈夫だ。
伊勢はゆっくりと家を出た。探知魔法に敵意は…今は、まだ感じない。
「この家はまだ監視されてはいないと思う。俺は親父のところに走る。アールはここに」
そう言うと、伊勢は返事も聞かずに走りだした。
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―ドンドンドン!
伊勢は力いっぱい親父の工房の扉を叩いて叫んだ。
「親父!親父!伊勢だ!助けてくれ!出て来てくれ!」
すぐにガタガタと、鍵と用心棒を外す音がして扉が開いた。親父が自分で開けてくれた。
「親父、弟子を10人連れて、武器持って今すぐ俺の家に詰めてくれ!すぐだ!理由は後だ。ロスタムが死ぬ」
「おいてめぇら全員降りて来い!剣持ってこい!!」
親父は弟子たちの寮に向けて叫んだ。弟子たちが怒声に驚いて、すぐさま駆け下りてくる。訓練された軍隊のように早い。
「俺はもう時間が無いから行く。親父頼んだ!」
「任せろ」
この親父は…本当にありがたい。
伊勢が家に戻ると、玄関の前でアールがバイク姿で待機していた。
「相棒!乗って!」
「おお!」
急いでヘルメットをかぶり、グラブをして、サイドスタンドを払うのももどかしく、全力で駆けだした。伊勢らが出ていくのと入れ替わりに、親父の弟子たちが庭に駆けこんできた。これで自宅の安全は確保されるだろう。
バイクはクネクネと細い道をすりぬけていく。まるでジムカーナのようだ。一速に固定したまま、ブレーキとアクセルと方向転換、体重移動の繰り返し。神経を使う。普段は街中ではアールに乗らないが、今は非常事態だ。そんな事はどうでもいい。
しばらくして大通りに出ると、伊勢はすぐさま思いっ切りスロットルを開けた。
―ジジジッ
アールはリアタイヤをわずかに滑らせて、ケツを蹴飛ばされたかのように加速していく。伊勢は体を倒して、フロントのリフトを力ずくで抑え込んだ。一速で120キロまで引っ張る。約三秒だ。スポーツバイクだから当たり前だ。
二速にシフトすると、すぐにカーブが近づいてきたので、体を起してフォークをフルボトムさせながら減速する。防衛上の観点で道路は無理やり曲げてあるのだ。クソッ!
きっちり速度を落として、くるりと小さく回ると、またフル加速。その方が、速度をキープしながらカーブするより速いと、伊勢は思っている。バイクの操縦も、以前より上手くなった気がした。体の性能が良いからだ。
切り裂くようなヘッドライトの閃光が、夜に沈んだファハーンの白い街並みを一瞬だけ取り戻させ、また夜の中に置き去りにしていく。常に一万回転を超えているエンジンの、甲高いエキゾーストが石の街に響いた。
数少ない夜の街の通行人は、バイクを口を開けて見ているが、そんなものは知った事ではない。
今は速く、早く、速く…
早くいかないとロスタムが死んでしまうのだ。
俺の弟子のロスタムが死んでしまうのだ。
俺のせいで死んでしまう。
俺の弟子が死んじまう。
そんなのは絶対にダメだ。
神様を知るためにロスタムは俺の弟子になった。
俺は神様なんかどうでもいい。
はやく…
商業区の終わりあたりで、ファリドとビジャンの背中が見えた。伊勢は速度を落として、彼らに叫んだ。
「お前らはそのままレイラーの家に走れ!俺は先に行って話をつけてくる!」
「わかった!」
ファリドの返事だ。ビジャンは少し疲れている。
「相棒!ロスタム君に!」
…おう、そうか。
伊勢はクラッチレバーを握りしめると、スロットルを一杯まで回した。
―ウワァワァワァワァワァワァンン…
レブリミットまで一気に吹き上がった749cc4stマルチのエンジン音が響きわたる。
聞こえるか、ロスタム。今すぐに俺が行ってやる。すぐにだ。
待ってろ。
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―失敗した。
ロスタムは、そればかり考えている。
『derftgyhuijokイセ・シューイチローftgyhujivtbynu』
「お前の師匠のイセ・シューイチローはどこでエルフ様の技術を手に入れたか言え」
ニールワンヤンとか呼ばれてる年配エルフがエルフ語で喋って、このザンドというゴミが通訳する。ザンド…フィラーを殴りやがって。で、その後は他のエルフか、ザンドの奴隷が鞭でロスタムを叩く。ずっとこのパターンが繰り返されている。
始まったのは3時くらいだと思うが、どれだけ時間が経っているかはもうわからない。まだ、夜ではないと思う。
『ftgyhuji』
―ビシシャッ
「ふぁぁぁぁぁぁ…いたいぃぃぃ…やめてぇ…ぐすっひぐ…」
演技だ。
痛くないわけではない。もうロスタムの体は傷だらけだ。血だって沢山流れてる。鼻も折れている。だが、まだまだ…頑張れるはずだ。
師匠が昔教えてくれた。尋問されたり拷問された時には、自分の名を何度も言って、見かけより弱っているように見せかけろ。そして下手な嘘は言うな、と。まさか実際に役に立つとは。…何で師匠はそんな事を知っているのだろう。自分で考えたのかもしれないな。
「なんでも…なんでもしますからぁ…もうむりです…」
演技だ。
息も絶え絶えのような演技をしてやる。
『sderftgyhujikftロスタムgyhuijcvgbhrtyguhinjmonjmbuni』
「ロスタム、お前がこの店に来たのは、何かの情報を探るためだろ?この店から盗んだんだな?言え」
「ぉぉれがこの店には…フィラーに会いに…ごはんを…フィラーに…」
ザンドめ…フィラーを殴りやがって…あんなメチャメチャに殴られたら死んでしまうかもしれない。
殺してやる。
『ftgyhuji』
―ビシャッ
「ひぃぁぁぁぁぁ……ぁあぁぁ…」
演技だ。
これ以上殴ったら死ぬかもしれない、そう思わせる演技。
「クソガキが『drftgyuhijokedrtfyニールワンヤンtvybuniybunidin』」
『mfoerjgireniniergjirtigrij』
「おい、ガキを下せ。少し休ませる。死なないように傷に油を塗っとけ」
「はい、ご主人様」
演技が効いたようだ。さすが師匠。教えに間違いは無かった。
奴隷がロスタムの両手を縛っていた綱を乱暴にほどき、床に向かってつき倒した
「ぐぅぃぃ!」
演技では無い。傷が床にすれて、血の筋が幾重にもつく。
奴隷は壺からスプーンでオイルをすくい取ると、ロスタムの背中に傷に乱暴にすりこんだ。
「ぐあ…つつぅ…」
これも演技では無い。
このクソ奴隷が…お前を絶対に殺してやるからな、誓って殺す。
ロスタムは憎しみを燃やして、心を支える。冷静に冷静に。
全員を殺さなければならない。一人残らず殺してやる。
この奴隷を含めて、ロスタムが殺すメンツは7人になった。
ザンド、ニールワンヤン、壮年のエルフ、若いエルフ1、若いエルフ2、若い女エルフ、そしてこの奴隷
コイツらは全員殺す。誓って殺す。
ザンドめ、フィラーを殴りやがって…殺してやる。殴り殺してやる。
エルフどもも全員殺す。これは鞭でたたき殺す。
奴隷は鉱山に送る。いつか死ぬ。
クソ…痛いな…
ミナー。
あの時に比べれば今の方がはるかにマシだ。痛いだけだ。
師匠…すいません。
失敗しました。
フィラーを殴りやがって…
うん、気絶はしないな。
師匠が頭部への打撃以外で気絶をしたら本格的に危ないと言っていた。失血性ショック…外傷性ショック…後なんだっけ…迷走神経反射か。まあ迷走神経反射で気絶しても死にはしないだろう。
そろそろ夕方か、夜か。
隙間風の冷たさに気がついて、ロスタムは時間を悟るとともに、戦慄した。
今は冬だ。このまま半裸で毛布一つなく放置されたら凍死してしまう。
師匠も、アールさんも、ここの場所は知らない。
俺は死ぬ…
いや、まて。まだそうとは限らない。師匠とアールさん達が何とか…あの人達ならなんとか…
―クソ。失敗した。
あの時に格好付けないで、すぐに逃げておけばよかったんだ。そうすればフィラーも、軽く殴られるだけで済んだかもしれないのに。
俺はバカだ。
すいません、師匠。
クソ、あいつら戻って来やがった。
ザンドがロスタムをあおむけに寝かせて、胸に片足を乗せて踏みにじった。傷が擦れる
「ひぃぃぃぃ…ひぃぃ…」
「おい、ロスタム。紙や火薬はわかるな?イセはどこで知識を得た?俺の店なんだろ?お前がこの店に近づいた理由は?」
「がみもがやくも…わかりますけどぉ…じ…じしょうは…祖国のニホンで学んで…」
『yhujik』
男エルフ1がロスタムの左前腕を踏み抜いた。乾いた音がして、骨が折れた。ロスタムは痛みよりも先にビックリした。こんなに簡単に骨が折れるとは…。
「ぐぅぅぅぅ…」
口からは自然に気持ち悪い音が漏れてしまう。
演技をしないと…
「ロスタム、まあ、お前が奴隷女の為にこの店に来たのはわかったよ。あの奴隷女もそう言ってるしな。…で、イセはどうやって紙や火薬の知識を得た?」
「し…ししょぅの国はに、ニホンと言って…」
ロスタムがそこまで言った時に女エルフが彼の折れた左腕を蹴った。ひじから先が振り回され、肉と皮膚を割いて白い骨が飛び出してきた。
骨が出ちまったよ!俺の骨が!…ロスタムはビックリした。骨って言うものは体のなかにあってそれがふつうなはなしでこんなふうにそとにでるときはもうそいつはしんでいる、みなーのほねはうまっていてやいてはたけにまいてないおれのほねはでちまったから…
―ボキッ
「うああぁっぁぁぁ…うぁ…もう…もう…やめてぇ…」
ロスタムは自分が気絶してしまった事に気がついた。痛みと、骨を見たせいだ。迷走神経反射だと思う。死ぬことは無い。出血は…まあ、多分大丈夫。神経が切れていないと良いが…。
ああ、脛が…くの字だ。これか…さっきの痛いのは。
演技なんてもう…
「「おい、起きろロスタム。寝てんじゃない。一応、もう一度確認しておくぞ?イセはお前がこの店に来ている事を知らないんだな?」
「うあい。…ししししょうは…知りません」
「じゃあ、もう一度聞くから…
―ウワァワァワァワァワァワァンン…
「なんだ?この音は…まあいいか、ロスタム」
「…ぁあい…おおれ…もぅ………」
「また気絶しやがった…おい、水持ってこい!」
……演技だ。
師匠が来る。アールさんと一緒に師匠が来る。
もうすぐだ。




