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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第七章~師弟
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二年と41日目

二年と41日目


「兄貴、セシリーさんを俺にください!」

「娘はお前なんぞにやらん!アール、ご飯おかわり」

「はい、相棒」

 朝っぱらから下らないジョークを叩きつけてきたファリドに、下らないジョークを叩き返す伊勢である。今日の朝飯も安定した美味さである。…おや?


「おい、お前ら。なんだよ、その顔は」

 アールは普通だ。マルヤムは爆笑をこらえている。ロスタムは怪訝そう。ビジャンは無表情で伊勢を見ている。セシリーは困っている。ファリドはこの世の終わりのような顔をしている。


 伊勢には意味が分からない。


「おい、ファリド。頼むからそんな顔はやめてくれ。お前に何があった?」

「兄貴の娘…娘ってなんだ?…娘…お父さん!娘さんを俺にください!!」

「娘はお前なんぞにやら…おい、だからなんだよ、その顔は!」

 ファリドの顔は蒼白に変じている。きっと吉良邸討ち入り前の赤穂浪士たちも、このような顔をしていたのであろう。決死なのである。

 伊勢は彼に言葉をかけてやる事が出来ぬ。彼の鬼気迫る表情にあてられてしまったのである。コワイ!


「兄貴、ここに一万五千あります…足りないとは思いますが、今はどうかこれで…」

 ファリドはそう言うと、伊勢に向けて重たそうな革袋を差し出した。伊勢はようやく理解した。

「ああ、お前、本気なのか」

「当たり前です!」

 そうか…ファリドとセシリーか。これは伊勢も全く気がつかなかった。でも他の面々の表情を鑑みると、気付いていなかったのは伊勢とロスタムだけなようである。情けない男である。

 しかし…


「ダメだ。その金を受け取るわけにはいかない。そうだなセシリー?」

「はい、ミスターイセ。ファリド、だから私言ったです」

「なんでですか!」 

 セシリーは自分から伊勢に聞いて来たのだ。『私を買い戻すには3万200ディルでいいですか?』と。たどたどしいアルバール語で「がんばり、ます!」と言ったのだ。

 あの、内にこもって、何も出来なくなっていた彼女が、そう言ったのだ。あの時、伊勢は本当に嬉しかった。だからだ。


「セシリーは自分で自分を買い戻す。彼女にはそれが出来る」

「私、お金稼げます。残り2万5千返せます。あと一年。二年。待ってるください。」

 伊勢とセシリーの言葉に、ファリドは歯を食いしばり、身を震わせた。いまにも食いつきそうな顔で、伊勢を見ている。そんな顔で見たって、伊勢は絶対に引く気は無い。


「セシリー、兄貴、わかりました…でも、待てません。…だから、俺もここに住みます!」


 そういう事になった。

 伊勢にはそれなりの考えがあるのだ。たぶん。


「ところで、お前らみんな知ってたのか」

 伊勢の問いかけに。

「ボクはセシリーさんから聞いてましたヨ?」

「俺は知りませんでした。師匠」

「旦那、見りゃわかるさねキシシシシ」

「……ファリドから…」

 だそうである。知らぬが仏の伊勢だったのだ。ダメな男である。


^^^

 午後から伊勢はロスタムを連れて親父の鍛冶屋に行く事にした。ロスタムには出来るだけ、モノ作りの現場を触れさせるようにしている。伊勢は学者ではないのだ。


 店番をしていた弟子に軽く声をかけて奥に入ると、作業を監督していた親父に声をかけた。

「親父、どうだい?」

「出来てる。で、こりゃ何に使うんだ?」

「そいつはまだ秘密だ」

「しかたねぇな」

 伊勢と親父とは、これで話が済む。楽なものである。


 親父に伊勢が頼んでいたのは手榴弾である。伊勢の握りこぶしほどのサイズで、重さは300gほど。この中に、鉄の小さな破片と火薬を入れる。卵のような構造だ。

 表面には網目状に突起が走っている。この突起部分に応力が集中して、周囲に均一に破片が飛ぶのだ。…たぶん。ちなみに突起なしのバージョンもある。さらに、片側にソケットがついていて、ここに木の棒を突っ込めるようになっている。いわゆる柄付き手榴弾である。

 モノは鋳造で作っている。伊勢は鋳造に関してはあまり知識が無いので、「親父に任せるよ」と、全面的に親父に一任だ。技術的な専門用語ではこれを「丸投げ」、という。


「ふむ、良いんじゃないかな。帰ってから試してみるよ。量産は出来るんだよね?」

「ああ、『護』があるからな。今のままでも月に500位は作ってやる。」

「さすが『護』だな。とりあへず溝の有り無しを決めるから、その後で500ほど納入してくれ」

「わかった」

 それにしても魔石バーナー『護』さまさまである。護を耐熱煉瓦で囲った炉に直結して、熱源として利用しているのである。護が本気なら炉は崩壊し、白金ですら溶ける。もちろん護自身も溶ける。ご照覧あれ、これが、パワーである。


「後はなんかあるか?親父」

「ノギスだ。ようやく売り物が出来た」

「おお!見せてくれ」

 親父のノギスは良い出来だった。もちろんミツゥトヨのノギスなんかと比べてはいけない。精々、ホームセンターで売ってる安っぽいノギス程度だろう。それでも、これが有れば、職人の作業性は、ちょびっと上がると伊勢は思う。その「ちょびっと」が重要なのだ。

「よし、親父。まず良い所だろう。さっそく売ろう」

「わかった」


 伊勢が帰ろうと思いロスタムを呼ぶと、彼はドワーフに向こう槌を打たせられていた。すでにヘロヘロであった。

「ヘタクソが。テメエみてぇに貧弱なガキは見た事がねぇ」

 などと、ドワーフから理不尽な罵倒を受けるロスタムを回収し、自操車を転がさせる。


「師匠、なかなか面白かったです。向こう槌ってむずかしいですねぇ」

 ロスタムは全然こたえていない。コイツはこういう奴だったな、伊勢は改めて思った。

「女の人と結婚して、同じ家に住むってどんな感じなんですかね?」

 ロスタムはセシリーとファリドの事を考えているのだろう。あるいは親父の娘のラヤーナとファルサングか…

「人によって違うだろうな。俺の経験だと非常に勇気が必要だったなあ。一緒に住むのは…まあ楽しいかも知れん。色々あるけどな」

 伊勢にはそのくらいしか、言う事は無い。色々、色々、色々あるのだ。

「師匠は結婚してたんですか?」

「ああ、その昔な」

「そうですか」


 ロスタムは深く追求しない。


^^^

 ファリドの引っ越しは三日くらいかけて、ゆっくりとやる事になった。彼は次男坊なので、家を出る事自体は家族からも歓迎されている。


―コンコン

 夜、アールはセシリーの部屋をノックした。すぐに扉が開く。

「セシリーさん、お話があります」

「どうぞ?」

 セシリーの部屋には大したものは無い。ベッドと物入れがいくつか、それだけだ。執筆は居間でやるので机も要らない。

 アールは静かに入って、セシリーと並んでベッドに座った。


『セシリーさん、あなたがアメリカから来たって、ファリドさんに言いますか?』

 英語だ。万が一、誰かに聞かれたら困ったことになる。

『…わかりません。やはり、親しくても言うとまずいですか?』

『相棒は絶対に言わないはずですヨ。誰にも。それに相棒は絶対に言わせたがりません。セシリーさんが言うつもりなら…止められませんけど』

 アールの確信を持った言い方にセシリーは戸惑った顔を見せた。

『なぜ、ですか?』

『この国にはこの国の神様がいるからだ、って言ってました。ボクにはよくわかりませんけど』

『……ああ。それ、わかります』


 セシリーはキリスト教徒だ。いや、教徒だった。バプテストの洗礼を受けていた。自分を熱心な信徒とはとても思わないが、それでも聖書は良く読んだ。

 この世界に飛ばされて、信じてきた事がすべて破壊しつくされた気がした。聖書も教えも、全て愚かしい嘘だったのだ、と。

 自分だけじゃなくて、家族も友人も、聖書に手を当てて宣誓する大統領も、自分の国の人たちはみんなみんなバカみたい、と思った。

 そうだ…

 

『ファリドは良い人です。無駄に傷つく事はありません』

 本当の事を言うのが、常に最善ではないと思う。本当の事を言う事は、相手を傷つける免罪符にはならない。

 それがセシリーの良心の自由というものだ。彼女なりのバプテストの名残かもしれない。

「わかりました。ありがとうございます、セシリーさん」

「こちらこそ、アールさん」

 アールはにこっと笑って、おやすみなさい、と出ていった。


 彼女は、しごく普通に、なんでも無いように人の心から答えを導き出してくれる、そんな風にセシリーは思う。

 なんにも考えていないように見えて、全部わかっているみたいだ。不思議な人だ。


「ファリド…」

 一言口に出してみる。

 あの人はどこまでもまっすぐだ。信じられないくらい、まっすぐに、こんな私を愛してくれる。彼はどこか懐かしい。……あ。


『ああ、そうか…似てるんだ』

 ようやく理由が分かった。だから私は懐かしく思って…好きになったんだ。


 彼女は故郷の湖を思い出して、少し泣いた。

 理由が分かってちょっと安心したので、明かりを消して眠りについた。




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