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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第七章~師弟
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二年と20日目

二年と20日目


 午後4時ごろにレイラーがやってきた。珍しく徒歩だ。門のところで、顔をおさえている。

「お?どうしたレイラー。何かあったのか?」

 伊勢は庭に出ていたので、すぐに発見して声をかけた。火薬製造のための小さな作業場を新設しており、その出来具合を確認していたのだ。


「ああ、イセ君。死んでしまったのだよ。亡くなってしまった…」

「えっ?!ベフナーム先生が?!」

「違うよ!!お父様は元気に決まってるじゃないかね!…ホラディー師だよ。」

「ああ…帝都の」


 ホラディー師には伊勢も一度会った事がある。一年二カ月ほど前の事である。

 鼻毛を抜きながら挨拶をする人を食った老人だった。どうしようもないくらい、極めてだらしが無かったが、知識と学問に対しては図抜けて立派な人間だった。

 彼は伊勢の知識を聞いて、その一生をかけて構築した新しい医学理論を自ら破壊し、訂正したのだ。「残しておいたら学者の恥だ」と言って。

 彼の学派は大揺れに揺れ、今でもゴタゴタは治まっていないようだ。


「そうか…残念だったなぁ。何歳だったんだ?」

「80歳になられたところだね。」

 80歳とは驚きである。伊勢が見た時には矍鑠としており、70そこそこくらいに見えたものだ。

「そうか、なら大往生だな。もう少し生きて欲しかったが。…ちなみに死因は?」

 一年前に見た時には、とても元気に見えた。病気を持っていたようにはとても思えぬ。

「亡くなられた原因は、腹に石を落とした事だそうだ」

 状況がまるで想像出来ぬ。


「庭の池に石が入れてあってね。それを持ちあげて抱えてる時に、仰向けに滑って転んだらしいね」

「…なんでそんな事を?」

「石に付いていた藻を調べていたのだね。実に先生らしい」

「あー」

 確かに、先生らしい気がする。人を喰った態度のホラディー師なのだから、人を喰った理由で亡くなられるのが彼らしい。最後まで人を喰って逝けるんだから。

 伊勢は思わず笑ってしまった。


「何を笑っているのかね?」

「ああ、いや、すまん。そんな人を喰った亡くなり方なんて、ホラディー師にしか出来ないだろ?じつに先生らしいじゃないか。はははっ」

「…それもそうだね!…ふははは」

 二人して爆笑してしまった。

 80歳にもなって、池に入って、藻を調べて、石を腹に落として、死ぬ。

 素晴らしい学者だ。本当にすばらしい。

 レイラーは泣きながら爆笑していた。


「まあ水でも飲んでけよ」

「ああ、そうしようかね」


^^^

 レイラーは夕食までホラディー師の功績に付いて話し続けた。


 ホラディー師は医学で評価されているが、レイラーの話を聞くと、数学と錬金術で評価すべき人だと伊勢は思う。

「大地の大きさを算出した功績は凄いな。ちなみにいくつなんだ?」

「ホラディー師の計算だと7800サングだね」

 地球の直径は13000キロ弱。ホラディー師の計算は12000キロ弱。確かに語差はあるが、十分に評価に値する精度である。彼はそれ以外にも硫酸を乾留によって得ているのだ。大したものである。


「レイラー先生、ホラディー師の学派はこれからどうなるんですか?」

 ロスタムがレイラーに聞いた。

「さてね。問題は医学だね。数学に付いては議論の余地なんて無いからね。医学は…今は旧医派と新医派と新新医派に分かれてる。新新医派は異学派ともよばれてるね」

 レイラーは考えながら慎重に話している。

「旧医派は古い医学だ。これはかなり減ってきていた。新医派はホラディー師の興した学派、異学派はこの一年のホラディー師が興した学派。当然、私もお父様も、発端のイセ君もこの学派に入るね。ロスタム君、君もそうだね」


「力関係はどうなんですか?」

「帝都ではだいたい3:5:2くらいじゃないかね?異学派はもう少し少ないかな?都市によってかなり違うよ。地方では旧医派が多い。ファハーンでは旧医派が1割くらいで異学派が4割近い。これはイセ君と私のお父様の影響だね。」

 伊勢が一年近く断続的に講義してきた結果が、ファハーン異学派の増大につながっているようである。もちろんこの都市における学会の最高権威である、ベフナーム先生の影響が最も大きいが。


「物騒な事にはならないのか?」

「ああ、心配しなくてもいいさ。そういう極端な奴らは死ぬか、破門されてしまったからね」

「そ、そうか」

 レイラーの口から『死ぬ』、という言葉がさらっと出てくるあたり、実に物騒である。全共闘時代の内ゲバの予感である。伊勢は、この家にクレーンの鉄球をぶち込まれたくは無い。


「イセ君の故国と違うからね…正しい事を言っていても、それを検証することは難しいのだよね…」

 苦そうな口調で彼女は漏らす。確かにそうなのだ。人体の構造ひとつとっても、それを検証する事が出来ないのだ。伊勢も最近知ったのだが、教義により、この国では人体の解剖が出来ないらしい。

 …ん?人体の解剖?


「なあレイラー。人体の解剖が出来ないのは知ってる。神の教義から外れるからな。でも人体以外は?動物もダメなのか?」

「え?ダメじゃないに決まってるじゃないかね。それなら肉を食べる事も出来ないじゃないか」

 レイラーが、何を言ってるんだこの人は?という顔で伊勢を見る。彼のセンシティブな心のやわらかい部分が少しだけ傷ついた。

 しかし、それなら、

「じゃ、動物を解剖しようよ。消化器系はともかく、循環器系とかなら、羊も馬も犬も俺達も基本構造は変わらんぞ?」

「え?」

「まあ、それでも人と動物が同じ構造を持っていると、証明は出来ないけどさ。参考にはなるだろ?」

 伊勢の言葉に彼女は目を輝かせた。天啓を受けたかのようである。

「おお!それは…おお!大丈夫だよイセ君!教義にも一切反しない!!」


 という事で、近々動物の解剖実験をやる事になった。この二年間の戦闘士生活により、強固なグロ耐性をに身に付けた伊勢だからこその発想であろう。日本にいた時なら考えもしない。これは成長ではない。ただの慣れである。


「まあ今日は遅いからレイラー、もう帰りな」

「ああ、そうだねイセ君。遅くまですまないね」

「いいさ。…ビジャン、悪いがレイラーを送っていってくれないか?物騒だからな。ロスタムには庭の工事の段取りをさせるから」

「任せてくれ」

 赤軍派がいるかもしれないのにロスタムに送らせる事は出来ない。戦闘士のビジャンなら完全に安心である。

 レイラーはビジャンが運転する自操車に乗って帰っていった。最後は少しだけ、晴々とした顔をしていたように、伊勢には見えた。



 ロスタムは庭に出ていった。月が明るいから再度確認しようとしているのだろう。

「相棒…」

 ずっと黙っていたアールが話しかけてくる。

「ん?なんだいアール」

「死んじゃうんですね。やっぱり」

 アールにとって、知っている人が死んだのは、これで3度目だ。一度目はジャハーンギールのファリバーさん。二度目は訓練中隊の兵士たち。三度目が特に親しくは無いが、ホラディー師だ。

「人が死ぬのは嫌ですね」

 アールは今まで何十人も敵を殺してきた。敵が死ぬ事に対する感慨は無い。相棒だってそうだろう。だが知り合いが死ぬのは、嫌だ。心の一部が失われた気がするし…馬をぶつけられた相棒を思い出してしまう。

「ああ、そうだな」

 そのまましばらくお茶を飲んだ。


「アール。人は死ぬけどさ、死んでも終わらないんだよ」

 伊勢はアールにそう言った。モングとの最初の戦いで、捕虜を石で殴り殺していた女の言葉を思い出したのだ。彼女は、『死んだって終わらないのよ』、と言った。よく覚えている。

「俺もお前も、人は必ず死ぬけど、死んだって終わらないんだ。ホラディー師も」

 ホラディー師が死んだから、レイラーが動物の解剖をするのだ。終わっていない。彼の異学派もだ。

「わかる気がします」

 ジャハーンギールでアールが戦ったのは、相棒の相棒だからだ。相棒の中身が薄まって、ジャハーンギールの人たちにも溶けてる気がした。…言葉にするのは難しい気持ちだ。あの宴の光景は、絵には描いた。


「でも、相棒が死ぬのはダメですヨ」

「お互いさまだよ」

「そうですね、ふふ」

「そうだよ」

 そうなのだ。お互いさまなのである。


「ところで相棒、解剖はこの家ではダメですヨ」

「えっ?」

「ここは『昼飯屋』ですから、清潔にしておかないといけません」

「あ、あー、うん」


 どうやら候補地から探さないといけないようだ。

 学問の追求とは、とかく厳しいものなのである。




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