二年と7日目
二年と7日目
例によって伊勢は朝からアミルの店に来ていた。アールは昼飯屋があるので、伊勢とロスタムだけだ。
アミルはこの時期は、ファルジ村に帰って塩の製造現場を見に行っているので、イセの対応してくれるのは長男のアーブティンである。彼が全権を委任されているらしい。できる男なのだ。
「ところでアーブティンさんコイツを見てくれ。コイツをどう思う?」
「黒いですね」
ジャパニーズ・ネット・スラングは異世界では通用しない。
「コイツは火薬だ。ご存知ですか?」
「火薬とは…なんでしょうか?」
さすがに商人とはいえ、双樹帝国とつながりが薄いので知らないようである。
「これは良く燃える。まあ見て下さい」
伊勢は懐から一枚の皿をとりだして、そこに少しだけ粉末状の黒色火薬を盛った。体をひいて、ロスタムから受け取った線香で火をつける。
―シュヴァッ
「おお!良く燃えますね。これは燃料や焚きつけに良さそうだ」
さすが異世界、目のつけどころが違う。焚きつけに使えば、この国に死と火災が量産されるであろう事は論を待たない。
「アーブティンさん。これを圧縮して密閉し、火をつければ爆発します。一掴みの量で抱えるほどの大岩を割るくらいの力です。もちろん人は死にます」
淡々と説明する伊勢を、アーブティンは愕然とした目で見た。
「これを使った武器と、採掘用の道具をアミルさんの店に売ります。」
「ぜひお願いします!」
アーブティンはすぐに理解した。効果と用途が分かれば、すぐに需要と結び付けられる。さすがに商人である。
「作り方は、そのうちに…」
「開示してくださるんですか?!ちなみにそのうちとは?」
「キルマウス様次第です」
「ああ…」
一言で通じてしまう。ある意味でおそろしい。
「値段は別途。誰もいない砂漠にキルマウス様を連れて来てください。極秘でコイツの威力をご覧に入れます」
「すぐに手配します」
手早く話し合いは終了し、アーブティンはキルマウスとの調整に動き出した。タイムイズマネーの精神は、アミルから受け継がれているようである。
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アミルの店から家に帰る帰り道。ロスタムがまた自操車を運転しながら考え込んでいるようだ。自操車が蛇行している。
「おい、ロスタム!ちゃんと運転しろ!あぶねぇよ…」
「あ!すいません師匠……火薬の製法を教えても良いんですか?」
ロスタムは、伊勢が火薬の製法を教えてしまうのが、気に食わない。彼は、その危険性も可能性も良く理解しているのだ。だから二の足を踏む。
伊勢はロスタムの意見が、すこし意外に感じた。一年前のロスタムなら、モングを殺す為なら、喜んで国中に製法を喧伝したかった事だろう。
「ロスタム、モングもこの技術を持っているんだ。アルバールが持たないわけにはいかないだろう?均衡が崩れてしまう。戦争を誘発し、この国は負けるぞ?」
「それは…わかってます。でも、この国は一枚岩ではないし、荒っぽい部族も、盗賊だっています。これを使って村が襲われたら…」
確かに。ロスタムの懸念は伊勢にも良くわかる。
アルバールは西と東で相変わらず仲が悪いし、遊牧民の部族国家だ。近現代の国家のように、強力に国内を統治しているわけではない。自操車による高速移動があったとしても、紙もなかったのだ。強力な中央集権など望むべくもないのである。
国民が…いや、人民が持っている帰属意識だって自分の部族や一門に対するものだ。あの、帝都の闘技場で、伊勢が演説をぶっても、そんな事では民の意識も為政者の意識も、変わるわけはない。
だが…
「ロスタム、お前の言う事は理解できるが、放っておいてもこの技術はすぐに出回るぞ?モングがこの国を取れば、彼らから出回るだろうしな」
そうなのだ。それくらいなら、自分たちで広めてしまった方がよほど被害は少ない、と伊勢は思っている。
「確かに…でも村が…」
ロスタムは村育ちだから、どうしても個々の村を考えてしまうのだろう。ごく一般の農村にとって一番恐ろしいのは、盗賊や敵対する他部族による略奪なのである。
「わかるよ、ロスタム。俺も一応、ちゃんと考えている。」
「はい、師匠」
それで議論は終わり、自操車はゴトゴトと家に向かっていった。
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「イセ殿、おやかた様が南門に来いと仰られています」
「えっ?もう?!」
「相棒、ボクなら大丈夫ですヨ?」
午後になると、キルマウスから早速の呼び出しがかかった。伊勢には彼が時折発揮する、軽快すぎるフットワークの基準が理解できない。熟慮という文字は、彼の辞書にはないのであろう。
伊勢がアールに乗って南門に行くと、すでにキルマウスは街道を下って行ったとの事。気が早すぎる。誰かの都合という文字も、彼の辞書にはないのであろう。
すぐさま南下して5キロほど進むと、キルマウスがアーブティンと3人の付き人を連れて騎行しているのが見えた。
「キルマウス様!」
「おう、イセ。アール。遅かったな。お前達らしくも無い。しかし火薬とはな。」
遅くは無い。伊勢とアール以上に機動力のある存在など、鳥以外ではこの世に無いのである。
「この辺で良いだろう。やれ」
いきなりである。がっつき過ぎなのだ、この男は。確実に女性に嫌われるであろう。
「もっと街道から離れましょう。ここでは万が一、他人に見られるかもしれません」
「凄いのか?俺は話に聞いただけだ。よく知らん。見た事は無い。モングが使ったのは凄かったらしいな。いつ作ったのだ?どのくらいできる?」
「凄いです。ヴィシーとジャハーンギールの戦いが始まってから研究し、完成したのはつい最近です。量はまだ何とも」
そんな事を喋りながら、街道に繋がる農道を折れて、二キロほど進んだ。
道の傍にちょうど良い岩影をみつけた。
「ではこの辺で…キルマウス様。下馬して下さい。アール、その岩陰に入って馬を抑えておいてくれ。絶対に暴れる。」
「はい、相棒」
「凄そうだな。楽しみだ。いいな。ワクワクするぞ?」
キルマウスは少年のような笑みを浮かべている。伊勢にも気持ちはよくわかる。男のロマンである。
「では準備してきますので」
「早くしろ。待てない」
聞き分けのない子供を置いて、伊勢は爆弾を設置に走った。使う爆弾は3週間ほど前にテストした、あの爆弾だ。導火線だけは数倍に長くしてある。
伊勢は適当なところにそれを据えて、導火線に着火すると、一目散に皆の元に駆け戻った。
キルマウスとアーブティン、付き人達は、もうすでに馬とは別の岩陰に隠れている。アールの指示だろう。伊勢もその岩陰に入った。
「何やってるのだイセ。なんにも起きないぞ?なんなのだ。」
「ちょっと待っててくださいね。……そろそろ」
「そろそろなん…」
―ドーンッ!!
馬が棹立ちになって暴れまくっている。
「はいしーどうどう。どうどう。よーしよし…はい、いいこいいこ…よしよし」
アールの宥めにより、馬はすぐにおとなしくなった。彼女はそういう職業にもつけるかもしれない。戦闘士なんてやめた方がいいのだ。
「っっ!―!」
アーブティンは目を白黒させている。
「イセ…いいな。あれは良いぞ。腹にズンときた。実に良い。見に行こう」
キルマウスは目をキラキラさせている。
見に行ってみると、大したことは無い。小さく地面がえぐれているだけだ。爆圧が上に逃げるので、そんなものなのである。キルマウスも拍子抜けしたようだ。
「なんだ、こんなもんか。大したことないな。音は凄い。馬は驚くな。兵も怖がる。」
伊勢はニヤリと笑ってキルマウスに言ってやった。
「キルマウス様。この周り兵士がいたら…おそらく40ヤル(36m)以内の兵士は全員死んでます。さっきの爆発で鉄の破片が飛び散りますから、それに当たって吹き飛びます」
「なんと!」
キルマウスは大声で怒鳴って、なぜか地面を右足で蹴った。彼の事が心配になるリアクションである。色々と溜まっているのだろう。
「これの小さい物を作って、肩の良い兵士に投げさせればいいのです」
「それ作れ!双樹帝国め!素晴らしい物を隠しているものだ。…お前は何で知っているのだ?」
「いや…俺とアールの祖国で、150年くらい前に使われてた火薬なので…」
「お前の国は訳が分からんな。まあいい。作り方を教えろ」
やはりそう来たか。伊勢は覚悟していた質問だったので、用意していた回答を答えた。
「まだ教えられません。先に製法も含め、火薬を誰がどう管理し、誰に所持許可を与えるかを決めて下さい。私が納得しない限りは教えられません」
キルマウスの目がスッと細くなった。怖い。怖いのだが、妥協は出来ない。
「おい」
「それまでは、製造はします。販売もします。しかし、客は選ばせてもらいます。無駄な騒動を起こさない為です。おわかりのはずです」
ジャパニーズ・リーマン・スキルの真剣な無表情はキルマウスの鷹の視線を跳ね返した。
「イセ殿。おやかた様の命令だ。素直に聞き…」
「だまれ!!」
口を挟んだ付き人に手袋を投げつけてキルマウスは叫んだ。とばっちりが伊勢に来るので、やめて欲しいところだ。
「イセ。俺には売ってくれるのか?」
「…陛下の許可があれば」
「っ!!」
眼光に押されて、つい「もちろんです」と言いそうになるのを飲み込んで言った。
「キルマウス様なら許可を得られるはずです。許可を与えるのは皇帝陛下。私はセルジュ一門。ですから…」
「ああわかった。なるほどな。もう言わなくていい。その方が良いな」
「はい」
キルマウスの手には伊勢とアールという鬼札がある。この二人はアルバール最強の戦闘士であり、それを上回る魔法師であり、最高の戦闘指揮官であり、神速の機動力を持ち、誰も知らぬ知識を持つ学者であり、そして皇帝にすら媚びぬ程の異常な胆力を持っている。
事実はどうあれ、これが為政者たちの認識である。
ゆえにキルマウスが上手く立ち回れば、火薬の管理や所持許可に関して、彼がイニシアティブをとる事が出来ると言うわけだ。許可を与えるのは陛下でも、今のところ実際に札を握っているのはキルマウスと伊勢なのである。
さらに許可を与えると言う事は、中央集権を確認するための、一つのネタにも使える。宮廷としてはともかく、「皇帝」としては損は無いのだ。
伊勢だって危険は承知の上だが、キルマウスの政治力はかなり強いし、ファハーンから出ない限り大事にはならないと考えている。
もちろん、伊勢としては仕組みが納得できない場合は、製法の開示はするつもりはない。だが、キルマウスは火薬の危険を理解しているから、上手くまとめるだろう。彼は伊勢などよりも遥かに頭が切れるのだから。
「イセ、お前バカだな。俺がバカなら死んでるぞ。俺もお前も」
「キルマウス様がバカなら俺は毛虫かなんかですよ」
「ぶははは!お前は長生きしないな!」
「ぬははっ!いざとなれば逃げます!」
若干のヤケクソ風味を醸し出しながら、伊勢とキルマウスは高らかに笑うのであった。
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キルマウスは高らかに笑ったまま、馬を飛ばして帰っていった。付き人が慌てて後を追う。
「イセ殿。大した交渉でした。商人として非常に勉強になりました」
「いやー、アーブティンさん…やめてください」
本当にやめて欲しい。伊勢の内心では、膝が笑っているのである。余裕など一切無いのだ。
「じゃあ、俺はアールと先に帰りますから」
「はい。また店で」
恥ずかしくなったので、伊勢は先に帰る事にした。身に余る過剰評価は胃にもたれるのであった。
「相棒?」
「なんだいアール」
「さっきの相棒は、なかなか、かなり、まんざらでも無かったですヨ?」
「よせよせ、褒められると調子にのって後で泣くんだから」
「ふふ」
「ついでだから、焼き物の窯を見に行こう。もう結構出来てたからな」
「おー、ツーリングだ!嬉しいです」
「そだな、ははっ」
「はい!」
キルマウスが南門で待ち合わせにしてくれて良かった。ここからならニグラート村に行きやすいのだ。




