一年と304日目
一年と304日目
親父の鍛冶屋は地味に大きくなっている。人も増えた。ガラスペンの量産体制も万全だ。相変わらず工房は鉄と煤と油臭いが、それでも可能な限り整頓されている。新しい旋盤も入った。バッタもんのボール盤とフライス盤と回転砥石も入った。
最近では鉄工所のような雰囲気を醸し出してきたように、伊勢には思える。彼にとっては懐かしい感じだ。世話になっていた町工場の匂いが少しする。
「親父。ようやく、形になったな…」
「おう、このパワーはすげぇ」
魔石バーナー第3段、『護』である。
開発から一年以上の時間が経ち、最強の魔石バーナーが、ついに今オンステージしたのであった。
汎用性を重視した『誉』、小型化とハンドリングを重視した『栄』に対し、『護』が求めたのは安定性と絶対的な火力である。なんと言っても、火力はパワーなのだ。
魔石燃料の消費から計算したその熱量は、実に『誉』の13倍に達する。魔法で稼働可能なフライホイールによって安定化されたそのパワーは、まさに鍛冶屋の友。鉄から生まれし炎の神と言っても過言ではない。
『護』の開発は難航した。
親父も伊勢も何度も何度もぶつかりあい、喧嘩しあい、弟子とも議論をし、親父の娘ラヤーナに呆れられ、ときには怒られ、それでもパワーを求めてここまでやってきた。
この国の鉄鋼生産を変えるかもしれないほどの大パワー。もしかしたら、これを元にして、千年後には魔石ジェットエンジンが作られているかもしれぬ。
新しい歴史。
それが今、伊勢と親父の目の前にあるのだ。
「親父」
「イセ」
二人はがっちりと右手を握り合った。
『護』が轟音と共に、勢いよく安定した白い炎を吐く。
まるで二人を祝福するかのようであった。
二人の後ろでは、弟子たちが顔をほころばせている。中には煤と油で汚れた頬に、一筋の跡をつけている者もいる。
販売代理店であるアミル商会の営業担当も、満面の笑みをたたえて拳を握っている。
彼らもまた、戦友なのであった。
「今日はもう、店仕舞だ。てめぇら工房を片付けろ。イセ」
「みんな、打ち上げだ。夕方に俺の家に来てくれ!酒と料理をたっぷりとご馳走するぞ!『昼飯屋』の総力を挙げる!」
「「「おお!」」」
男たちは、満面の笑顔で吠えたのだった。
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「うあぁぁぁ…飲みすぎた…」
深酒の友は翌朝の頭痛である。しかし、伊勢は後悔はしていない。犠牲を払うだけの価値は間違いなくあったはずだ。
「相棒、おはようござ…大丈夫ですか?」
「うう、頭に頭痛が痛いくらいで何の問題も無いよ。アール…うう」
これはダメであろう。間違いなく、親父の鍛冶屋も、ラヤーナとドワーフの工員以外は全滅であろう。まあいい。犠牲を払うだけの(ry
「ダメそうですね…はい」
「ありがたい…神の水だ…」
アールが持ってきたお茶をすするように飲み干す。生き返る思いがした。
おかげで何とか元気が出てきたので、のそのそと這うように居間まで行って食事をとった。もちろん薄味の茶漬けである。それしか食えない。梅干しが欲しい。
「よし、もう大丈夫だ!」
頭痛がする間は生きている。先程の伊勢に足りなかったものは根性である。根性を出すのだ。
「セシリー、今日は『ファリスとロクシャーナ』の最終日だよね?席、あるの?」
「はいミスターイセ、夕方席二こあります」
セシリーの書いた『ファリスとロクシャーナ』は、批判されつつも、その批判に寄り客が入るという何とも皮肉な状況で、稀に見るロングラン公演を続けている。なんと200日間もやっているのだ。異例である。
次の『タイラス・アポロニウス』はさらなる人気が出るだろう。剥き出しで残酷な劇は受ける。伊勢は見た事は無いが、この国には真剣を使った剣闘試合もあるくらいなのだ。心配なのはビジャンの手直しだが、今のところはセシリー、アール、ビジャンの3人で上手くまとめられているようだ。
「よし、じゃあ夕方にアールと見に行く。午後はアミルさんの所に行くからアールも来てくれ。午後なら良いだろ?ロスタムは自由にしてくれて良い。なんなら発電機をいじっても良い。マルヤムは作ってもらいたいものがあるから部屋に来てくれ」
「はい、相棒。昼飯屋が終わった後で」
「はい、師匠。俺はちょっと出かけます」
「あいよ、旦那。今度は何を作るのかね?クシシ」
「よし、じゃよろしく。あ、お茶をもう一杯」
ところで、ビジャンも当然この席にいる。喋っていないだけである。
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伊勢は頭痛をやり過ごしながら、マルヤムにネットブックPCのCADを見せて新製品の説明をしていた。
「コイツは傘という。竹で…あー竹はねぇな…。うん、木で骨組を作って、その上に紙か布を張るんだ。この部分を先に向かって押し込むと開く。逆に根本に向かって引っ張ると閉じる」
「何に使うんだい?旦那」
「俺の国ではこれで雨をよけたり、日の光を避けたりするんだ。外を歩く時にコイツを持っていれば、暑さにやられてぶったおれる人も少なくなると思わないか?」
「なるほど…コイツは賢いねぇ…ババアも一つ欲しいもんだよ」
マルヤムはすぐに傘の有用性を認識したようだ。わかりやすい製品だから伝えるのも楽である。これは宣伝も楽かもしれない。
「今年の夏にはもう間に合わないが、来年の夏にはコイツを持って小金持ちの奥さんたちが歩いていると思ってくれ。どうだ?」
マルヤムはうんうんと頷いている。
「旦那、コイツは最高にいい。久々に感心したねクシシ」
洗濯物の脱水ローラーぶりの、久々のお褒めの言葉である。よほど彼女の心の琴線に触れたのであろう。ババアはやる気だ。
「マルヤムならいくらで根をつける?」
「アタシなら…400ディルって所だね」
高い。感覚的に6~8万円くらいだ。しかしそのくらいの値段設定で攻めて見てもいいのかもしれない。なにしろ初めてのモノなのだ。初モノという価値を買ってもらってもいいのかもしれぬ。装飾品の一種とするならもっと高い値がついても良い。
マルヤムはこれでも、この家の中で最も常識のある人間だから、彼女の評価は非常に参考になるのだ。まことに有用なババアである。
「よし、じゃあまずはそれ以上を狙ってみるか…とりあへずは一つ試作をしてくれ。部品図はここにある。じっくり見てわからない所があれば聞け。ああ、旋盤は自由に使えよ」
「あいよ」
「ああ、待て。旋盤を使う時は絶対に作業着に着換えろ。そんなひらひらの服じゃ巻き込まれるぞ?」
「あいよ。そんなに心配してくれると惚れちまうよ?キシシ」
ババアは下らない事を言って、図面を抱えて出ていった。
マルヤムには図面の見方も教えてあるので、大概の所は大丈夫だろう。器用なババアなので、自分で勝手に要領よく作ってくれる。どうせ来年の製品なのだから、まあ三カ月くらいで一応の形になればいいのだ。
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伊勢はマルヤムを部屋から送り出すと、他のフォルダをクリックした。フォルダ名はGUN。
銃である。
彼は大して銃の事を知っているわけではない。銃の具体的な構造なんて全く知らない。
ショートリコイル?それはカクテルの名前か何ですか?
ストレートブローバック?恐ろしげなプロレス技ですね?
このような具合である。
それでも男子のたしなみとしてエアガンくらいは持ってたし、弾丸が発射される仕組みくらいはわかっている。ざっくりした銃の歴史も知っている。機械を設計する能力もそこそこ程度はある。そして彼の手元にはCADがある。
だから、図面を描いた。
武器性能の向上が戦争被害を拡大させることは伊勢にもわかっている。
だが、彼は死ぬわけにはいかないのだ。
伊勢はセルジュ一門。つまりキルマウスの配下である。いま持っている全てを投げ出さない限り、キルマウスの配下である事をやめる事は出来ない。ということは、これからも戦争に駆り出される可能性があると言う事だ。
砂漠と草原の国である以上、騎馬戦闘がメインになる。現状でそれは無理なのだ。アールに乗って馬上戦闘をするなどナンセンスである事は、この前の北東部の戦争で身に染みた。馬が相手では手も足も出ない。勝るのは良い路面状態の時の速度と、機動性だけだ。
だからと言ってアールを置き去りにする事も出来ない。彼女は重過ぎて馬に乗れない。徒歩で槍を振っている時に馬を何度もぶちかまされたら、いくら頑丈なアールだって、絶対に死ぬのだ。それはダメだ。だから伊勢とアールは戦場では常に一緒にいるしかない。
ゆえに、死なない為には、強力な武器がいるのである。
ここ4カ月ほど、伊勢は銃の図面を描きながら、暇を見つけては火薬の製造をトライしてきた。
実のところ、火薬は双樹帝国にすでにある。ただ禁輸品だし、製造法も表には絶対に出てこないので、自分で開発するしかなかったのだ。
モングだって、ジャハーンギールの攻城戦で使っていた。モングは双樹帝国から火薬の作り方を盗み取ったのだろう。モングが火薬を持つのなら、アルバール帝国だって持たないわけにはいかない。戦争をしているのだから。
最初はニトロセルロースを作ろうと思っていたが、濃硝酸が上手く作れなかったので、黒色火薬に切り替える事にした。硝酸カリウム(硝石)も硫黄も、ベフナーム先生に以前に紹介してもらった鉱物商から入手できるのだ。
配合の最適化にはかなり苦労した。評価方法が、実際に燃焼させて、見た目を比較するしかないからだ。まだ実際に銃で試してはいないが、そこそこのモノが出来ているはずである。燃焼速度に最も影響する粒度に関しては、実際に弾を発射して、最適化を進めなければいけない。
伊勢が計画している銃は3つ。
金属薬莢の回転式拳銃と前装式のパーカッションライフル、それと散弾銃である。
銃身とバネとネジはアールに変形チートで作ってもらい、その他の部品を切削加工と親父の魔法で作るつもりだ。リボルバーの薬莢もチートで作った後に、銃口径に合わせた絞りで成型する。アールの変形チートでは完璧な寸法精度が出ないためだ。10㎜の径を狙ったとすると、9.8とか10.1など、なぜか適当にばらついてしまうので、現物合わせするしかない。アールのチートは変なところが人間くさいのだ。
雷管は雷こうを使う。体に悪いが、これは仕方が無い。
ライフルは後装式にしたかったが、伊勢には良い閉鎖機構が思いつかなかった。閉鎖に必要なだけの加工精度も無いだろう。妥協案で前装式のパーカッション式にした。弾はミニエーさんの考えたアレだ。
散弾銃はライフルの銃身を口径の大きい滑腔銃身にしただけだ。
図面をチェックした後、明日あたりから製作と試験に入ろうと伊勢は思っている。
伊勢は銃を広めるつもりはないが、一度でもこれを見た人間なら仕組みのかなりの部分を理解するだろう。おそらく、デッドコピーが出てくるまで、そう時間はかからないと思う。人間の想像力と、創造力とは、そういうものだと伊勢は思う。
それでも、死なない為に銃を作ろうと思う。彼はそれが自分の責任だと考えている。
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昼飯屋がはねた午後になって、伊勢はアールとのんびり歩きながら、アミルの店に向かった。こんな風に二人で歩くのは久しぶりな気がした。会話は大してないが、それもまた悪くは無いものだ。気持ちの良い無言もある。
アミルの店は少しだけ大きくなったようである。本店に人も増えた。
別の敷地に倉庫も増やしている。帝都にも支店を出しているし、へラーンにも常設の出張所を置いている。ガラスペンや魔石バーナーシリーズの売り上げも立っており、順調に事業を拡大しているのだ。
アミル商会の新規事業の多くは伊勢の『発明』が担っている。伊勢が発案し、親父がモノにして、アミルが売る。このトライアングルフォーメーションは盤石である。
「こんちわー、ホスローさん」
「ああ、イセ様、アール様、どうぞ奥に」
番頭のホスローも伊勢らにはご自由にお入りください、と言った感じだ。伊勢としても、変に気を使われないから楽である。いずれにしても勝手知ったる他人の家、どんどん奥に入って行って、アミルの執務室に顔を出した。ドアなんて無い。
「「こん(に)ちは、アミルさん」」
伊勢とアールの声がそろった。良くある事である。
執務室にはアミルの他、若い男が一人と、獣人がいた。男を見て伊勢はすぐにピンときた。アミルにそっくりだったのである。
「やあイセ殿、いい所に来た。さっそく紹介するよ。私の長男のアーブティンだ。そちらはナードラの商人で…」
『ニチリッチさん?』
『ニチリッチはおいらの3番目の弟だよ?おいらはニスリッチだよ?おねぇちゃんは、もしかして…アールちゃん?』
『そうです。ボクがアールですヨ。ニチリッチさんの友達です!』
『うん、アイツから聞いたよ!ファハーンでアールちゃんて友達が出来たってさ!そっかーおねえちゃんか!』
二人はペラペラとナードラ語で話しだした。他のみんなは置いてきぼりである。
「おや、お二人は知り合いですかな?それにしてもナードラ語を話せるとは…」
紹介に途中で割り込まれたアミルは面白そうな顔をしている。ナードラ語で話しているので一言も理解は出来ていないが、友好的な事は雰囲気でわかるのだろう。
「初めましてイセ殿、アール殿。アーブティンです。いつも父と我が店がお世話になっております。こちらはニスリッチ殿。ナードラ貿易で協力してくれます」
アーブティンが紹介を引き継いだ。気の効く人である。まことに長男らしい長男のように伊勢には思えた。苦労をするタイプである。
「ああ、こちらこそ。伊勢修一郎です。『ニスリッチさん。俺もナードラ語がわかりますから。ニチリッチさんとも会った事がありますよ』」
『おー!お兄ちゃんがアールちゃんの相棒さんかー!聞いてる聞いてる!』
どうやら伊勢の話も兄弟の間で情報共有しているらしい。それにしても話が錯綜するばかりだ。
『ニスリッチさん。ボクにニスリッチさんの兄弟の話を教えて下さい』
『いいよ!』
アールがタイミングよくニスリッチに声をかけてくれたので、伊勢たちは先に用件を済ませる事にした。
アーブティンは伊勢とアミルの話を興味深く聞く姿勢であった。
「さてイセ殿、まずはこれをとってくれ。おかげさまで蜂蜜生産量が1.8倍になっているよ。来年はもっと行く!今は他の村にも展開したよ」
「いい感じですね。では遠慮なく」
伊勢は机から重たい革袋を手にとった。養蜂が二年目にしてかなりの結果をあげているのだ。アミルが伊勢に手渡したのは、巣箱と遠心分離機の発明対価の半金、二万五千ディルである。もちろん伊勢は数えたりはしない。
「次にバーナー『誉』『栄』だが、ダラダラと少しは売れているが最初のような爆発力は無いな。他の都市に持って行けば売れるのはわかっているので、そちらに展開している。」
「納入後の御用聞きも忘れないでください。修理と買い替え需要がありますから。修理に関してはアミルさんとこの営業でも出来るようにしてありますし」
しゅうどう部がある以上、いずれ壊れるから修理せねばならないし、窯の部分は元より消耗が前提である。伊勢は最初から納入後のサービスを考えて、ユニットに分けて部品ごと交換できるように設計してあるのだ。
営業マンも親父の元で教育済みだから、簡単な修理なら十分にこなせる。昨日は一緒に『護』の打ち上げで酒も飲んだ。彼らだって、すでにこちら側の人間なのである。首までどっぷりと漬かった戦友なのだ。
その後も伊勢はアミルにサービスに関する念をしっかりと押しておいた。アミルの店には装置販売の経験が無いため、クドく思われても、ちゃんと認識させておかなければならないのだ。
「あと、昨日聞いたが新型が出来たそうだね?」
「ええ、新型の『護』です。これは誉の13倍の火力を誇ります。しかも魔法で駆動可能で火力の安定性も抜群。コイツは鍛冶屋には最高です。ガラス屋にもね。価格と納入開始時期はまた別途詰めましょう」
値段はまだ決めていないが、生産者卸価格は10万ディル前後といったところではないだろうか。
オプション装備も開発中だし、少量多品種生産の中規模の鋳造など、ある程度の用途も合わせて提供してやれば、かならず売れる筈だ。誉の実績がユーザーにモノを言うのである。
営業マンには親父と伊勢から、すでに直接の教育を行っている。
「ところでガラスペンの模造品はまだ出てないですか?」
「まだ大丈夫みたいだよ。すくなくともファハーンは私が完全に抑えているし、帝都グダードもそれなりに抑えている。なにしろ紙の開発者だからね」
誇らしげな顔でアミルは笑った。そう、政治的な利権と紙の開発者という名声で抑え込んでいるのである。利権がダメ、癒着がダメ、とか言っていたら、この世界の商人は一日たりともやっていけないのだ。多かれ少なかれ、みんな利権商人なのである。それが社会の前提なのである。
いずれにしろ、製造装置である『誉』や『栄』は売ってしまっているのだし、ガラスペンの形状を見ればプロならそのうち作り方も推測するだろう。コピー品が出回るのも時間の問題だ。
ただ、高級品については『鉄技』ブランドで抑えていきたいと伊勢は思っている。それまではラヤーナに頑張ってもらって、良い物を作り、市場に名前を売りながら儲けるのだ!!
次は新しい話。
伊勢とアミルで磁器を作る計画を立てているのだ!紙に続いて、双樹帝国の輸出品である磁器を、この国で生産するのである!
「焼き物の株はどうですか?」
「株はキルマウス様を通して2株入手した。窯はイセ殿も知ってるニグラート村の窯をそのまま全部買った。そう高くも無かったよ。良い奴隷職人5人付きで25万で買えたからね。今は普段通り稼働しているよ」
「えっ?!もう窯を買ったんですか?!…でも職人付きでその値段…えらく安いですね!怪しくないんですか?」
「今しか無い機会だったのだ。相手は借金で首が回らないのだよ。」
「あー…」
ふっふっふ、と黒い笑みを浮かべるアミル。かなり怖い。初めて会った時にこの顔をしていたら、伊勢は決して近づかなかったであろう。伊勢は深く聞くのをやめた。聞く必要はない。知らない方が良い情報は、間違いなくこの世にある。好奇心は猫を殺すのである。
この磁器づくりに関しては伊勢、アミル以外にもセルジャーン家も1枚噛んでいる。というより、窯株の相談に行ったアミルから話を聞きだしたキルマウスが無理やり資金の大半を出すと宣言し、90%の権利を奪い取って行った。すでに彼の窯と言ってよい。ヤクザめが…。
アミルは資金提供を対価に3%の権利と独占販売権を、伊勢は技術提供と発案の対価として6%の権利を持っている。残りの1%は窯頭の権利だ。
焼き物は窯の所有の段階から、窯株として役所の許可を得なければいけない。つまりは実質的にキルマウスの許可というわけである。それでなくても、セルジュ一門である伊勢とアミルは、キルマウス組長に逆らうわけにはいかないのだ。これがヤクザ組織の親と子の関係。まことに切ない。
原料のカオリンや長石に関しては南方の山脈から潤沢に取れる事が分かっている。これを原料としてボールミルで粉砕し、さまざまな他の粘土や原料粉末と混ぜて、練って成型したテストピースを、伊勢の自宅の『誉』を使って焼いてみた。何十種類か条件を変えてテストしてみた結果、ほのかに青みがかった白いガラス質となる配合が得られた。ちゃんとした磁器質だ。つまり、やれば出来るのだ。
窯の設計・建築から始めて、ノウハウを全て構築していく必要があるので、最低でも年単位の時間はかかるであろう。キルマウスもその辺りは重々承知している。なにしろ、伊勢たちには紙の実績があるので、説得力は抜群である。まあ、いずれにしろ気長にやっていかなければいけない。だが…これが出来れば凄い利益があげられるのだ!
そんな風に、伊勢の心の中は、セラミックを研究していた大学時代を思い出して、密かに燃えあがっているのである。
アーブティンは、伊勢とアミルの話を静かに聞いていた。彼は、アミルよりも落ちついた性格の人間のように、伊勢には思えた。痩せた体に、水のような気配を漂わせた瞳をしているイケメン野郎である。あまり、商人らしい貪欲さは見えないが、ナードラに2年もいるくらいなのだから、その中身は意外にタフなのであろう。
「イセ殿、父から話には聞いていましたが、あなた方は何というか…とても面白いです。私はナードラで砂糖を作っています。使える案があるかもしれないので、後ほど色々な機械を見せて下さい」
「もちろんです、いつでも俺の家に遊びに来てください」
アミルとはちょっと違うタイプのようだ。アミルは良くも悪くも根っからの商人であり、機械などには興味を持たない。彼の中では、あくまで全ては「商品」でしかないのだ。
アーブティンはもう少し、製造業の現場管理者的な視点を持っているのかもしれない。中間のタイプだ。伊勢はそんな印象を受けた。
「相棒、打ち合わせはひと段落つきましたか?ボクもニスリッチさんととても面白い話が出来ましたヨ」
『アールちゃんはすごいねぇ!ナードラ語をこんなに流暢に話せる人がいるなんて!おいらは嬉しいよ!』
二人とも実に満足そうに笑っている。いや、獣人の笑顔は伊勢にはわからないので、笑っている感じがするだけであるが。
「ボクとニスリッチさんで、竹の輸入について話をしましたヨ。良い時期に取った竹を、ナードラで割ってからアーブティンさんに届けてくれるそうです。値段も悪くないと思います。後で竹を割る道具を渡しますね」
「おお!そいつは良い!でかした明智君!」
「うふふふ」
最近のアールは伊勢が何も言わなくても、こういう事を良くやってくれる。さすが相棒、ツーカーだ。
なかなかどうして、うちのアールも大した商人のようだ。
伊勢はそう思った。
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『ファリスとロクシャーナ』の最終日。
おそらく、客席にいるのは殆どがリピーターなのだろう。
みんな、静かに、真剣に劇を見ている。
伊勢の隣のアールもだ。
劇が、終わった。
万雷の拍手の中、幕が閉じられた。




