一年と131日目
一年と131日目
伊勢の筋肉痛はまだ引いていない。異世界に来て、この体を得てから、ここまで酷使したのは初めての経験だった。
「相棒、みなさん来てますヨ。そろそろ行かないと」
「うん」
伊勢が椅子に座ってタバコを吸っていると、アールが呼びに来てくれた。アフシャールの支店に近所の皆さんを集めて、宴会が行われる事になったのだ。ご近所さんだけの、戦勝祝いだ。
伊勢はどうも気が進まないのだが、せっかくの宴に出席しないなんていう失礼なことは出来ないから、ちょこっと顔を出そうと思っている。
いつもの宴会場である支店の駐車場に行ってみると、25人くらいの人が集まって、各々自由に話をしていた。
「やあ!イセ殿!今回もすばらしーい活躍でしたなぁ!!」
アフシャールは明るい。こんな奴でも、あんな目をしてモングに石をぶつけていたのだ。指も一本なくしてしまった。伊勢が拾った彼の指は、道端の木の下に埋めておいた。返しても何の意味もない。
「おお、アフシャール。お前もなぁ。今日は絶対に飲むなよ?傷に障る。へたすりゃ腐るぞ?」
「ええっ?!」
アフシャールは急いでグラスをテーブルに置いた。もうすでに多少飲んでいたようだ。脅して正解である。
宴は、特にこれといった挨拶もなしで始まった。ご近所さんの飲み会だからこれでいいのだ。
いつもはとても明るい、気の置けない人たちの集まりなのだが、今日は少し皆に含む所があるようだ。知り合いや友人の中に死んだ者がいるだろうし、それも仕方が無い事である。
アフシャールはいつも以上に明るい。間違いなく演技だが、それでもいいと伊勢は思う。これが彼の尊敬すべき所なのだ。
アールは奥さん達と話をしている。何の話か知らないが、笑っているので良いのだ。
伊勢はオジサン連中のなかには行って話をする事にした。
「イセさん。すごい働きをしてましたねぇ。ウチの娘なんて、アールさんを守護天使様なんて言っちゃって」
だははは、と笑うオヤジさん。こういう笑いは良い、と伊勢は思う。よくわかったオヤジだ。さすがオッサンだけの事はあるのだ。
「でも、本当に良かったです。モングにやられなくて。一時はどうなるものかと思いましたけどね」
「俺らがいなくても守れてましたよ。まあ、一番の殊勲は援軍を率いていたキルマウス・セルジャーンとフシャング将軍でしょう。」
彼らがジャハーンギールへの攻撃を推測できなかったら、今はこうして宴会など開けていない。キルマウスなら気付いて当然だが、ただの推測を元に、実際の大きな行動をとると言うのは怖いものなのだ。
「セルジュ一門のような強力な門閥が北東部にあればねぇ…」
オヤジさんが漏らす。このオヤジは中々のものである。伊勢も同意だ。広域にわたって強力な支配力を持つ統治機構が、この地に存在しないのが悪いのだ。アルバールの中央政府が、もっと注力するならばそれがいいが…。地方分権なんてくそくらえ、だ。
「今回は、本当に良かった。また来ても負けませんけどね」
「ええ」
この街の人は強い。人が強いから、守れるのだ。伊勢はそう思う。
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アールはアフシャールさんの所に行った。彼の指の主治医はアールなのだ。彼女は医者ではないけれど、この国の医者の多くよりはマシだと思う。
「アフシャールさん。飲んじゃダメですヨ?」
「やあアール殿!さっきイセ殿に怒られてしまいましてなあ!!」
アハハハハ、と陽気に笑う彼だけど、アールは近所の奥さんから聞いて、知っている。
相棒とアールがこの街に来る前日。モング族が街に侵入したときに、ファリバーさんがやられてしまっているんだ。彼が好きだった、気の強い女の子だ。
「アフシャールさんは、本当に立派に戦いましたヨ」
「ええ、私はあいつらを絶対に許しません」
彼は噛みしめるように言った。アールには、なんて言って良いか分からなくなった。
「アール殿とイセ殿は…どうしてこの街の為に戦ってくれるのですか?」
「相棒は…」
アールが戦う理由は簡単だ。相棒の相棒だから。
相棒が戦うのは…相棒が相棒だから?答えは分かっているけど、うまく言葉に乗せるのは凄く難しい。絵で描く方が簡単な気がする。
相棒がこの人たちを見捨ててしまえば、相棒の一部が死んでしまう気がする。相棒を知っているこの人たちも、相棒の一部のような気もする。訓練中隊の兵士たちも。
自分の一部を切り捨てて平気で生きられるほど、相棒は強くないとアールは思う。
相棒は、自分の過去も記憶も、今の全ての関係も、ひとつも捨てられない。捨てられるほど強くない。
相棒は乗り越えない。ナマのまま全部抱えている。今までの、全部だ。
相棒の記憶を持つアールは、知っている。
「相棒は…戦うのは…うまく言えないですけど、そうしなくちゃいけません」
「そうですか。…イセ殿がアール殿を見てますよ」
では、と言ってアフシャールさんはご近所のおじさんたちの所に行った。
「アール」
相棒がこっちに来た。表情には出していないけど、疲れている。相棒はあまり眠れていないから…PTSDなのかもしれない。
「相棒、行きましょう?」
「うん」
相棒を連れて部屋に戻った。相棒はベッドに腰掛けたので、その傍らに立った。
「訳が分からないのは、怖いな」
「はい」
「裸緑猿のようだ」
「はい」
相棒には、殆ど全部が怖い。だから、これでも彼なりに、出来るだけ怖くないような方向に進んでいる。化学反応で、自由エネルギーが小さくなるようなものだと思う。
相棒は自分が死んでしまう事、それ自体は全然怖がってないけど、それ以外のこと全部が怖い。自分が死んだ後の結果が一番怖い。
アールが本当に怖いのは、一つだけだ。
「相棒、ここにいますヨ」
「うん」
「ボクはいます」
「うん」
相棒が小さく震えて歯を食いしばったので、アールは彼の前に両膝をついて、彼の肩に指先だけ、ほんの少しだけ触れた。
相棒は長く震えたため息をついて、ゆっくりと体の力を抜いた。
「アール」
「はい相棒」
「そこに」
「はい、相棒。大丈夫。」
アールはベッドの足もとに腰かけた。
相棒は壁の方を向いて横たわり、眠りについた。




