一年と128日目-2
一年と128日目
東門の激戦は、正午ごろにピークになった。最初に戦っていた南門よりもマシだが、それでも強く敵は押し出してくる。
伊勢には敵のモング共が何を考えているのか、全く理解できなかった。多分、なにも考えていないのだろう。
―バンッ
弓の弦が切れてしまった。近くの負傷兵と弓を交換する。伊勢には引きが軽すぎるが、疲労している今なら逆に良いかもしれない。強弓だから良いわけでもないのだ。
鉄弓の矢が残り少ないので、アールも普通の弓で、どんどん矢を放っている。素晴らしい速射だ。しかもかなりの割合で当てている。彼女は敏捷さは無いが、器用さは超一流だと伊勢は思う。絵も上手いし。
「ボクに矢をください!」
「はいっ!」
補助兵がすぐさま補給所まで走って矢束を持ってきた。ここでの矢の供給は潤沢だ。
「俺にもくれ!」
「はいっ!」
ガキみたいな補助兵が矢を持ってきた。たっぷりだ。これだけ撃てば伊勢の背中の筋肉を犠牲にして、両手の指くらいは敵を殺せるだろう。
流石に集中力が切れて来た。何時間も戦えるようには、人の体は出来ていないのだ。体も疲れるし、心も疲れる。アールだって疲れてるんだ。敵の矢を浴びながら、ひるまずに撃ち返すなんて疲れないわけがない。大丈夫だとわかっていても、誰だって怖いものは怖い。
「アール。無理するな」
「相棒、ボクは大丈夫ですヨ」
「いいから大丈夫でも無理するな!!」
「はい、相棒」
無理はいけない。無理をしたら死ぬ。アールだって、死ぬんだ。それは、だめだ。だめだ。
「軍曹殿!少し休んでください!代わりを連れて来ました!」
一郎が伊勢に声をかけてきた。ここの指揮官は第4兵団の一郎だ。
彼は5人ほどの射手を連れているから、疲れた伊勢とアールの代わりなら十分に勤まるだろう。
「わかった。休ませてもらう。アール、いったん引こう」
アールは最後に番えた矢で、一人のモングの脚を射抜くと、なめらかに下がっていった。
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城壁から降り、近くの一軒の民家に入り、休ませてもらう。住民の婆さんが、水と漬物と小魚の煮付けのようなものを出して来た。
「ありがとうございます」
魚の煮付けは日本人の伊勢としては、正直言って旨くは無いが、ありがたく頂く事にする。これが貧乏婆さんの精一杯だ。
「はい相棒、どうぞ」
「お、サンキュ」
アールが海苔巻きおにぎりを出してくれた。これが最高に旨い。婆さんの漬物はなかなかだ。68点。ぬか漬けが食べたい。
「兵隊さん。あんたの奥さんは美人だねぇ」
「ありがとうございます、おばあさん」
「あたしの若いころにそっくりだ!」
「ふはははっ」
「ふふふ」
伊勢もアールも、こういう年寄りの下らない冗談は嫌いじゃ無い。
「昔はモングなんて全然いなかったんだけどねぇ」
「そうですか…俺達は去年この国に来たので」
「そうかいそうかい。ありがたいねぇ」
ちょっと無言になって、3人で水を飲んだ。
「おばあちゃん!」
入口から10歳位の娘が飛び込んできた。伊勢とアールを見て硬直する。
「天使様と軍曹さんだ!」
天使。アールがここ数日で、言われるようになった二つ名だ。天使なんかじゃないけどな、と伊勢は思うが、訂正はしていない。それでこの街の気持ちが救われるなら、なんでも良いのだ。
「お嬢ちゃん、名前は?」
アールが呼びかけた。
「ビーター」
「ビーターちゃん、ボクは天使じゃなくてアールですヨ」
「天使様のアールさん!」
伊勢とアールはなんとなく顔を見合わせて、笑った。今はそれでもいいか、と思った。
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ひとしきり休んで、二人が戦場に戻っても、戦局は殆ど変っていなかった。敵は相変わらず苛烈に攻め立ててくる。
「一郎、補給物資は大丈夫か?」
「矢は大丈夫です。ナフサや油はもう無いですね。何とかなるでしょう」
まあ、攻城兵器相手じゃ無ければなくても大丈夫だろう。
「わかった」
「相棒っ!」
アールの声に振りかえると、伊勢の眼に二頭の騎馬が、門に突進してくる様子が映った。
「アール、撃て!」
アールがすぐさま鉄弓に持ち替えて、馬に矢を放った。
ドンッという鈍い衝撃音が聞こえてきそうな勢いで、馬の胸に根元まで矢は刺さり、一騎の馬が倒れた。もう一騎は止まる気配もなく、全速力で門へ突っ込んでくる。モングは、馬まで狂っている。
―ドンッ
激突して馬は倒れた。敵も味方も、双方が動きを止めて門を見た。戦場に一時の静寂が流れる。
そして馬が爆発した。
門近くの城壁上にいた伊勢は爆発の音をほとんど感じなかった。体全体を叩く鋭い衝撃があっただけだ。馬の首がぶっちぎれて飛んでいくのが、良く見えた。城門から発射された砲弾のようだ。
門は…
門は爆圧で歪み、観音開きの合わせ部分に、薄く隙間があいているのがわかった。
一瞬後、ワァァァァっと吶喊を上げて、モング共が一斉に門に突進してくる。伊勢にその吶喊は聞こえていない。
「―!―!」
一郎が叫ぶ。確かに叫んでいたように、伊勢には見えた。
城壁の上、門の上に並ぶ兵から次々と矢が放たれるが、狂ったように突っ込んでくるモングは意に介さない。全力疾走で隙間に突っ込んでくる。
「槍貸せっ!」
伊勢は横にいた兵士から槍を奪い取り、門の裏側に飛び降りた。兵士は何か口を開けて抗議しているが、伊勢の知った事ではない。ここで、食い止めなければいけない。ここしかないのだ!
10秒ほどして、モングが門の隙間に体をねじ込んで来た。
「うらぁっ!」
胸を刺した。槍は音も無く敵の体に深く差しこまれ、敵は血を吹いて倒れた。それでもバカどもは次から次へと入ろうとしてくる。クソがっ!
「っ!っ!っっ!」
伊勢はもう掛け声もなにも言えず、どんどん刺した。無音のまま、隙間に人が小山のように積み重なっていく。ここから入ってくるんじゃねぇっ!ああっああっ!
槍の穂先が曲がってしまった。仕方なく槍を投げ捨て、日本刀を抜く。
仲間の死体をまたいで入ってくる男に、頭から振り下ろした。剣が頭蓋骨を割り割き、上の歯で止まった。音も無く頭蓋骨を切り割るなんて、さすがに凄い刀だ。相手の体を蹴って剣を抜く。次の相手が入ってくる前に、こちらから剣をぶっ刺してやった。
「おあ!」
こいっ来て見ろ!次に隙間に入ってきた奴の首を、袈裟切りで叩き割ると、血が噴き出してきた。次の奴は両手を突き出していたから、両手丸ごと落としてやった。次の奴は刃を横にして首を突いてやった。その次の奴は心臓を突き刺してやった。その次の奴は眉の上から頭蓋を切り離してやった。
「相棒っ!ボクが!ボクがっ!」
アールが伊勢の横に来て、槍を上から振りおろした。隙間に立っている奴の身長が低くなった。
隙間に入ってくる奴が、いなくなった。
伊勢とアールは門の裏に立って、隙間を見張っていた。入って来た奴は、殺す。
―わぁぁぁぁぁ―ドドドドドドド
鬨の声と、馬蹄の音が遠くから響いてきた気がする。
徐々に、近づいてきた。モングが慌てて引いていく気配がする。気のせいじゃ無い。間違いない。
いつのまにか、伊勢の耳に音が戻ってきていた。硝煙の匂いもする。
「アール、終わりみたいだ」
「はい、相棒」
キルマウスがやって来たのだ。




