一年と120~124日目
一年と120日目
早朝、夜がようやく白んで来た時間に、キルマウスは城壁の上からモング軍を見ていた。
昨日までは城壁の近くで野営していたらしいが、今日は一サング以上離れている。遥かに増強された、城内の兵力を警戒しているのである。
俺が奴らなら、このまま撤退するとキルマウスは考えていた。彼我の兵力差は5000対3500くらいだ。まだこちらの方が小さいが、攻城戦を戦い抜くには十分だし、4日も経てば東に展開している第4帝軍の半分以上が到着するだろう。
そうなれば兵力でもこちらが圧倒、地の利でも有利だ。できれば引いて欲しくは無い。第4帝軍と挟撃してモングを潰しておきたいところである。
「父上」
ダールの声だ。
「なんだ?キルマウス様と呼べ。家では無いんだ」
キルマウスの態度は、他人に対するものと変わらないように見える。いつもと同じ、簡潔に押し込んでくる。
「はい、キルマウス様。用は…特になかったのですが…姿が見えたので」
「そうか。俺は単に見てた。展開も考えていた。お前、初陣はどうだった?怖かったか?」
キルマウスの初陣は盗賊働きをした部族への逆襲だった。彼自身、こんなに大きな戦闘は生まれて初めてだ。本当に怖かった。
「怖かったですが…良くわかりません。いくさの前、イセ殿が指揮官の心得を色々と教えてくれましたが、私には良くわかりませんでした。…彼は怪我をしました」
「そうか。重いのか?」
「脚を矢が貫通していましたが…まるで平然として歩いて話しかけて来ました。痛くないのでしょうか…」
「痛くないわけがない。我慢しているのだ。」
まあ、死ぬ事はあるまい。イセとアールにはまだ死んでもらっては困るのだ。それにしても見栄っ張りな奴だ、とキルマウスは思った。…ああ、そうか。
「授業だ。指揮官の心得とやらを教えているのだ。」
律儀な事だ。弟子の事といい、奴隷女の事といい、アイツは妙に甘い男だ。奴はなにも言わないが、どうせ甘さを突かれて、ニホンとやらで権力争いに負けたのだろう。甘いから、優秀で地位があっても、祖国を追われる事になるのだ。
ダールはキルマウスの言葉に、体を硬直させて目を潤ませた。この次男も甘い男だとキルマウスは思う。顔は似ているが、自分の息子とも思えぬ。だが、キルマウスの本質部分に良く似た、冷徹な長男よりも、このバカの方がずっと可愛い事も確かだ。コイツはもっと賢くならねばならないが、冷えて欲しくは無い。
「考えておけ」
「はい…!」
ダールは歯を食いしばって去っていった。キルマウスは、また今後の展開を考え始めた。
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一年と121日目
「相棒、そんなに歩いて平気なんですか?」
「うん。もう別に痛くないしね。矢じりの形状が良かったな」
伊勢は怪我した当日と翌日だけは寝ていたが、もうフラフラと歩き始めている。治療をしたアールは心配でたまらないのだが、本人は全然大丈夫だ。病気でないのだから、そんなものなのである。
治療といっても大したことはしていない。矢を切って抜いて、傷を中まで水で洗って、糸で縫い合わせただけだ。アールの手先は器用なので、縫合も意外と難しくは無かった。いざという時の為に、棘猪の皮で練習した甲斐があったというものである。
他の負傷兵の治療にも彼女のワザマエが大活躍であった。おかげで今では、一部の負傷兵たちから、密かに天使扱いされているのである。
「それにしても鎧を直さないとなぁ…戦争用の鎧はこれじゃダメだね」
伊勢の鎧はアールが合成チートで作ってくれた、CFRPの鎧だ。ただ、多目的に作ってあるので、動きやすいように腿や上椀は覆ってないのだ。
「そうですねぇ…とりあえず、モングの兵の佩楯を改造しておきますヨ」
「モングのか。…なんかヤダけど…あーまあ良いか。確かに合理的な鎧だからなぁ」
モングの佩楯は太ももから膝を守る、二つに割れた前掛けのような鎧だ。馬に乗りながら、下半身を守るのにはちょうどいい。バイクに乗りながらでも使えるであろう。
「大軍の戦争は、怖いですね」
モングの鎧をばらしながら、アールがつぶやいた。小部隊なら伊勢とアールでどうにかなる事も、大軍同士のぶつかり合いではどうにもならない。一兵士にしかなれない。兵士たちは、自分ではどうにもならない事で死んでしまうのだ。
「それにしても、私たちは騎馬戦闘に向いてませんねぇ」
伊勢とアールは顔を見合わせて苦笑する以外なかった。アールは重過ぎて馬に乗れないし、バイクのままでは馬の方がはるかに強いのだ。手放し運転も出来ない。
「向き不向きってやつさ。歩兵戦闘や防衛戦ならアールは圧勝だし、伝令や斥候としたら俺達は最高だぞ?」
「ですね」
まあ、本当ならば戦闘自体にできれば参加したくない。別に伊勢は平和主義者でもないが、怖いものは怖いのだ。小心者なのである。
「相棒」
「ん?」
「ファハーンに帰ったら銃を作りましょう」
「うん」
もう、その方が良い。死ぬわけにはいかないから。
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一年と124日目
モングは引く気配も無く、毎日パラパラと攻撃を仕掛けてくる。ヴィシー側も適当に応戦する。
アールの鉄弓による異常な弓勢に怖れをなして、敵は今一つ城壁に近づいてこなくなった。やる気なし、である。何のためにここにいるのだろう。
伊勢は負傷しているので戦闘には参加していない。そもそも、散発的にしか攻撃してこないから、手は充分足りているのである。したがって、今日も食って寝ている。暇だが特にやることも無い。見舞いに来たダールやアハードやナルスと話をするくらいのものだ。
ダールはちょっと素直になったようである。実際の戦闘を目で見て、感じるものがあったのだろう。
午後、東の方角に土煙が上がった。モングでなければ第4帝軍だ。
すぐに出撃準備命令が出た。モングであれば籠城を続けるが、第4帝軍ならば内外で呼応して、城外で共に戦うのだ。伊勢はとりあえず馬を借りた。アールに乗って騎馬と戦闘する事は出来ないから、申し訳ないが、彼女は休みだ。
「アール、戦闘が終わったらたぶんそのまま追撃する事になると思うが、俺は一度戻ってくる。」
心配するな、と言うつもりはない。言っても無駄だから。謝りもしない。
「そんなに心配するな。すまん」
つい言ってしまった。意外と動揺しているらしい。心身がいまいちコントロールできていない気がする。
「じゃあ相棒、矢に気を付けて下さいヨ」
「わかった」
伊勢は馬側を蹴った。
土煙は第4軍だった。すでに伝令が来ていたのだ。こちらに順調に近付いてきている。モングの奴らも慌てて出撃準備を始めた
「聞けっ!歓声はあげるな!」
キルマウスである。全軍の前で話すらしい。
「第4帝軍が来ている。一緒にモングのクズを殴る。相手は逃げていくから、俺達は追いかけて殴る。殴る相手がいなくなったら勝ちだ」
実に簡潔で素晴らしい演説であった。多分、今まで聞いたあらゆる演説の中で、最高傑作だと本気で思った。
帝軍の兵士たちはキルマウスを知らないから戸惑っているが、セルジュ兵にとっては最高の演説である。
そのまま門の前で馬の綱を持ったまま、十数分待った。
外からは鬨の声が聞こえてくる。遠く響く戦闘音も
「行けぇ行けぇ!」
キルマウスの下知で一斉に騎兵隊が門を飛び出す。伊勢のいるダール隊もだ。味方の上げる土煙を透かして状況を確認する。一キロ程度先で戦闘が行われているようだ。
全部隊が勢い良く突っ込んでいった。
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戦闘は簡単に終わった。30分も持たずにモング共は逃げていったのだ。伊勢たちは、馬上から矢を相手の上に撃っていただけである
友軍はこれからモングの追撃を始める。伊勢は、ダールと副官のナルスに断わりを入れて隊から離れた。彼らとは後ほど、アールを連れて合流するつもりだが、それが出来るかどうかは双方とも半ば期待していない。電話など無いのである。離れた相手と合流するのは至難だ。
「相棒っ!」
ヴィシーの城壁をくぐる。伊勢の姿を認めると、アールが駆け寄ってきた。相変わらず足は遅い。
「怪我は大丈夫ですか?!」
「新しい怪我はしてない。前の怪我も…大丈夫だと思う」
馬を下りて部屋に戻り、脚の矢傷を一応確認してみたが問題は無かった。
「モング達はすぐ逃げて行きましたヨ」
「ああ、簡単だったなぁ」
食事をとりながら振り返ってみた。いつでも食事が機械的に取れるのが、軍曹時代に培った技である。
「これから延々と追撃だ。遊牧民の追撃はきついからな…三日三晩は覚悟だな」
「はい、相棒。でも適当にサボりましょうヨ」
「うん」
そうでないと、いろいろと持たない。
「もう結構討ちとってるだろうな。あー、でも夕日に向かって走ってるから、見づらいだろうなあ」
「え?」
「え?何であいつら西に逃げてんだ?」
モングの本拠地に逃げるなら、北か北東に逃げなければならないのに。
「相棒、行きましょう」
「ああ」
ヴィシーの西にあるのは、ジャハーンギールだ。




